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コーチング×人生


コーチングセッション内容

仕事について現状の外側にゴールを設定します。


・人生には8つの領域があり、まずは仕事の領域でゴール設定することで残りの7つの領域に及ぼす影響を感じていただきます。

・脳にはRASという機能があり、普段は本人にとって重要なものしか見ることがでおらず、多くの盲点(スコトーマ)があります。現状の外側にゴール設定をすることで、RASが発火してスコトーマが見えるようになります。人の可能性はスコトーマの中にあり、今まで見えていなかったものが見えるようになり、人生が激変します。

・人には恒常性があり、心理的にも身体的にも同じ場所(コンフォートゾーン)に留まろうとする力が無意識に働いています。現状の外側にゴール設定をすることにより、コンフォートゾーンをずらします。




コーチング

自分にしかできないことをしたい

私は20代から30代前半にかけて上記のような燃える情熱を持って人生を突き進んできました。何の迷いもまく、ただひたすら自分が掲げた目標に向かって邁進していたのです。
しかし、30代後半に差し掛かるころから下記のような感情が襲ってきました。

本当にこのままでいいのか

漠然とした不安が出てきました。
急に襲ってきて、ずっとまとわりつく。
何度も内省をして自分と対峙し、解決を図ろうとしましたがなかなかうまくいきません。そんな時に、以前から耳にしたことがあったコーチングを学んでみることにしました。

コーチング

人生のゴールを見つけて自分らしい人生を歩むものにするために、対話を通して本人の本当にしたいこと(want to)や本人特有の感情や思考の働きを見つけ、行動の力に変えることで目標達成や自己実現を促すコミュニケーション技術のことです。
人生で本当にしたいことは何か、一体何を目指すのか。
答えは自分自身の中にあるものの明確に把握している人は多くありません。人生を通底したゴールを設定して、人生を謳歌してもらうために積極的介入コミュニケーションによって一緒に考えていくというものです。

本音で生きる人生を手に入れませんか?

まずまずの人生をこのまま送るか?
二度とない人生を求め続けるか?

セッションを受けていただくにあたり

※セッションを受けていただくにあたり、以下の点にご同意頂くようお願いしています。

①セッションは1回60分を想定していますが、状況によっては延長が必要な場合もあります。だいたいプラス30分(合計90分)ほどお時間に余裕を持って頂くようお願いします。どうしても時間内に終わらない場合、再度別日でのセッションをお願いする場合があります。

②本セッションにおいては、スクール側にレポートを作成して提出するため、レコーディングさせて頂きます。レポート作成の際は、個人が特定出来る情報は削除し、画像や音声を添付しない文字起こしした文章のみを提出しますが、文章の内容はスクールの講師、生徒の目に触れる可能性があります。動画・音声を許可無く他人に公開することはありません。

③zoom(その他、ビデオ通話ツール)には「ビデオON」で、落ち着いてセッションに取り組める環境をご準備ください。

④コーチングセッションは、傾聴や共感をするカウンセリングではありません。「現状の外」のゴールを一緒に設定していく、つまり人生を変える決断をする時間となります 。未来に行くために、ご自身の「本音」と向き合う時間となりますので、場合によっては苦痛を伴ったり、不快に感じる(負荷がかかる)可能性もあります。

⑤ですので、現状のお悩みや過去の制約など、未来に行くために関係のない内容は、カットしながらセッションを進めさせていただきます。

⑥コーチは、未来に行くためのカットはしますが、ネガティブな評価を一切しません。取り繕わずに、ありのままのあなたで本音でお話しください。

コーチング用語解説

エフィカシー

 ゴール達成能力に対する自己評価のこと。ゴール達成に最も重要なもの。やったことのない現状の外のゴール、やり方もわからないゴールに対して自分には達成できると思う自己評価のこと。あなたのエフィカシーが高い領域を探す。あなたの過去の経験から、「いける」と思った瞬間はあったはず。条件が整ったからやる、というのはエフィカシーが低い。戦略ありきではなく、ゴールありき。リソースがなくても勝つ、という感覚。それがエフィカシーというもの。エフィカシーが高まれば高いゴールが設定できて、高いゴールが設定できれば見えなかった道筋が見えてくる。

