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はいまわる経験主義を避けるために

【探究と探究でないものを分かつものは?~這いまわる経験主義に陥らないための考察と整理】
 このたび、経産省の「未来の教室」事業で、米国サンディエゴをベースとし、教育ドキュメンタリー映画 “Most Likely to Succeed”の舞台 とともなっている世界有数のプロジェクト型学習(以下PBL)校、High Tech High (HTH)の教員研修プログラムを日本に招聘することになりました。今、日本の教育文脈に合わせたプログラムのローカライズと研修実施に向けて準備しています。
 ところで、PBLというと「探究学習」のカテゴリーだ、と思われる方は多いと思うのですが、では「探究とは何か?」、「なぜPBLは探究と言えるのか?」さらには「探究と探究でないものはどう分けられるのか?」となると意外と答えにくかったりします。
 私自身そんな問いをもって2016年にLearning Creator’s Labをスタートしましたが、先日2期が終了し、この2年間国際バカロレア、こども哲学、イエナプランについてメンバーの皆と一緒に学び、且つPBL実践校やレッジョ・エミリア実践校など数多くの学校を訪問してきた中で私なりの一旦の整理のようなものがついてきましたので、ここで書き留めておきたいと思います。

<探究と探究でないものを分かつものは?>
 まずこちらの実践を見てみましょう。
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 秋になると毎年2週間、第3学年の児童全員が、リンゴについての単元に参加する。3年生は、このトピックに関連する様々な活動に取り組む。言語化では、ジョニー・アップルシードについて読み、その話を描いた短編映画を見る。彼らはそれぞれリンゴに関わる創作物語を書き、テンペラ絵の具を使って挿絵を入れる。美術では自動は近くの野生リンゴの木から葉っぱを集めてきて、巨大な葉っぱ模様のコラージュを作り、3年生の教室に隣接する廊下の掲示板に掛ける。音楽の教師は、子供たちにリンゴについての歌を教える。科学では、違うタイプのりんごの特徴を、五感を使って注意深く観察して描く。数学の時間、教師は3年生全員に十分な量のリンゴソースをつくるために、レシピの材料を定率で倍にする方法を説明する。・・この単元のハイライトは、近所のリンゴ農園への見学旅行である。そこで児童は、リンゴジュースが作られるのを見てから、荷馬車での遠乗りに出かける。単元における山場の活動は、3年生リンゴ祭りという祝典である。そこでは、保護者はリンゴの衣装を着て、子どもたちはそれぞれのステーションを順に回って、様々な活動を行うーリンゴソースを作り、リンゴの言葉探しコンテストで競い合い、リンゴ採り競争をし、リンゴに関する文章題を内容とする数学のスキル・シートを完成させる。その祝典の締めくくりには、カフェテリアの職員が準備したリンゴあめをみんなが楽しんでいるところで、選ばれた児童が自分の書いたリンゴの物語を読む。
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 さて、これは「探究する学びが設計された授業」でしょうか? この事例は、マクタイ&ウイギンスの「理解をもたらすカリキュラム設計」という有名な本からの抜粋ですが、残念ながら答えは「否」とされています。「活動志向のカリキュラムである」つまりアクティブではあるが探究的な要素がない、と書かれています。
 こういった活動を、活動という手段が目的化された活動主義、つまり「這いまわる経験主義」という人もいますが、まさにここに過去「ゆとり教育」「総合学習の時間」が提唱されてもうまくいかずに振り子が揺れに揺れていた原因が隠れていると感じています。
 もしこれが教科外であれば、子どもたちの学校の中での楽しいひと時になるでしょう。「設計された探究カリキュラム」ではないかもしれませんが、勝手に自己探究する生徒も一部は出てくるでしょう。退屈な計算の繰り返しより良い経験になる可能性は多いにあります。では何がいけないのでしょうか。

<惑わないために>
 ここでの私の心配は、こうした「這いまわる経験主義」を続けることでだれでもない教師本人が疲れてしまって前に進めなくなってしまうことにあります。
 リンゴ農園への見学旅行や、リンゴ祭りの運営は非常に骨の折れる仕事です。そのために授業時間を確保したり、協力者と交渉すること、学校の理解を得ることも大変でしょう。そうした一連の負荷の中で、先生が「探究とは何か?」を明確化できず、子どもの学びを可視化できず、結果として自分が何をやっているのか分からなくなってしまうと、心が折れてしまうかもしれない、そのほうが問題だと感じています。そうした時に、助けてくれるのが、先人の知恵、つまりIBだったりイエナプランのワールドオリエンテーションだったり、PBLだったりという「探究学習の手法」なのです。
 でも、そうなると今度は「複数の手法の中で何を選択するか?」という問題が出てきます。そんな時に「○○の手法のほうが優れている」とこだわってしまったり、1つの手法にしか触れていないのによく分からないとそのまま諦めてしまうケースがあります。特に、個人の先生が提唱するやり方など今色々な手法が出てきているので、多すぎる情報の中で混乱してしまっている先生もいるようです。
 そんなことを、先生とのやり取りで見るケースが多くあったため、私なりの整理を試みてみました。

