見出し画像

第415回「燕は戻ってこない」という胸糞ドラマについて


「嫌なら見なければいいだろう」と思われるかも知れませんが、毎回、このドラマを見ながら、胸糞の悪い思いをしています。

胸糞要素が多すぎて、その理由を一つに絞れないのですが、まず前提としてこのドラマの、代理母を愚弄している感じが、本当に胸糞が悪いです。

このドラマは、代理母の存在を、子供を妊娠、出産をする為の道具として、女性の体を金銭で売買する、非人道的行為として描いている感じなのですがまずこの前提が、胸糞悪いです。

日本では代理母が法律的に認められていないのかも知れませんが、世界には実際に、代理母出産で子供を授かっている人達は、大勢いるのです。
(よく知りませんが)

もちろん代理母出産ならではの苦悩やトラブルもあるのでしょうが、そうした事を描きながら、それに頼らざるを得ない人達の人生をきちんと描くのであればともかく、このドラマは、最初から代理母出産を、非人道的な行為として描いているので、出て来る人間がクズしかいません。

代理母出産をする人は、人間的にクズなのだとでも言いたいかの様です。


なかでもクズの極みなのが、代理出産をする主人公の女性です。
代理母出産という行為に、誇りもなければ責任感もまるでなく、妊活予定日の直前に、複数の男性と自ら性的関係を持ち、誰の子を妊娠したのかわからなくなってしまうのですが、このドラマは、その原因が代理母出産という、非人道的行為によるストレスのせいにしているのです。

いやストレスも何も、ビジネスであろうがなかろうが、妊活中に複数の異性と性的関係を持つのは、絶対にダメでしょうに。

主人公の女性は別に、無理やり性的関係を強いられた訳でもなんでもなく、断る事ができる状況で、積極的に複数の人達と性行為をしているのです。

それも、きちんとした避妊行為をなしにです。

しかも妊活予定日の直前に、主人公の女性が誰の子を妊娠するかわからない状態にある事を自覚していながら、契約者の男性が、妊活行為の延期を提案しているのにも関わらず、自ら進んで妊活をするという、信じられない事をしているのです。

その理由が、そうすれば精子の上書きができると思ったからって、この女の性知識は、小中学生並みなのですか?

それで誰の子かわからない妊娠をしても、すぐに女性とやりたがる男達や、代理母出産のストレスのせいって、どうなのですか?

代理母云々以前に、自分の性行動を自己コントロールできていない時点で、主人公は、どうしようもないクソ女でしょうに。

自分は別に、複数の男性と一度に性的関係を持つ事を、クソと言っているのではありません。そうした行為をしているのにも関わらず、自分の性行為をきちんと管理できていない事を批判しているのです。

避妊もせずに、欲望に任せて、複数の人間と性行為をやりたい放題の奴に、女性の権利を主張する事も、それを他人のせいにする資格もないのです。


自分は女性であれ男性であれ、性別に関わらず、自分の性をビジネスにしている人の事を批判する気は全くありません。

性を仕事にする、いわゆる性風俗業の人達は、それがビジネスだからこそ、自分の性に対する自己管理を、一倍に行っているからです。

それをこの女ときたら、一千万円の契約を結びながら、自己管理をする気が全くなく、性行為をやりたい放題で、それで妊娠をしたら人のせいですか?

自己抑制のきかない十代の子供じゃあるまいし、この女は、代理出産をする資格がないのはいうまでもなく、性風俗業の人達と比べても遥に及ばない、クソ女なのです。
(この女と比較をする事自体が、性風俗業の人達に対して、失礼な位です)

このドラマは一体これで、何を描きたいのでしょうか?
これでフェミニズムや、女性の人権を描いているつもりなのでしょうか?

自分の人間的な未熟さを棚に上げて、何でもかんでも男のせいにする事が、本当にフェミニズムだと言えるでしょうか?

自分は決して、反フェミニズム思想の人間ではありませんが、女性から反感をされようが、社会的に非難をされようが、主人公の自己管理を全く問おうとしないこの作品に、女性の権利を語る資格はないように思っています。


※ドラマの中で、やたらと稲垣吾郎が責められていますが、それが言い訳にならないくらい、主人公が胸糞ダメ女です。

この記事が参加している募集

#テレビドラマ感想文

21,700件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?