RAS

 RASとは、今の自分に価値があるものだけ脳に入ってくるもしくは危険なものだけが入ってくるという生存本能の働きで、脳幹の情報処理に関する働きのこと。脳のは本来積極的に何の情報も入れないという働きがある。世界中の膨大な情報が入ってきて脳がパンクしないように制御している。脳は計算量を減らしたいので情報をシャットダウンしており、デフォルトとして全てシャッターが降りている状態だと捉えていい。したがって普段は自分に重要なものしか見えていない。ゴール設定によってRASは変わる(発火する)が、そこに責任感(アカウンタビリティ)がないとうまくRASが働かない。責任意識を持つためには本音のゴールを持つことが大事。

スコトーマ

 RASがあるからスコトーマがある。見えない部分のこと。ゴール設定をすることで新しいゲートが開いてゴールへの道筋が見える。今まで見えなかったものが見えるようになる。我々人間の可能性はスコトーマの中にある。だからRASをずらさないとスコトーマはズレない。そのため現状の外にゴールを設定することが大切ということになる。良いセッション、セミナーは、終わった後にクライアントの見える世界が変わること。成功体験がスコトーマを生むことがある。質問をすることでRASを動かしてスコトーマを見せる。だからRASを動かすために質問をする。脳に情報が入ってこないように脳が要塞を築いている。そのRASを移動させないとスコトーマが見えない。動かすためにはゴール設定が必要。だがこのゴール設定ができるのはハイエフィカシーな人間だけ。しかもそこに責任感がないとダメ。責任感というのは本音のwant toから生まれる。

コンフォートゾーン

 パフォーマンスの限界を決めるもの。認知科学の言葉ではなく心理学の言葉。身体の恒常性機能のことをホメオスタシスという。「変わらない」ということに、人間の仕組みはかなりエネルギーを割いている。氷が溶けないように維持しようとする時にエネルギーが必要なのと同じ。維持する力のことをコンフォートゾーンと言う。人間の脳は2つ同時にコンフォートゾーンを取れない。では現状とゴール世界のどちらを取るか、それは臨場感が強い方。ゴールを設定しても臨場感がそのままだったら、ゴールの方にコンフォートゾーンは行かない。だからゴールを設定しただけではダメ。コンフォートゾーンに戻ろうとする力をモチベーションという。モチベーションというのは原因ではなく結果であるということを理解。ゴールの方にコンフォートゾーンがあるから、そこにモチベーションがある。ゴールがあるからモチベーションが生まれる。コンフォートゾーンをどこに置くかでパフォーマンスが決まる。ゴールに対して戻ろうとして勝手にモチベーションが上がる。だからコンフォートゾーンをどこに置くかでパフォーマンスが決まる。パフォーマンスはコンフォートゾーンの中で発揮される。いかにコンフォートゾーンの中にいさせるか。コンフォートゾーンは快適な空間と言えるが、それは誰にとってのかというと、「自分の無意識」にとっての快適な空間ということ。常にゴール世界に臨場感があるようにアクセスさせたい、そのためにセルフトーク、アファーメーションがある。無意識に出てくる言葉のこと。アファーメーションとは、アイデンティティを定義するのが一番楽。「一流のコンサルタント」など。無意識のところに入れておく。パソコンのパスワードなども手法の一つ。アファメーションは現状を変えたいと思っていうのではない。ゴールの世界に没入して発するもの。現状を変えたいから発するのではない。

セルフトーク

 パフォーマンスを決定づけるもの。1日に平均3〜5万回自分自身に投げかけていると言われている。我々は自分自身に語りかける言葉で自分を縛っている。だからセルフトークのハッキングができるとパフォーマンスは変わる。セルフトークが自己イメージを決定づける。自分が語りかける言葉→言葉が映像を生む→映像が感情を想起する→自己イメージを形成する→自己イメージはコンフォートゾーンを作り上げる。セルフトークは基本ネガティブセルフトークをしている。セルフトークがセルフイメージを形成し、セルフイメージがコンフォートゾーンの境界を決めるので、私とは何者かという定義を変えた瞬間に世界が変わる。だからアイデンティティを変える。名乗り始めるということ。物理的臨場感に引っ張られるので、一個しか取れないコンフォートゾーンを現状に引っ張られないようにアンカリングするのはセルフトーク。なぜなら言葉から映像になり映像から感情になるから。コンフォートゾーンをひっくり返すのはセルフトークであって、臨場感の高さはセルフトークの回数で決まる。セルフトークの一つの形態がアファメーション。人間の臨場感は情報空間に持っていける。小説でも涙を流すことができるというのは、我々人間が言語を利用して仮想的な空間に対してリアリティを上げている生命体だから。だから言葉が全て。

