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アイドル50年史⑧1985年

「おニャン子とスケバン刑事と毎度お騒がせと六甲おろしとKKドラフトと、日航機と、、」


さて、私はこの時社会人3年生の大学2年生ということで、

仕事に慣れてきたというよりも、仕事を結構舐め腐るようにもなっておりました。遅刻常習犯(公務員のくせに)で、勤務時間中に漫画を読み(公務員のくせに)、さらにウオークマンでアイドルの曲を聴きながら、後輩職員に仕事を押し付けて正に「税金泥棒」生活を華々しく送っておりました。

当時、こういうタイプの人は結構いて、割とそういう人の方が仕事が出来たりしておりました。自分はどうだったかわかりませんが。

この年の最大のニュースは「日航機墜落事故」でした。

なんか、夏休みとって帰省していて、昼から酒のんで酔っ払って頭がぐるぐるしている時に、母親から坂本九さんが大変なことになったとかを知らされたようなことを思い出しました。

その時の私はまだ、生まれてこの方一度も飛行機に乗ったことがなく、この事故を知り、絶対に一生飛行機には乗らんと心に誓いつつも、その7年後、沖縄に出張に行くことになり出張担当者に「船とかなんとか橋をかけともらうかとかじゃだめか?」と尋ねるも秒で却下されておりました。まぁ実は船も苦手なんですが。船が浮かぶのも、飛行機が飛ぶのも恐らく精神力だと思ってます。

とかなり余談になってしまいました。

芸能界で話題になったのはなんと言っても「おニャン子クラブ」でしょう。

こないだ国会議員になった人も出たり、ソロ歌手で紅白に出場し、大手芸能事務所の男性アイドルグループのエース格の人と結婚した人も出たりとか、かなり現代の令和になっても爪痕を残しているのかなと思います。

秋元康は目の付け所がシャープなんだろうなあ。

個人的には河合その子の「蒼いスタシオン」が代表曲だと思ってます。この人も57歳になるのかあ。

「セーラー服を脱がさないで」は無理やり覚えさせられたような気がします。

おニャン子やAKBにはあまり惹かれませんでしたが、そうかこのあとの30年後の坂道グループに入信してしまうことになるとは、、

秋元康、恐るべし。

むしろ、「スケバン刑事」の方に私は嵌って行きましたね。斉藤由貴も南野陽子も浅香唯も全てどストライクでした。

斉藤由貴はここから、NHKの朝ドラの主役を張って、紅白にも出て、って一気に上がって行ったなと。元々は「ミスマガジン」だったかと。

で、私は何と言っても南野陽子w

一番良かったのは、「スケバン刑事」の前に日本テレビで半年くらい放映された「面白人間ウォンテッド」のアシスタントをやってた時でしょうか。司会は例の「紅白ミソラ事件」の生方さんが、NHKを辞めて、フリーになった初仕事がこれだったかと。

でも楽曲はスケバン刑事の「楽園のDoor」かな。「新しい靴は少しぎこちなくて、確かな痛み引きずるけど、一歩ずつ履き慣らしていく」のフレーズは当時の私の教訓になりました。

南野陽子の人気のピークは1987、8年ですのでその時再度お話します。

浅香唯ももう少し後ですね。こちらは1989年あたりで再度お話します。

で、高校野球は桑田真澄と清原和博がいたPL学園が夏の甲子園は優勝したのですが、面白かったのはこの年のドラフト会議でした。

巨人の「編成担当」って、やはり無双だったのかなと。たぶん、他球団はきっと逆らえないんだろうなと。江川投手の「空白の一日」もそうだし、この年の桑田真澄の一位指名は、本当に決まりかけた早稲田大学側としては失礼極まりない話だよなと思うのですが。しかも監督の王さんは早実出身でその人にそんなことさせるなんてと。

清原は「ハシゴ外された」んだろうな。まさか王さんが指名しないなんて、ってとこもあるのかなと。

まあでも二人とも流石なのは、ちゃんとそれぞれのチームの中心というか看板選手として長く活躍しましたからね。

そして、阪神タイガースがセ・リーグ21年ぶりの優勝を果たし、さらには初の日本一。てか、日本一は未だに後にも先にもこの年しかございません。まあバース様々でしたね。

で、セ・リーグの優勝決定した試合は神宮球場のヤクルト戦で、当時私は夜間学校が表参道にあったので、そうです。丁度優勝を決めて祝賀気分のタイガース暴徒松戸、柏、我孫子、取手支部のみなさんが丁度電車に学校帰りの私と乗り合わせ、私の当時住んでいた柏駅まで「六甲おろし」を無理やり聞かされながら、胸糞な状態で公務員独身寮の帰途についたのでした。

で、あとはまた芸能界の別の意味での衝撃はTBSの学園下ネタドラマの「毎度おさわがせします」でしたね。

個人的に感心したのは、板東英二の演技力でした。元プロ野球選手ではなく一流のバイプレーヤーだなと思いました。

まぁ、中山美穂がカワイイ顔して下ネタをバンバン言うシーンは、たぶん現在では放送できないんだろうなと。共演の木村一八もこのドラマが一番いい感じでしたね。

中山美穂は、同年に「夏・体験物語」というドラマでも主演し、「私、処女じゃないのよ」というセリフはメシウマでした。このドラマの主題歌「C」がデビューシングルで、この曲でレコード大賞最優秀新人賞を取りました。個人的には本田美奈子を応援していたのですが。

レコード大賞は中森明菜の「ミ・アモーレ」。発表のプレゼンテーターが落合博満と美保純って、どういう取り合わせだよとは思いましたが。

あ、そか。ブロ野球はセ・リーグもパ・リーグも三冠王が出て、それがバースと落合だったか。

さて、私のこの年の代表曲は、石川秀美の「もっと接近しましょ」です。石川秀美の「第二波」をこの曲で感じました。「82年黄金世代」では中森明菜がレコード大賞を取り突き抜け、CMなどのメディアでは小泉今日子が抜き出てきて、松本伊代、堀ちえみ、早見優も安定期に入って来たとき、ここで辺見マリ以来の脚線美で勝負を掛けてきて、「もっと接近しましょ」なんて言われたら、そりゃあたしゃ黙って座ってられませんでした。

80年組は、河合奈保子と柏原芳恵は完全に竹内まりやと中島みゆきの伝道師にそれぞれ生まれ変わっています。

そして、松田聖子は神田正輝と6月に結婚し、アイドルを超越する存在になりつつありました。

他にも何かあったような。結構この年は個人的にも色々とありすぎて、まぁ思い出したら追記します。

今回はここまでとします。

GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ


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