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第420回、その猫は鳴くのか鳴かないのか?「クワイエット・プレイス:DAY1」


音を出したら即死というシンプルネタで、クリーチャー界の新参映画として一世を風味した今シリーズですが、これまで世界の崩壊後を舞台に描かれていた為、設定上描けない事もあったのですが、今回はクリーチャーが現れる初日が描かれるという事で、日常が非日常の地獄絵図に変化していく様子をまざまざと見られる事に、とても期待の高まる思いでした。

実際、所版こそその様な始まり方なのですが、あろうことかこの主人公は、初版そうそうに気を失ってしまい、気が付いた時は数日たっているのです。
(正確にはわかりませんが、そんな感じに見えるという事です)

その時には周囲の人達は、音を出したら即死というルールを把握しており、舞台こそ都会な物の「それ、今までとやっている事が同じなんですけど?」という展開になっていました。

「それもう、DAY1じゃないよね?貴重な初日を逃しちゃっているよね?」と心の中でツッコミを入れながら見ていたのですが、やはり期待をしていた初日ならではの、スマフォやPC等の電子機器の発する音が、命取りになるというわくわく展開は、見られませんでした。

それを描かずして何がDAY1なの?という思いがなくもないのですが、今作の見どころとなっているのが、主人公の飼い猫が常に周囲にいるという状況で当然の事ながら、その猫が一鳴きでもすれば、即終了なのです。

最初の内はこの猫がいつ鳴くのか?という爆弾要因として、ハラハラ展開を描いているのかと思ったのですが、この猫、初版の日常描写時から、一度も鳴かない上に、主人公も周囲の人達も、猫の事を全く気にする様子がなく、「あれ?もしかして、声帯手術をして鳴かない猫なのかな?」という思いが常に付きまとい、この猫が鳴くのか鳴かないのかの疑問が気になって映画に集中を出来ませんでした。

都会の飼い猫なので、もしかしたら鳴かない様に声帯手術を受けているのかも知れませんが、その辺りをきちんと描いていないので、この猫は爆弾要素と癒し要素のどちらなのかがはっきりせず、もしかしたらそれを狙っているのかも知れませんが、その事に気持ちが散ってしまい、あまりいい演出ではなかったように思います。

実際にこの猫が鳴くのか鳴かないのかは、映画を見て確認をして頂ければと思います。(もう答えを言ってしまっている気がしますが)

他にも軍隊が橋を破壊するのは、水の苦手なクリーチャーを対岸に移動させない為だと思うのですが、この怪物は多分空から隕石と共にやって来て世界中にいるはずなので、その行為に意味がない様に思ったのですが、他に何か橋を破壊する目的があったのでしょうか?

自然音にまぎれさせて人間の出す音を隠すというアイデアは面白いのですがほんの一瞬の小さな音でも、遠くから人間の居場所を突き止められるのに、雷の音と同時なら、ドアをけ破ったり、叫び声をあげても大丈夫というのは無理がある気がしますし、実際にそうなのだとしても、主人公が根拠もなくそう思って行動をするのは、やや緊迫感が欠ける所です。

水が苦手なのに水没した地下に怪物がいたり(逃げ損ねたから?)そうかと思えば川を認識してきちんと直前で止まる等(音だけで、そこまで認識している?)怪物の生態もあやふやな感じがあり、やや大味な気がしました。

不満ばかりを言っていますが、全く楽しめなかった訳ではなく、楽しみつつもっと様々な事をやれただろうなという思いが残る、この後何作でも作っていって欲しくなる、エイリアン的な楽しみのある作品でした。

※猫と描の漢字の違いがわからなかったのですが、今見てもわかりません。

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