 

ゴール設定

 ゴールと現状とのギャップがスコトーマを外しエネルギーと創造性を生む。人間のクリエイティビティが最もパワフルに発動するのがゴール設定。現状の外側のゴールを設定したら、コンフォートゾーンは一つなのでスコトーマが外れてRASが発火してプロセスが見える。スコトーマ外しの究極はゴール設定。そのゴールはその人の最高価値と一致していることが大事で、have toではなくwant toであるべき。さらには8つの領域のエリアにまんべんなくゴールを設定するのが理想的。ゴールは1つに絞った方がいいと考える人が多いが、無意識にカラクリがある。無意識は、ゴールの数が多ければ多いほど整合性を取ろうとして計算をしてくれる。そうすれば、その全てを通底したゴール、本当の隠れたゴールが見えてくる。大きなゴールが出現することになるのだ。8つの領域にゴールが設定できれば、脳は8つのRASを開けているので自動的に探究する。それを意識的に考えるのではなく、道筋は無意識に任せる。人間にはそういった無意識という才能がある。これを創造的無意識。

ビリーフシステム

 価値が高いと思っているものだけを集めているのが自我。世界は情報で溢れているが、我々は無自覚に情報を評価している。自分自身にとって評価レベルが高いもので溢れているものがコンフォートゾーンである。我々はいちいち評価している。その関数の集合体をビリーフシステムという。自分が高く評価したものを集めたものの世界をコンフォートゾーンという。そして、過去のビリーフシステムに対抗できるのがゴール設定。ビリーフシステムを変える究極がゴール設定。スコトーマ外しにはゴール設定がいい。そしてゴール達成にはセルフトークを用いる。無意識だけがゴールに向かう。ゴール設定をすれば無意識が進めていってくれる。ゴールを言ってしまうと、周囲に期待されるので変えづらくなる。ゴールは変えていい。だから周囲に言わない方がいい。ゴール設定は現状の外を譲らないということである。そうすればパフォーマンスが最大化する。


人生(自己紹介)

ひまだ、走ろう

 小さい頃はハイハイが嫌いで、膝を地面につけずに四つん這いで移送したり、走ることができるようになったら、暇だから走ると言って走り回ったりしていたようです。喘息があり高校を卒業するまで薬と吸入器で対応していました。ブロック遊びでインパクトのある作品を作るのが好きでした。今も好きです。

まんまるどろだんご

 みんなから遅れての保育園入園になったことによってかどうかわかりませんが、みんなの輪に入るのが怖かったです。みんなvs自分というか社会vs自分のような構図だと感じていました。一番楽しかったのは連日泥団子を作るというものです。1人で泥団子を作って、その日の帰りに倉庫の裏に隠して、翌朝また泥団子を手に取り丸め始めるというものです。そして強度を試すために定期的に滑り台を転がすということを繰り返して、まんまるの泥団子ができると満足であり、強い泥団子が一番いいと感じていました。

半そで半ズボン

 父親の影響で小学校3年時からラグビーを習い始めました。同じ小学校でラグビーを習っているのは私だけでしたので、他とは違う習い事をしていて何となく自分に合っていると感じていたからかもしれません。一時期小学校に行かなくなった時がありました。学校に行く意味がわからなくなったからです。学校に行かなければならなくなった時は、何かへの反抗なのか、真冬でも半袖半ズボンで登下校しました。何回も風邪を引きましたがそれでもやり通しました。何かにチャレンジしたかったのかもしれません。快適な生活というのが嫌いでありつつ、自らもそのような快楽に溺れてしまう自分の怠惰が嫌いでした。そういったものを断ち切りたい思いと、断ち切れない自分との葛藤があったように感じます。ただ何かに没頭したときには、快楽とか怠惰とか関係なくなり最高の状態だったように思います。

自信がない3年間

 中学校に進学すると、土日はラグビーのクラブチームに参加し、平日は中学校の柔道部に入部しました。ほとんどの部員が柔道経験者だったので素人の私は劣等感を感じ続けました。体も小さくて柔道では投げ飛ばされ、ラグビーのクラブチームでは大きな相手に敵わず劣等感ばかりでした。自信もなく体力もない、負けん気よりも恐怖の方が先に立つ、という中学生でした。全体的に自信がなかったのです。周りと比べて社交性も体力も筋力も何もかも劣っていると思っていました。目指すべきものなど何もなく、充実感のない日々でした。授業では、美術や技術、家庭科で何かを作ることが好きでした。シンプルでインパクトのあるものを好んで作ろうとしていました。

