世界遺産 検定勉強世界編7
近代国家編
ヴェルサイユ宮殿と庭園(フランス共和国) 登録年1979年/2007年範囲変更 文化遺産
「太陽王」の栄華を誇る宮殿と庭園
・首都パリからほど近いヴェルサイユは、「太陽王」ルイ14世(専制君主として絶対王政を築くが、たびたび侵略戦争を起こして財政悪化を引き起こした)が気に入り、宮殿の建造を命じた
→一流の建築家を集めて1682年にほぼ完成したが、全てが完成したのは19世紀に入ってからである
・ヴェルサイユ宮殿は、フランス・バロック様式建造物の最高傑作である
→フランス革命で一時荒廃したが、ナポレオン一世により修復
・最も有名な「鏡の間」は光が反射し豪華絢爛な空間を照らしている
・十字型の大運河を中心に、幾何学かつ左右対称に作られた庭園は、ヨーロッパ各国の庭園に影響を与えた
・日本の迎賓館赤坂離宮も影響を受けた一つである
マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設(スペイン) 登録年1984年 文化遺産
「太陽の沈まぬ国」スペインのシンボル
・スペインの首都マドリードの郊外にある
・エル・エスコリアール修道院と王立施設は、王宮・神学校・図書館・施療院などを併設する複合施設である
・スペインの最盛期を築いたフェリペ2世が、1557年にフランス軍に勝利したことで建造
→熱心なカトリック教徒
→父カルロス1世の霊廟建設も兼ねていた
・修道院には、300の部屋、四隅に高さ56mの塔がある
・フェリペ2世がギリシャ・ローマ建築を好んだため外壁は一切装飾が施されていない(建築を担当したフアン・デ・エレーラから名前を取り、エレーラ様式という)
→内部は豪華絢爛
シェーンブルン宮殿と庭園(オーストリア共和国) 登録年1996年 文化遺産
ハプスブルク家の栄光を伝える宮殿
・オーストリアの首都ウィーンにある
→ローマ皇帝レオポルト1世が造営した離宮が前身
・1740年 ハプスブルク家の家督を継承したマリア・テレジアは、この離宮を大規模に増改築
→マリア・テレジアはここを拠点に啓蒙主義政治を行った
・バロック様式の外観は、金色を模したマリア・テレジア・イエローと呼ばれる黄色で統一
→内部は、優美なロココ様式の装飾が施されている
→1400部屋以上あり、「百万の間」や、6歳のモーツァルトが御前演奏をした「鏡の間」が有名
→逸話として6歳のモーツァルトが転んで、手を差し伸べた7歳のマリー・アントワネットに求婚したと言われている
・1752年 世界最古の動物園が開園
・1814年にウィーン会議、1961年には米ソ会談が行われている(どちらも会談後対立が激化した)
ポツダムとベルリンの宮殿と庭園(ドイツ連邦共和国) 登録年1990年/1992年、1999年範囲拡大 文化遺産
啓蒙専制君主の立案した宮殿
・ドイツ北東部に位置するポツダムと隣接するベルリン南西部に王家の宮殿や庭園が多数残る
・18世紀半ばにフリードリヒ2世(大王)が夏の離宮として造営したサンスーシ宮殿とその庭園である
→サンスーシとはフランス語で「憂いなし」を意味する
・宮殿の設計は、東西100mほどの平家で、小規模で質素だが、内装はロココ様式で豪華である
・3㎢のサンスーシ庭園はルスト庭園とノロ庭園に分かれる
→19世紀にフランス・バロック庭園から、イギリス式庭園に作り直された
・サンスーシ宮殿の北東にある「ツェツィーリエンホーフ宮殿」では1945年にポツダム会談が開かれた
ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会(英国) 登録年1987年/2008年範囲変更 文化遺産
イギリス王室の歴史を物語る建築物群
・ノルマン征服(ノルマンディー公ウィリアムが、1066年にイングランドを征服し、ノルマン朝を開いた出来事)により、イングランドにノルマン人が流入する前の11世紀中頃、エドワード王がウェストミンスター宮殿と、アビー(修道院)を建てた
・宮殿は、王の住居と議会場として活用
→1295年 イギリス初議会である模範議会が開催
→1640年 議会を国王が武力で押さえつけたことで、ピューリタン革命が起こり、現在も国王の下院議会への立ち入りを禁止している
→1834年 火災で焼失
→約30年をかけゴシック・リバイバル様式で再建
・宮殿の北側の時計台は「ビック・ベン」の愛称で呼ばれている
→2012年 エリザベス2世の在位60年周年を記念し、「クロック・タワー」から「エリザベス・タワー」に改称
・ウェストミンスター・アビーでは、歴代ほとんどの国王の戴冠式が行われてきた
→新王が座る椅子は修道院を作ったエドワード王にちなんで「エドワード王の椅子」と呼ばれている
・中世以降の国王や政治家、学者などが埋葬されており、ニュートンやダーウィンなどが眠る
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