針とら 虎の巻

『針とら 虎の巻』という謎のWordファイルをもっている。
デビュー以来、苦労したときや迷ったときに、考えたり悩んだことを、言語化してまとめたファイル。俺の俺による俺のためのアバンの書。

何年かぶりに見返していたら、ああ、そうだよなぁ…としみじみ思ったので、いくつか紹介しておく。

『モチベーションの項

・「やりたいこと・描きたいこと」を「編集者・ 読者に受け容れられるように描く」になっているか。
・「編集者・読者に受け容れられる範囲」から「描くことを決める」になってしまっていないか。
・「おもしろいと思ってもらう → それを売れるようにする」になっているか。
・「売るためのものを書く」になってしまっていないか。

これは商業で一番はじめにぶちあたる問題。
本を出すことそのものが目的になっちゃうと、気持ちがどんどんつまらなくなっていっちゃうので、なにをやりたかったのかを見失うんじゃねえぞ、っていう戒め。

『児童書の意識の項

児童書は、わかりやすく、明快でなければならないため、縛りが多い。
配慮という形で、拡大するより、収縮する方向へ意識が働きやすい。
ジャンル自体がそうである以上、せめてお話の骨組みについては、拡大するものの方がよい。
短編より長編、シリーズより単発ものの方が、自由な意識で物語ることができやすい。
長編は頭でキャラで考えられるが、短編はセンスで語り口で考えている。

僕はデビュー前までは一般文芸?を書いていたので、児童書をやるときにだいぶ作劇の感覚を変えたのだが、そのときにすごく気持ちが窮屈になっていっちゃった。
どうすれば窮屈じゃなく、かつうまく適応できるかしらん、というのを考えていたもの。

『企画・発想法』 -> 自分の特性』の項

僕が面白いを育てる発想の根っこは、「キャラの関係性」か「状況」、もしくはその両方。
「設定」「舞台」「トリック」などから発想していることに気付いた場合は、気をつけること!
「世界観が異質・キャラは等身大」が僕の持ち味?
キャラが異質・世界観は等身大、は、たしかに向いてない。

これは自己分析や、編集者からいわれたことから、なにが自分の持ち味なんだろ? っていうのを考えていたやつ。
発想の1番めを間違ってしまうと、たいていうまくいかなくなる。

『物語の形』 > 『シリーズの注意点』の項

シリーズものでは、企画の段階でお話の形を強く規定しすぎない方がいい。
企画段階でお話の形を強く規定しすぎると、広げるよりも、発想が縮こまっていく。
箱としてベースがありつつも、アソビがあった方が、作品世界を広げる方向に考えていける。
企画としての明確さ・強さと、相反関係があるので痛し痒しだが、縛るなら、なにか1点だけ。

せまくするどくした方が企画としてパッと目を惹くけど、自由度がなくなって作劇がつじつま合わせになっていくよなぁという考えから。
このへんのバランスのさじ加減はいつまでも課題。

『打ち合わせ』の項

【ラフ段階】
 ざっくりとした方向性のもとで、イメージの呼び水になるようなアイデアを出す段階。
 この段階でキャラやシーンの内容を固めてはいけない。
 ブレインストーミング。わくわく感が大事。
【プロット段階】
ラフに従って、仮のキャラやシークエンスをつくって、全体イメージを共有する段階。
キャラとシーンは方向性だけ固める。具体的に固定しちゃだめ。

原稿に入る前の段階で、だいたい勝負が決まっちゃうと思っていて。
面白さの上限値が、そこで決まっちゃうというか。
改稿で上げられるのはせいぜい5~10点なので、20~30点アップさせようと思ったら、ここの打ち合わせのクオリティをあげられないとどうにもならねえんじゃねえかしらと。


こんな感じで、ぐつぐつ煮込んだ思考がいろいろ書いてある。

見返していまだに「そのとおりだよなぁ…」って思うってことは、自分がぜんぜんそれを身にできてないってことで、ちょっとかなしい。

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