自分を変えたい3年間

 高校に進学すると、ラグビー部に入部しました。毎日の練習はきつかったのですが、楽しくみんなでワイワイやっていた感じです。私自身も勝ちたい、上手くなりたいとは思っていましたがそこまで欲求は強くなく、なんとなくラグビー部に入ってなんとなく活動していたという感じです。目標もなく、ただ毎日の練習をこなしていく。そして学校生活を適当に楽しくやっていく。特に可もなく不可もない高校時代です。心の底から湧き上がる自信ではなく、周囲に影響を受けた表面上の自信のような感覚がありました。私は未来を考えるのが好きでした。とんでもないことに挑戦したい気持ちはどこかにありつつも、自分に自信がない面もあり、そんな自分を変えたいという気持ちもありました。ラグビー部の最後の試合で相手にコテンパンに負けてしまい、まだまだ上がいるのに「この辺でいいか」と自分で区切りをつけることが嫌で、一番上までいってみたいという思いからラグビーを続けるために大学に行こうと決めました。

自分が作られた4年間

 大学は日本一ラグビーの練習がきついと全国的に有名だった大学に進学しました。猛烈な練習を重ねる上で、自分の弱さや情けなさと向き合い、「自分」という人間が何者なのか、アイデンティティが明確になり始めました。激烈な日々や練習に取り組むうちに、練習ではなく自分と向き合っているということに気づき始めました。ひたすら自分と向き合うことで、今まで培ってきた見栄やプライド、世間体、色々なものが剥がされていく感覚を味わいました。練習が休みの日にも1人でトレーニングに励むようになり少しずつ自信と体力がつき始め部員100人の中でレギュラーを掴むことができるようになりました。全国大会で国立競技場のグラウンドに立った時の感覚や、試合に勝った時にスタンドで涙を流している仲間を見た時の感動が今でも目の前に広がってくるほどに強烈な印象として残っています。無名校の一般入試で入部して、一番下から努力だけで這い上がった自分を誇りに感じています。またその4年間で経験した強烈な感動体験は私の人生に大きく影響を与え続け「やればできる」や「思考は現実化する」といったキーワードが私の人生を通じて高い価値を感じるものとなりました。さらに、私のプレーを見た観客の方が顔を真っ赤にして私の名前を叫び続けるというシーンが今でも頭から離れず、何者でもないと思っていた自分が、名前も知らないどこかの誰かの心を揺さぶることができるのだという自己効力感を得る経験もしました。

サラリーマン時代

 新卒で住宅会社に入社し、住宅営業職を選択しました。理由は、営業マンとして最高の信頼を得たることにチャレンジしたいと思ったからです。家は人生で一番高い買い物だと認識していましたので、それなら一番信頼できる人から買うはずだろうから、安いものを大量に販売する営業マンではなく、「この人から買いたい」と思われるような人間になりたい、信頼の分野なら私はできる、という思いがありました。また営業という、歩合制給料にも魅力を感じ、自分の可能性にチャレンジしたいという思いもありました。
 実際に仕事をしてみると、いかに自分が社会不適合かということがわかりました。決められたことや既存のやり方がどうしても嫌なのです。様々な決まり事に反発しながら我が道を切り開こうとした結果、完全に孤立してしまい社内に居場所がなくなってしまいました。それでも全国に散らばった同期100人の住宅営業マンの中で一番になりたいという思いだけはありました。そして上司のおかげで最優秀新人賞を獲得、本社での表彰を受けました。
 ただ、会社内は相変わらず居心地が悪く、活動の意義が見出せないまま時を過ごすことになります。本当に自分がしたいことは何だったのかということを営業車の中で悶々と考える日々が続きました。