<ずばり探究とは?>
 「探究」については多くの先人が色々な定義をしてきています。しかし、それは必ずしも一致していません。たとえば、ジョン・デューイは、その著書「Logic: Theory of Inquiry」の中で探究のプロセスを「不安」から「安心」への移行とし、「不確定な状況」から「確定的状況」という言葉を使っていますが、そういう言葉を使わない人もいます。
 また、探究は「良質な問い」からスタートするものだよね?いやいや「仮説から」いえいえ「真正な経験から」などなど、色々な意見があります。デューイの「不安」という言葉がしっくりこないという人も一定数いるようです。
 ただ、いずれにしても「探究」とは何等かのサイクルを回すということ、起点から何らかの経験を経て、変化が起き(Transform)、新しい状況へ到達するということではどの手法も共通しています。
 このあたりを一旦極めて単純な図に落としてみるとこんな感じになるでしょうか。
 つまり①がスタート時点で、③が一旦の着地です。軸はいろいろなイメージがあるかと思いますが、一旦は直線で引いています。①は、デューイのいう「不確定な状況」ですが、複数の手法を見ていると必ずしも「問い」でなくてもよく、「仮説」や「思いつき」「○○たい!」もあり得ます。「モヤモヤ」という言う人もいますね。「良い問い」を誘発する真正な経験の刺激から導入されるということもあるでしょう。また③もデューイは「確定的状況―価値判断、事実に関する保証された言明可能性」という言葉を使っていますが、こちらも実際の教室の中では、「発表会(Exhibition)」であったり、「Presentation(レポートや論文、本、絵など表現は色々)」と様々な形が取れます。
 尚、そのサイクル(輪)で意外と盲点でありながら重要なのが輪の軸の設定です。冒頭に述べた「リンゴ」の事例のように軸を「リンゴ」というようなトピックに置いてしまうと、何のために学んでいるのか分からなくなり、子どもの評価もプロジェクトの評価もできなくなるという罠にはまります。「リンゴ」を学ぶのではなく、「リンゴから何を学ぶのか」がとても大事なポイントです。

