第413回「マッドマックス フュリオサ」が、前日譚としても、単体作品としても微妙な理由
自分は「マッドマックス」シリーズに、それ程の思い入れはありませんし、本作との繋がりがある前作の「怒りのデスロード」も、めちゃくちゃ好きという訳ではないのですが、前作をアクション映画の最高峰という人の気持ちはわかりますし、前作の様なアクション作品を期待すると「見たかったのはこれじゃない」という感じになるのもわかります。
監督は意図的に作品のテイストを変えているらしく、自分の印象としては、派手なアクションが話題となった前章に対して、明らかに異なるテイストで後章を描いていた「キル・ビル」の二部作に近い物を感じさせられました。
今作のテイストが前作とは異なる事を理解した上で、では今作がデスロードの前日譚として、上手く機能しているのかというと、正直自分は、その事の方が、微妙のように感じています。
今作の敵役のディメンタスという人物は、怒りのデスロードには、全く登場していないのですが、そのディメンタスを、母親を殺した復讐相手として、主人公のフュリオサが、半生をかけて復讐していく様子が描かれている為、デスロードであれだけ異様な存在をかもし出していたイモータン・ジョーがフュリオサとの間に、何の因縁もなくなってしまっているのです。
イモータン・ジョーは、ディメンタスの敵役なので、むしろフュリオサとは協調関係にある位で、それにも関わらずフュリオサが、その関係性を経ってイモータン・ジョーを裏切る動機が、前日譚である今作からは、全く見えて来ませんでした。
イモータンは、自分を崇拝する戦士達の命を、何とも思っていなかったり、女性を子を産み育てる対象としてしか見ていない等、ポリコレ的に、完全にアウトな存在ではあるのですが、しかし世界終末後のイカれた世界にあって存在自体が許されない、ダメな人間なのかというと、決してそういう訳ではなく、あの世界の統治者としては、むしろ有能だとすら感じられます。
同じ世界線とはいっても、怒りのデスロードとは別の作品なのだから、何も今作に、デスロードでのフュリオサとイモータン・ジョーとの因縁を見出さなくてもいいのではないかとは思うのですが、この映画、ご丁寧にわざわざデスロードに繋がる展開で締められており、エンドロール中に、デスロードの映像を流すという、前作との繋がりを強調する徹底ぶりです。
そこまでする以上は今作に、デスロードにおける、二人の因縁性を見出さなければならないのですが、それがこの映画からは見えて来ないのです。
ディメンタスは、殺された母親の敵という明確な敵対理由があるのですが、イモータン・ジョーに関しては、個人的な因縁関係は全く感じられなくて、ただイモータンがポリコレ的にアウトだから、存在をしてはいけないのだと定義をされているようにしか、今作からは見えて来ませんでした。
これでは今作が、フェミニストやポリコレ推奨派の人達に、迎合をしているように感じられてしまったとしても、仕方がないのではないでしょうか?
ポリコレついでにいえば、キャラ的に自分が一番気に入っていたフュリオサの義手にまつわるエピソードが、終盤のアクション展開でとってつけたように描かれていたのも、自分にとっては残念に思いました。
デスロードの時にも思ったのですが、いくら近未来とはいえ、あの荒廃した世界にあの義手の性能は、かなりのオーバーテクノロジーだと思われるのでさぞかし描かれるべくバックボーンがあるのだろうと思っていたのですが、主人公が片腕の状態で自分で即興で作っていただけで、いくらメカニックという設定があるとはいえ、それは無理がありすぎるだろうと思うのです。
別に説得力のあるリアルな展開を求めている訳ではないのですが、せっかく話を深堀りする事のできそうな特徴のある設定を全く生かせていない事に、サイボーグ好きな自分としては、残念な思いがありました。
せめて最初は雑な手作り義手を付けながら、後で今の義手に付け替える様なアイアンマン的な、メカのバージョンアップエピソードが見たかったです。
何か不満しか言ってない気がするのですが、この映画が全く楽しめなかった訳ではなく、自分的には、フュリオサの子供時代のエピソードをかなり長く見られた事は、とても嬉しかった所です。
ここまで丁寧に、フュリオサの半生が描かれているので、それだけに義手の展開が終盤でさらりと描かれている事に、少し残念な思いがありました。
※ネットであまり画像を見つけられませんでしたが、フュリオサの幼少期は映画の中で時間をかけて、たっぷりと描かれます。
そういえば、フュリオサがスナイパーの名手な事も、気になりました。
冒頭で、母親がスナイパーの名手である描写等はありましたが、フュリオサ自身は、身バレしない様に幼少期からずっと身分を隠して生きているので、どこでその技術を磨いたのだろうという思いがあります。
そういう所を含めて、この映画は、フュリオサの人格形成に至る描写の掘り下げが、少し弱いように思われるのです。
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