俺がやらねば誰がやる

 そんな時にふと思い出したことがありました。実は大学時代に、「教員という道もありかもしれない」と思い、教員免許だけは取得していたのです。高校ラグビーというものに触れてみると何か心のモヤモヤが変化するかもしれない、そう思って当時教育実習でお世話になった高校に行ってみることにしました。行ってみると、そこには私が教育実習中に1年生だった子たちが3年生になっている姿がありました。みんな大人っぽくなっていて頼もしくなっており、感動しました。さらに、私が教育実習中に強制的にラグビー部に入部させたヤンチャな1年生も3年生としてラグビーを続けており、さらに感動しました。そして帰り際、その子から言われた言葉が私の人生を方向付けます。「あの時ラグビー部に入ってへんかったら、たぶん学校辞めてたわ」。私は衝撃を受けるとともに確信しました。高校ラグビーチームと関わって生きていこう。感動体験を味わわせたい、成長させたいと思うようになりました。同時に、私なら絶対に誰よりもできるという自信もありました。

再大学生

 会社の上司には退職願を書き、提出しました。「給料も休みもあって今の方が絶対いい、そもそも教員採用試験は難しすぎる」と言われましたが、気になりませんでした。周囲からも「教員採用試験に合格するには勉強しないといけないんだ」とネガティブな感じで言われましたが、「それなら逆に一番勉強すれば合格する」と思い、退職をしました。9月30日に退職し、夜中にバリカンで頭を丸め、翌日の10月1日から大学への登校を始めました。決断した証としてその日から今までずっと坊主にしています。大学時代には法学部だったので社会の教員免許は取得していましたが、体育の教員の方が高校ラグビー日本一に近いと思い、もう一度大学に通い直し体育の教員免許を取得することにしました。その間、高校ラグビー部コーチ、ジムアルバイト、塾アルバイト、大学ラグビー部コーチをさせていただき指導について勉強しました。また、目が覚めている間は教員採用試験の勉強に費やしました。毎日が楽しかったです。何か目標があると本当に楽しくて、しかもそれが一般的には達成が不可能に近いとされているものの方が燃えます。とにかく途方もないものにチャレンジしたいという気持ちが私の根底にはあるようです。高校チームと関わるならばどこでもいいというわけではなく、すでに強いチームは魅力を感じませんでした。弱いチームであって、私が強くしてどんどん強くなってテッペンまでいくチームがいいと思いました。

高校教師になる

 教員採用試験には合格し高校教員として採用になり、配属校が決まりましたが、まさかのラグビー部がない高校でした。部活動の顧問は女子バスケットボール部になり、やる気のない日々を過ごしました。やらなければという責任感で何とか高校に足を運びましたが、どうしても学校の教員という仕事とバスケットボール部のコーチという活動にやりがいを感じることができません。自分で選んだ道なのにも関わらず、サラリーマンの時のようにまた間違いだったのかと感じ、悔しくてどうしようもない日々を過ごしました。私は高校ラグビーチームと関わりたかったのに、という思いが沸々と湧いてきます。高校ラグビーチームと関わるには高校教員になるしかない、そう思って教員になったのに本来の目的を果たせていない自分が情けなく涙が出てきました。そんな悶々とした日々が続きましたが、少しずつ発想の転換をすることができました。「なんで自分がこんな高校に」という考えから「すぐにラグビー部がある高校に転勤するからそれまでの我慢だ」と思うようになり、やがて「ラグビー部がある高校に転勤して爆発するための準備期間にしよう」という思考になっていきました。今のうちに担任業務、生徒指導、教科指導、部活動指導、保護者対応、行事運営など、多岐にわたる教員としての業務を覚えて、ラグビー部がある高校に転勤した時に誰よりもスピーディーにそれらの作業を遂行して、ラグビーに費やす時間を捻出しようと考えました。そしてラグビー指導のために肉体も技術も精神もお手本を見せる必要があると考え、体と心を鍛え始めました。

現在

 転勤になり、希望通りのラグビー部がある高校になりました。部活動に行ってみると部員は10人ほどで今にも潰れそうでした。規律も乱れ、公式戦のジャージも無くしている状態でした。早速公式戦ジャージのデザインを変えて一式揃え、ロゴマークや旗、Tシャツを作って今までの文化を刷新しました。個人では、全国の日本一の指導者に会ってイメージを膨らませたいと思い、単独で様々な高校にお邪魔させていただきました。その結果、私自身のイメージも明確になり、生活指導、技術指導、部員確保が進んでいき、少しずつチーム強化を進めることができるようになりました。しかし、日本一の高校との差は歴然としています。そこで様々な手段を考え抜き、チームという作品を作っているところです。




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