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中途半端

僕は基本的に中途半端に生きてきた人間です。
何かをやり切ったことはないです。
小学校の頃に少年野球チームに入ってたけど、
小学1年生から5年生までしかやらなかったし
親にやってみればと言われたそろばん教室も覚えてないけど、サボりだしたころに辞めました。
専門学校に行ったけど、結局その道には行かなかったし。
3年前に入ったITの会社にもプログラマーになる前に
楽しくないから辞めました。
思えば対して思い入れもないのに何故入ったんだ?

そんな他者から見て舐めた人生送ってきた僕としては、
中途半端」や「やり切る」という言葉について考えることが多くなりました。
結果的には「中途半端の何がいけないのか?!」
という逆ギレに近い結論に至るわけですけど、
じゃあどうしてそんな都合の良い結論に至ったかの話をしましょう。


中途半端にしないとは思った以上に難しい

よく美徳や信念として「中途半端は許せない」
という言葉を口にする人見たことありませんか?
僕からすると、とても眩しいとも感じ、
窮屈そうだなぁとも思います。
間違いなく自分には合わない信念だと思いました。
ちなみに僕の信念は
「何にも縛られず 楽しく死んでいく」
なので、
別に興味が出たらそっち調べたり、
楽しくなかったら辞めたり、
飽きたら妄想に耽ったりするので、
何かをやり抜くという人には感心するんですけども。


「やり抜く」ってどこまで?

例えば僕が少年野球を途中で投げ出さずに
大学生までやったとします。(大学行ってないですけどね?)
社会人になるからと言って辞めたら、
それは中途半端じゃないですか?
だってその先にプロとしての道があって
お金になる機会がようやく回ってきたのに、
プロ野球よりどっかの企業の社員としていた方が
安定するから、ないし野球以外に打ち込めるものが出来たから辞めるんですよね?
中途半端って
やり抜くって
どこまでのことを言うんでしょうね。


勘違いしないでほしい

「中途半端は許さないとか言いながら、
 他にやりたいこと・出来ることが増えたら
 そっちに行くんじゃないか」
とか言ってくる批判したいだけの人ではないです。
むしろ僕は変に一つに的を絞って
「やり切ることこそ美徳」
みたいな訳分かんない風潮なんか無くなれば良いと思っています。
何が「石の上にも三年」ですか。なんで石なんですか。
分厚い座布団お尻に敷いて縁側にいたいんですけど。

つまり、もっと出来ること面白いと思う事増やしていこうよと思うわけですよ。
僕みたいに飽きたらやめる
つまらないから、面白くないから辞めるという理由付けが、
まるで悪かのように、軟派で芯がないと言われていることが
どうにも許せないのですよ。


ぶっちゃけて言うと…

「やり切ってる」=「妥協」です。
それ以外に出来ること・やれることがないから
それをやってるだけで、
自分の可能性を広げるために別の道を目指すこと、
「今」を離れることに臆してるように見えるんです。
そんな凝り固まって足元コンクリに埋まってる人のセリフを
まともに受けて、自己の可能性、人生は楽しいのだと思うことも諦め、
「このまま死んでいくのかぁ…」とか思い続け、最後には
次代の「妥協人」に変容していく。

ちなみに妥協してない人は、間違っても「やり切った」なんて言葉は使わないです。
「まだ自分の知らない何かがある」「これから先もっと進化する」と探求心と知識欲を沸かせ、絶対に現状に満足して慢心しない筈ですよ。
何か物事一つとっても完璧に知り尽くし、100%探求を完了することなんて人の一生如きで叶うはずがない。
それだけ人が生み出し紡いできた歴史やモノは深い上に
今も尚進んでいるんです。


別に否定したいわけじゃない

さんざん悪い風に言っておいてアレですけど
別に妥協を悪いと言いたいわけじゃないんです。
むしろそのままで良いと思います。
僕としてはこれから行く先にライバル増えるの嫌ですし
好きなだけ立ち止まって貰えればラッキーなので。
そういった価値観をむしろ応援したいと思っています。

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