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番吾の戦い以後の秦軍(特に王翦)予想
番吾の戦いは李牧・司馬尚の趙軍が大勝を収めた。李信将軍が言うように趙北部戦は二連敗となった。
中華統一で最も壁となる趙国(正確には李牧)にまたしてもしてやられたことになった。
秦軍は六将のうち桓騎が戦死、王翦は生き延びたものの亜光、田里弥が戦死、倉央は戦線離脱という形で敵陣に投降してしまい、王翦軍幹部が消失してしまうという大敗北になった。
これは致命傷に近い。。。
だがしかし、史実では秦が天下統一を果たしている。果たして原泰久「キングダム」が描く秦軍ではこの大敗北からどのような展開を描いてくれるのだろうか。
愛読を重ねて二桁の年月を重ねた趣簿が「キングダム」秦軍の復活を予想してみる。
敵を知り己を知れば百戦して危うからず
王翦大将軍
中国の春秋戦国時代では著名な将軍として史実では評価されている。「キングダム」では奇策を弄する智将として白起に迫るとは廉頗が認め、同じく認める李牧からは趙の副都・鄴を獲る戦果を上げて唯一の黒星を付けた。
だがしかし、将軍としての力量は文句が無いが、国の英雄としての器量に欠点ないし歪みがある。
マスクマンなのも理由がありそうだ。
欠点
己を第一とする武将は“信”が置けぬのだ。いかに戦が強かろうともそれでは人も貴様を英雄とは認めぬ。
貴様は我々とは違う道に立っている。あえて否定はせぬが興味も失せたわ。
これを細かく砕くと以下になるだろう
周りを引きつけるカリスマがない
他者を容易に受け容れない
流石に廉頗というべきでしょうか。
しかし、唯一勝利している李牧に何故番吾で勝てなかったのか? 率いている諸軍は六将のうちの一人である楊端和、若手ホープの飛信、玉鳳と精鋭揃いであったにもかかわらず。
才能でもなくカリスマでもない、別の敗因がある。。。
戦略上の失敗は戦術上の勝利で償えない
これは「キングダム」だけでなく人類戦史にも通じ普及している鉄則です。
宜安・肥下の戦いで桓騎がどれだけ追い詰めようとも終始、戦略面では李牧は桓騎軍を細らせていた。
それでも最後には互角の舞台に持ち込んだ桓騎が李牧を追い詰めたが届かなかった。
現在の露西亜の戦争でも戦略面で露西亜が劣勢に立ったままでいることが戦局を不味くさせているのは事実です。
知力が拮抗している王翦と李牧。武力投入で司馬尚の青歌軍が際だって描かれているが、
趣簿は“有効に投入できる”戦場を作った李牧の差配、戦略で勝利したと思った。
戦術の父はエパミノンダス、戦略の父はハンニバルと戦史研究家は口を揃える。
一般的にハンニバルの戦術上の勝利から研究家の主張を訝しむ人が多い。
しかし、これは「キングダム」番吾の戦いで司馬尚ら青歌軍の圧倒的な武力に魅了される見方と同じ理屈に過ぎない。
ハンニバルもアルプスの象超えという戦略機動をしたことで、ローマ軍を自分の作戦が発揮できる戦場に誘い込んだ。
「キングダム」ならば"はめこんだ”の想定が戦史に確かに刻まれている。
重ねて言うが番吾の戦いは戦略で先ず李牧が勝っている。
だがしかし、王翦も李牧に勝っている智将謀将の筈、戦略で何故負けていたのか?
趣簿が見抜いた解答は、二人の位にあった!
太公望の兵法
戦わずして勝つとは孫武、「孫子」が戦争の本質として語っている。戦場に出る前に既に勝つための準備を揃えておく、それが戦略面の仕事になる。
職人が技を振るって作品を作るのが戦場、戦術であるならばそれ以前に彼らをまとめて作品の姿を描いて計画を立てるのが親方の仕事に、戦略の仕事にあたる。
であるならば戦場の前段階で戦略で勝っていなければならない。
周の姜子牙(呂尚)は兵法書(後世の作とも言われる)で戦争に勝つには日頃の生活からと説いている。
戦略で勝つのは将軍ではすまない
日頃の生活から戦略が始まるのであれば、戦略は当然の如く政治面と政略に及んでいく。
親方は日頃から職人達の育成と生活の面倒も見るように・・・。
昨今の露西亜の戦争が負けるとするならば、それは戦場では無く日頃の生活である政治、行政面になるだろう。。
どこかの大統領のように軍人を度々解雇して人事一新しようとも一時しのぎとされ、戦犯の戦略上の罪は宰相大統領に帰されるべきなのだ。
戦争で勝つには戦場だけではない。軍人だけですまない、政治家が優れた政治と政略がなければ勝ちきれない。
「キングダム」番吾の戦いで正にこの戦略面で秦軍に不利があった。趣簿はこうよむ。
趙国で李牧は大将軍だが、宰相を務めている!
秦国で王翦は大将軍であるが行政権は無い!!
趙に郭開がいるだろうと思うが、「三国志」で曹操、諸葛亮を思い出せばそれは氷解する。
丞相職を拝命しながらも全軍司令官として前線に出ていたのがこの二人であり、後方の政務は代行者(魏なら曹丕達、蜀なら蒋琬費偉ら)たちで担当できる。
「キングダム」でも宰相が二人いるのは不自然では無い。 そして行政職兼任だからこそ李牧は戦略の幅を広げることが出来る。
李牧が宜安の戦場で告白している。
半年も期間があれば北部の兵を総動員する準備はできますよ。難しいのはそれを悟られないようにすること (以下省略)
一介の大将軍が趙北部全域に声をかけて兵を召集できるだけでなく、
情報統制の管理まで行使している・・・。w(゚Д゚)w
馬陽の戦いより戦線が拡大している趙北部の戦場で、ここまで戦略的自由を行使している。
行政職兼任、特別権利でも認められなければここまでやれない筈だ。
対して秦軍はどうか?
王翦は精鋭を率いて趙北部まで侵攻した。だがその兵力と計画は王翦自身で立案したものではない。
総兵力は王翦が徴兵召集したものではない。まして全域の情報統制の権利など与えられているはずも無い。
戦争の自由。秦国六将に与えられた大権であるが戦略的自由まで及んでいないのでは無いのだろうか?
王翦は恐らくこれに気付くだろう。
では原泰久先生の「キングダム」で王翦こと秦軍はどのように動くだろうか??
趣簿はこうよむ!!!
※以後はネタバレになりそうなので有料と致します。
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