<いろいろな探究のレベル>
 さらに探究といってもいろいろなレベルがあります。この表によると探究にはレベルがあり、1から4に従ってだんだんに非構成になっていきます。たとえば、レベル1で一番構成力のつよい「確認としての探究」のイメージは以下のようなものです。
 ここでは一応探究のプロセスは踏んでいますが、①の問いや仮説、②の手順、③の結果も定まっています。教科書に基づいた理科の実験などでよくある、問いも実験手順のテキストで示されており、すでに示された手順を追うようなものです。(ちなみにデューイの定義からすると、確認の探究は不確定な状況からスタートしていないので、このやり方は「探究」とは言えないことになります)
 次のレベル、構成された探究のイメージはこちらです。こちらは、①の問いや②のプロセスもある程度教師のほうが見通しを立てています。その単元を探究のサイクルの中で学ぶために、いろいろな活動がスタート時点である程度デザインされています。「確認としての探究」との一番の違いは、生徒が可能な限り探究のサイクルを自分で回せるように、教師は環境設定と、ファシリテーションに徹するようになる部分です。
 国際バカロレアの初等教育プログラム(PYP)は自らのフレームワークを「構成された探究(Structured Inquiry)」であるとしています。私が見学した多くのPBL校でも特に初等教育ではこの方式がとられていました。例えば「問い」をベースに探究学習を組むのであれば、「大きな問い」の枝としての「小さな問い」をあらかじめ設定してスタートします。こうした学校では、だんだんに構成されたものから非構成なものに手を放していき、高校生くらいになったら自分で課題設定や取り組みたい概念(つまり探究の軸)を設定し、それに応じた「問い」や「仮説」を立てて後に説明するオープンな探究ができるように育てようとします。
 次のレベルは、「ガイドされた探究」です。
 こちらは領域や軸はある程度決めておくが、プロセスがオープンであり、子どもたちの興味によってダイナミックに探究が動いていくところが「構成された探究」と大きく違います。イエナプランのワールドオリエンテーションは、はじめにリアルな対象物を見せ、子どもたちの興味と好奇心を喚起して、その中でネクストステップを教師がデザインしていきます。レッジョ・エミリアもこの形ですが、こうした方法は子どもたちをよく観察し、何を学ぼうとしているのかをその時その時によく見ていなければなりませんので、卓越した観察力(見取り)と軸の設定能力、また複数の子どもを同じプロジェクトに導くマネジメント力など非常に多岐にわたる教師の力量が試されます。
 最後にオープンな探究です。
 これはそもそも子どもが興味を持った内容で、自ら問いや仮説を立て、活動を設計し、探究を深めていくものです。ライティングワークショップなど、子どもが持てるスキルをベースに行う活動や、リサーチ力を含め、複雑な課題や大きな問いに対応できるようになってきた年齢に到達した時に実施すると大変パワフルなやり方です。ホームスクールなどで、子どもの興味を見極めた保護者がとことん付き合ってあげるケースもこちらになります。ただ、小学生くらいで複数の子どもがいるクラス環境でテーマだけ渡して好き勝手にやりなさい、となってしまうと深める力やリサーチ力などのスキルを上げるには適さないため注意が必要です。
 また、実は「遊び」も私はオープンな探究と私はとらえています。
 子どもたちが(特に大人が介入しない場で)遊ぶ姿を観察するとよく分かりますが、子どもたちは集まって、「何をしようか」と始まります。だれかが楽しい遊びを思いつき、それをみんなで遊び、改善したり改変したりして遊び続けます。幼児期だと一人で遊んでいるところに他の子どもたちが集まってくることもあります。そして、つまらなくなると、なんとなくバラバラになり、また新しい遊びを考えだして遊ぶの繰り返しです。これが探究のプロセスでなくて何なのでしょう。そして、その軸は「楽しさ(Fun!)」です。当人たちは当然ながらそれを探究だなんて思ってはいないでしょう。でも楽しさを軸に自走する力強さは、学校でやる探究とはまた違ったものがあります。そして実は仕事を楽しむ大人にもこの探究の形がみられると思っています。「仕事=遊び」の人たちですね。
 こうして各レベルにおける探究を見ていくと、より非構成な探究のほうが優れているとかそういういう話ではないことが分かります。
 構成された探究であっても考えぬかれた環境の設定と活動の中で、子どもたちは適切な刺激を受けることで自発的に問いをもち、のびのびとグループワークの中で自由に自らの意味合いを構築していくようには可能です。だからこそ教師がその時と場合、自分自身の個性、および子どもたちの様子を見ながら自由に選択できるようになることが重要なのです。

<最後に:力強く探究の輪を回せるように>
 さて、先ほど「遊び」も探究だと言いましたが、弱点もあります。遊びは主体性やクリエイティビティをはっきりするには最適な一方で、中心軸が「楽しさ」のため、重い車輪、より大きい車輪を自ら回すようにするような負荷のかかることはなかなか自発的にしにくいです。また自分の身の回り限定的スキルをベースとしたものになり、新たな知識や経験を広げていくには向きません(一握りの内発的動機の非常に強い子どもはそのままその探究の幅を大きく広げ、深めていくケースもあります)
 もし子どもたちが将来幸せに生きていくことを目指すのであれば、様々な探究の輪を回していくことで、自分が将来的にどの輪をどの軸で回したいのかをヒントを得、だんだんに重たい車輪を回してみんなの役にたっていくことが必要になります※。
 そして、実はこうした重い車輪を回すような探究のためには、その土台に「国語」「算数/数学」のような基本学力が極めて重要ですし、好奇心、自己肯定感、批判的思考力、コミュニケーションやコラボレーション能力、表現力のような非認知スキルも必須です。「プログラミング」「英語」のようなスキルも「探究」の下支えになります。
 子どもたちはこうしたベースとなる基礎力に加え、下記のような「探究する力」を身につけていくのです。

●軸を設定する力
→問いを設定する能力、課題設定能力、概念を把握する力
●より大きく重い車輪を回す力 
→レジリエンス、協働する力、仲間を巻き込む力
●新たな車輪を設定し、学び続ける力→一旦の解に辿りついた後、また新たな車輪に挑戦し学び続ける力

 つまり、自らの問いや仮説を設定し、自分の軸を見つけ、時には思い通りにならないことに耐えたり(レジリエンス)、自分ができないことは人の協力を仰いだり(コラボレーション)したりして、人はだんだんに力をつけ、自由になっていけるのだと思っています。
 遊んでばかりではきっと自由になれない、でも人生が遊びだと思えるほどでないときっと自由でもない、そんな感じでしょうか。全ての子どもに「自由」を願って、今日はこの辺で。

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