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張り合うのではなく讃え合う

 張り合うのは破滅の先立ち、讃え合うのは栄誉の先立ちです。私たちは間違い続けてきました。自由・平等・博愛を掲げますが、その行き着くところは、規制と監視社会、富めるものと貧しい者の超階層社会、選ばれし者に対する偏愛なのです。

 第二次世界大戦終了後、連合国は、日本本土を分割統治しようとしました。

 ソ連は、北方四島と北海道占領計画を持っており、またアメリカもイギリス、ソ連、中国の連合国での分割統治する案を検討しましたが、結局、日本占領は分割占領でなく、日本国政府を介した間接統治となりました。

 「ドイツや朝鮮半島のように東西や南北に分割されず日本はラッキーだった。アメリカはなんて優しいんだ」と分割統治された国の悲惨さを知るようになった戦後の日本人は胸を下ろします。

 ところが、日本も形を変えて分割統治されていたのです。そう、政治・経済・軍事は西側の自由主義を、思想・教育は東側の社会主義で分割統治されていたのです。身体(政治・経済・軍事)は西側、頭(思想・教育)は東側、というキメラ(異質同体)が誕生したのです。

 「万世一系」と「一君万民」という國體は維持されましたが、夫婦、家族、職業集団など共同体は解体寸前です。「夫婦別姓」「家督相続の廃止」により、夫婦、家族ともに「自我」を主張し合うようになり、自分さえよければ“他人”はどうなってもいいという考えを持つ人が増えたのです。伴侶、家族でさえ“他人”です。困っていたらお互い支え合うと言う発想はありません。

 かつては家族の延長線上に「企業」がありました。企業内組合、年功序列、終身雇用といった「日本型経営」も、グローバリストによるルール変更を余儀なくなれ、破壊されました。

 グルーバル化の旗印のもと、株式持ち合いが解消され、外資が雪崩の如く参入してきました。株式持ち合いと含み資産により、これまで日本の企業は欧米のように短期的な結果を出す必要がなく、長期的な視点で経営にあたることができたのです。経営の舵取りを誤っても、大株主が保険会社や銀行ですから、「もうちょっと様子を見てはどうですか」で案件が軌道に乗るまで見守ってもらえたのです。莫大な含み資産がありますから、多少の損失は織り込み済みです。

 今や大株主は外資です。結果が出せなければ経営陣の首は挿(す)げ替えられますし、「物言う株主」の要望は、経営の根幹を揺るがす決断を強いられます。ヨーカ堂のもの行く株主が、衣料事業の撤退とセブンイレブンの分離・独立でした。セブンイレブンから分離・独立されたスーパー、GMS事業は赤字に転落し、二束三文で外国企業に売却されるのです。

 天は我々人間に、神の子としての意思を授けてくれました。それは、讃え合い、人間愛を深め、人間愛を成就させるためです。その意思を達成するために、相反する2つの意思を創造したのです。一つは、宇宙の摂理に融和して、讃え合う意思です。もう一つは、我利我欲、自分さえよければ他人はどうなったっていいという悪魔の意思です。天は、この2つを人間に内在させることによって私たちに修行させているのです。

 人間は苦を与えられるから、障害物を与えられるから頑張り、それを乗り越えて成長し、別次元で問題を解決するのです。楽して儲けたい、特権を得たいと思う、その邪な心と戦いに打ち克ち、愛し愛される人間になるのです。そこに喜びがあり、生きる証があります。

 聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条に、「和をもって貴しとなす」とあります。1300年前に、それを憲法の、しかも第一条に掲げて国家経営の指針とした国が、ほかにどれほどあるのでしょうか。

 「国際連合(国連)」の主要な目的の一つは、国際の平和と安全を維持することであります。「国連」はthe United Nationsが正式な名称です。the United Nationsは、第二次世界大戦での組織した、戦前の国際連盟(the League of Nations)とは全く関係のない新しい期間なのです。the United Nationsを「連合国」とすればいいのに「国連」としたのは意図的な誤訳です。

 つまり、日本が戦った相手が「国連」だったのです。国際の平和と安全の維持というのは嘘っぱちで、各地で戦争の火種をばら撒き、それに火をつけ大儲けしている輩(やから)の傀儡機関なのです。その輩とはグローバリストです。

 日本は大昔から、お互いを讃え合う「神の国」だったのです。神の子をけしかけ、張り合い、殺し合う、邪悪な意思を植え付けようとしているのです。

 善は悪に一旦破れます。そして復活するのです。失われた30年と言われる間、「家族」「日本型経営」は破壊されました。しかし、技術やノウハウ、企業だけでなく国土も外国勢に叩き売られました。今や日本国民はグローバリストの奴隷です。

 そして、やっと気が付き始めたのです。張り合うことをやめればいいのです。グローバリストの手先になった人たちを羨むのではなく憐れむのです。「それが世界の趨勢ですよ」「国際会議で決まったことですよ」と言われても、「それがどうしたといいのですか」「手本を見せてください。しばらく様子を見てよさそうだったら検討させていただきます」で行こうではありませんか。

 すべてほどほどがいいのです。龍安寺の茶室前にある手水鉢は「知足の蹲踞(つくばい)」と呼ばれています。知足とは「足を知る」という意味で、人間の欲を戒める言葉として禅宗のお寺などでよく引用される言葉です。

 世界の億万長者の資産は10兆円とも呼ばれています。日本の国家予算は2023年度114兆3,812億円です。その方は60歳を過ぎていると思います。仮に残り20年間、酒池肉林の生活をしても1兆円も使いきれないでしょう。病気になって死んでしまうかもしれません。

 イギリスの人気作家ジェフリー・アーチャーの小説に「チェルシー・テラスへの道」があります。主人公は八百屋の少年。八百屋というより、店を構えられない露天商の祖父を持つ少年です。

 タイトルのチェルシー・テラスとは、一番の高級な通りで、そこに店を持つことは商人の夢でした。他の職業に就くチャンスもなかった貧しい少年は、祖父の見よう見まねで八百屋からスタートし、紆余曲折を経て大成功を収めます。ついにチェルシー・テラスに大きなデパートを構えるまでに出世するのです。息子も社長になり、自分も会長として、働かなくても悠々自適の生活。でも、目的を達成したのに、なぜか寂しい。

 ある日会長がいなくなります。会長はどこ?たまたま道で見かけて後をつけると、会長は祖父が商売をしていた通りで、祖父同様の粗末な身なりで、道行く人に野菜を売っていたのです。その顔は幸せそうに輝いていたのです。

 会長は人生の大半を張り合って生きてきました。手に入れたのはビジネスでの大成功です。でもそれだけでは、なぜか空しいのです。

 人に喜んでもらうこと、人の役に立つことそれが人生の目的です。張り合うこと、殺し合うことではないのです。讃え合い、譲り合いながら、問題を解決して魂を成長させることなのです。

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