自分を定義する言葉
子供のころ、「○○くん/さんってどんな子?」と自分のことを指して訊かれたときに、どんな子だと言いあらわされていただろうか。
僕の場合は、ほぼ100%、「頭がいいやつ」だった。
小学校低学年のころから、中学生まで。
クラスメイトも、先生も、親戚も、ほとんど例外なくそう言われた。
僕は、それが、あまり好きじゃなかったのだ。
「面白いやつ」って言われる子が、うらやましかった。
だって、「頭がいいやつ」は能力を評価されてるけど、「面白いやつ」は人間性を評価されている。
「○○くんは、面白いよ」のあとには、「だから○○くんのこと好き」が隠れているけど、
「○○くんは、頭がいいよ」のあとに隠れているのは、「まあ自分には関係ないけどね」だ。
そいつのことにまるで興味なくても、テストの点数だけ知ってれば出てくる言葉。
みんな自分のこと、興味ねえんだろうなぁ。
なんかほかに、ないのかよ。自分、めちゃくちゃ、薄っぺらい人間ぽいじゃん。
気持ちをはっきり言語化できていたわけではないけれど、それはたしかに子供のころの、自分のコンプレックスだったと思う。
高校生になって僕が入学したのは、県で一番の進学校だった。
とうぜん、まわりには僕より頭のいいやつがたくさんいた。きちんと勉強していなければ、成績はどんどん落ちていく。
で、僕は成績を落とした。むしろ自分から落としにいった。赤点をとりまくった。
自分を定義するべつの言葉を探したかったのかもしれない。思春期とはそういうものである。
頭のいいやつではなくなって、そこには何が残るのか。
なんにもなくなっちゃうのか。無である。
クラス替えするすこし前に、『なんでもトップ3』の集計があった。
文集にまとめる、よくあるクラスのなんでもランキングだ。
そのときの僕の順位が、これだった。
「学級日誌が面白かったやつ 1位」。
日直がその日あったことを書き記す学級日誌に、ネットから拾ってきたしょーもないネタを書いて、クラスメイトを笑わせていたからだ。
「頭がいいやつ」を取っ払って、出てきたのがそれで。
僕はたぶん、結構うれしかったんじゃないかなあ。
で、なんのかんのあって、いま、作家業をしている。
作家になった原点とか、わりと、そんなもんなのかもしれないなぁ……などと、以前みずのまいさんのなんでもトップ3の話を聞いて、思いだしたことを思いだして書いた。
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