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コミュニケーション〜わが家の手当

「コミュニケーション」と聞くと、まず思い浮かぶのは「会話」。
それは、動物の中で唯一、人間の特権であり、お互いの気持ちを伝え合う最良の手段。
しかし、それだけでコミュニケーション→相手へ気持ちは伝わるのだろうか?
マスク生活の昨今、表情が読み取れず、「会話」だけではコミュニケーションが成り立たない気がしている私は、意識して、やたらと身振り手振り、ジェスチャーを取り入れている。相手へ少しでも気持ちが伝わるように。

さて、5人家族のわが家のコミュニケーションは、会話はもちろんのことだが、「手当=スキンシップ」による、コミュニケーションを大事にしている。時節柄、オススメはできないが、試す価値はあるだろう。

わが家には、中学生1人小学生2人の三兄弟がおり、小さな頃から「愛情表現」も兼ねたスキンシップは大切にしている。
事あるごとに、事がなくても、近寄っては肩に触れたり、ギューッと抱きしめたり、チュッとしてみたり、、、。
とにかく「相手に触れてみる」。
しかし、年齢が進むにつれ、残念ながら嫌がる傾向、、、今中学生の上の子は、あからさまに嫌そうな顔をする。
母は全く気にならないのだが、、、成長過程は難しい。それでも負けじと、私は「加減」しつつ、彼らに触れている笑

1日の中で、特に意識してする「スキンシップ」は、子どもたちが朝起きてきたら、まず肩に触れ「おはよう」と声をかける。返答ないこと多いが、気にしない汗。
また、子どもたちが出かける際は、肩を撫でながら「いってらっしゃい!」と送り出し、「今日も無事で!」と見えなくなるまで見送る。
この時、必ず手を振ってくれるのが、小学高学年の2番目のお子。たまらなく、かわいい笑。
そして、1日の締め→寝る前に「今日もよく頑張ったね!ありがとう!おやすみ」と声をかけ、中学生の子へは肩を撫で、小学生組はハグをしてから、床につく。
ちなみに、寝静まった彼らの顔を、たまに撫でていること、、、本人たちは知らないだろう笑笑。

※もちろん?主人へも同じ「手当」を「心がけて」いる。忘れること多々だか、何時ぞやから始まったプラスα→彼へは毎朝「おはよう」とともに「今日も一日、よろしくお願いいたします」と正座してご挨拶。お陰さまで?ケンカもするが、それなりに関係は良好、、、だと認識しているのは、、、私だけでないことを願う!?

最低でも1日3回の一方的なスキンシップ。
私の自己満足かもしれないが、手当→手を当てるだけで、言葉以上の「何か」が伝わるのでは、、、と信じ、今も続けている。

その甲斐あってか、お年頃のお子たちも、何かとお話はよくしてくれる。
相談事から愚痴、その日の出来事、蘊蓄、、、など、内容は様々。
私の定位置→台所で何となく会話が始まる。嬉しいことに、お子たちが代わる代わる台所に、、、決まりはないのだが、不思議と1人1人交代で現れる。そんな時は必ず手を止め、目を見て話を聞くよう、心がけている。どんなに忙しくても。
彼らの悩みや困りごとが見えてくる、大切な時間。
そのうち、口も利かなくなるのだろうが、今はコミュニケーションとして、成り立っている。

中学生の上の子は1日3回のみだが、小学生組2人はまだまだ私のスキンシップを笑顔で受け入れてくれている。
時には、お子たちからすり寄ってきてくれたり、「ギューっとして!」など言葉にしてくれることもある。そんな時は、ここぞとばかりに、ギューっとして、「大好きよ!」と伝える。
きっと、上の子のように、すぐにそんな時期は過ぎ去るのだろう。
でも母は、あなたたちがいくつになっても、肩を撫でたり、ハグしたり、、、言葉以上の「何か」をスキンシップで伝え続けたい。

昨今のコロナ禍で、会話も儘ならない中、スキンシップなどもっての外かもしれない。
でも今だからこそ、家族だからこそ、できるコミュニケーション=手当を、わが家ではこれからも続けたい。
1日も早く、マスクなしで、友人や知人とも、スキンシップ手当をしながら、コミュニケーションをとれる日が訪れることを願いながら、今日もわが家は、言葉以上の何かを伝え合う。

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