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何故、そこで?

最近の二十代前半のスポーツ選手、よく泣くよね。昨シーズンのプロ野球。阪神タイガースの若手二人。好機に三振して、ベンチに帰って人目はばからず号泣していた。実況の解説者も言ってたけど、
「泣く暇あったら、バット振れ」
そのとおりだと思う。
監督も泣いた選手を、その直後交代させた。当たり前の措置だろう。

そして、今開催中のオリンピック日本代表選手たち。
柔道女子選手。
試合に負けたからと、その試合会場から控室に戻る手前でへたり込んで大泣き。観衆が見つめる中で。
卓球女子選手。
同じように泣き崩れる。
サッカー男子もそう。

情けない。監督コーチも叱ってでも一刻も早くロッカールームへ引き下がることを指示すべきだと思う。やったのはただ慰めるだけにとどまったのはとても残念だ。
泣いてもいいけど、人目につかないところでやって欲しい。宿舎の自分の部屋で一人の時とか。

「泣いてる暇あったら、走ってこい」
「いつまでグズグズしてんねん」

この涙の無駄遣いに内在する精神性の幼さの原因はどこからくるのだろう。「◯◯◯世代」の特徴?
その言葉で片付けるのはあまりに短絡で乱暴なので、それはしたくない。少しだけ掘り下げてみてはどうだろう。

少子化による教育の変質については異論はない筈だ。よって、大人たちの子どもへの対応がある意味過干渉になったと論じることに無理はあるだろうか?その隙間に子どもの心に無意識に「甘え」が芽生え、知らず知らずここ一番で妥協してしまう構造を造り出してはいなかっただろうか?苦しい場面でストイックに徹し切れない弱さはなかっただろうか?

コービー・ブライアントは早朝に起きて人よりも2時間多く練習した。

フロイト・メイウェザーは、
「皆がコーヒーを飲んでいる時、俺は練習した」

クリスティアーノ・ロナウドは一切酒を口にしない。風邪をひかないようにと、オレンジジュースを大量に飲むそうだ。徹底した身体の管理を怠らない。

大谷翔平は、12月24日仲間たちがクリスマスイブで楽しい時間を過ごしている時に日が変わった25日午前1時から5時までバッティング練習に汗を流していた。勿論何となくバットを振ったなどと言うことはない。一球一球考えながらの打撃だった。
食べることにも神経を使う。ステーキを食べるにも、出来るだけ脂身の少ない肉を選ぶ。レストランに行っても持参した栄養ドリンクを先に飲む。昨年のWBCでも食事会の飲み物はノンアルだった。そして、睡眠を最も重要視している。

このように世界のトップに立つアスリートたちは自らが携わる競技への迫り方が尋常ではない。

「努力は報われる、そうじゃないだろ。報われるまで努力するんだろ」

と言ったのは、リオネル・メッシ。
以外と日本の代表クラスでの選手でも、努力したら報われると思っているのではないのかなと邪推してしまう。
前述のとおり、その微妙な心のズレがここ一番の試合に勝ち切れない大きな理由があるように思われる。

ここ20年くらいレベルの高低にかかわらずやたら運動選手たちが口にする言葉がある。

「準備する」

最初にこの言葉を発したのは、イチローだと私は記憶している。
その「準備する」質と量を考えた時、2流3流選手とは比較にならないほどの乖離があることを知っておく必要がある。簡単に使ってほしくないワードなのだ。

試合会場で泣きじゃくるって、格好悪くない?
ワールドクラスの美意識からはかけ離れていると思うけど。

「泣く暇あったら、バット振ってこい」

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