電車に揺られて辿り着いた希望の方角
※2022年の4~7月に書いたまま、下書きに2年以上放置されていたnoteを今更公開します。
3月24日。乃木坂46北野日奈子卒業コンサートに行ってきました。
そして北野日奈子は、乃木坂46を卒業しました。
私の推しは齋藤飛鳥ですが、北野日奈子はその次に活動を追いかけてきたメンバーです。所謂、2推しという存在でした。
私にとっての「推し」の定義は、「グループで一番好きな人」であると同時に、「”憧れ”と”救い”」です。感情の強弱で考えると、飛鳥ちゃんが”憧れ”で日奈子ちゃんが”救い”でした。これについては、また別のnoteで詳しく書きたいと思います。
7年間応援してきた子だったので、以前から活動を振り返える文章を書こうと思っていました。そのタイミングで彼女の乃木坂46での活動全てが詰まったLIVEを見てしまったので、LIVEの感想も組み込んでいくことにします。(もう2年以上前…。)
このnoteを書くにあたり、改めて日奈子ちゃんのインタビューやブログを読み漁りました。その時の感情をファン隠さず見せてくれていた子だったので、本人の言葉も振り返っていきます。
では、『私から見た北野日奈子の乃木坂46としてのアイドル人生』と『北野日奈子は、私にとって”救い”だった』ことについて綴っていきます。
※〇 ←曲順『曲名』は、北野日奈子卒業コンサートのセットリストです。
赤い炎
北野日奈子は、16歳の時に乃木坂46の2期生として加入した。天真爛漫という言葉をそのまま体現したような子で、安直な比喩になってしまうが、本当に乃木坂の太陽だったと思う。
私が日奈子ちゃんを好きになったきっかけは、推しの齋藤飛鳥と仲が良かったから。飛鳥ちゃんのペアといえば、現在は遠藤さくらや梅澤美波などの名前が挙げられる。しかし昔は飛鳥の鳥と日奈子のひなから親子丼として、仲が良い姿を見せてくれていた。飛鳥ちゃんは日奈子ちゃんの隠していた笑顔の裏側に気付き、優しく寄り添ってくれたという。学生時代の部活のように、苦楽を共に過ごした経験は友情が一気に深まるものだ。
最近は2人とも年齢を重ねて落ち着いたことで、カメラの前で仲良しアピールをすることはなくなった。また卒業コンサートはアンダーメンバーのみで行われたため、最後に2人が並ぶ姿を見るという念願は叶わなかった。とはいえ飛鳥ちゃんも寂しいのか、卒業前は各所で日奈子ちゃんとの絡みを見せてくれた。特に『乃木坂的フラクタル』新CM発表会で、飛鳥ちゃんが日奈子ちゃんの『日常』を踊っている姿がカッコいいと公の場で言ったことは、飛鳥ちゃんの日奈子ちゃんに対する想いの強さを感じたし、変わらない関係であることが垣間見れて嬉しかった。
そんな齋藤飛鳥と北野日奈子は、全てが正反対である。飛鳥ちゃんが青い炎を燃やしている人だとすれば、日奈子ちゃんは赤い炎を燃やしている人。パフォーマンスも、飛鳥ちゃんが柔らかく曲に潜水する表現力ならば、日奈子ちゃんは激しく曲と火花を散らす表現力。
乃木坂は内に秘めている青い炎を静かに燃やしているタイプが多いと思いっている。その中でも日奈子ちゃんは、ずっと赤い炎をバチバチと燃やし続けている異質な存在だった。
日奈子ちゃんは「選抜メンバーになりたい」「フロントで踊りたい」と明確な意思や目標を公言しながら、圧倒される程の貪欲さと執念で日々邁進していた。いい意味でガツガツしていて、常に闘争心むき出し。目標や夢が見つからず努力の矛先が迷子状態だった2017年当時の私は、そんな日奈子ちゃんを羨ましく見ていた。
そんな選抜への想いが誰よりも強い日奈子ちゃんが選んだ1曲目は、彼女が初めて選抜メンバーに選ばれた7枚目シングルの表題曲。①『気づいたら片想い』だった。
不遇
人生とは、「もしもやり直せるならどこまで巻き戻そうか」の繰り返しだと最近感じる。2曲目はその歌詞が繰り返される ②『あの日僕は咄嗟に嘘をついた』だった。2期生の中でも2番目に早く選抜に選ばれた日奈子ちゃんだったが、その後の活動は順風満帆とは言い難いものだった。③『ハウス』や ④『ロマンスのスタート』の曲調ような晴天のように澄んだ笑顔だった彼女に、徐々に雨雲が押し寄せてくるようになる。
LIVEは彼女の逆境アイドル人生の始まりとなった曲が歌われていった。選抜とアンダーの狭間を彷徨う難路なアイドル人生が始まった8枚目シングルアンダー曲 ⑤『ここにいる理由』、2期生が誰も選抜に選ばれなかった13枚目シングルアンダー曲 ⑥『嫉妬の権利』、報われない運命を悟り始めた12枚目シングルアンダー曲 ⑦『別れ際、もっと好きになる』。そして⑧『不等号』、⑨『風船は生きている』、⑩『ブランコ』。この3曲は、日奈子ちゃん、渡辺みり愛、寺田蘭世と、2期生がセンターを務めたアンダー楽曲である。
北野日奈子を語る上で欠かせないのは、2期生としての葛藤だ。2期生は乃木坂46結成から約1年半後の2013年3月28日に加入した。しかし発表後すぐに正規メンバーとして活動するのではなく、研究生としてレッスンを受けることになった。そんな中加入年の秋にシングル表題曲「バレッタ」で、2期生の堀未央奈がセンターに抜擢される。そこから2期生の足並みが揃わなくなっていく。最終的に2期生全員が正規メンバーへと昇格したのは、お披露目から実に1年9か月後のことだった。乃木坂46史上で研究生制度が導入されたのは、後にも先にも2期生だけである。
日奈子ちゃんは7枚目シングルでの初選抜以降、暫くの間は選抜落ちが続いた。しかしアンダーでも着実に人気と実力をつけていく。元気なキャラを活かしてバラエティーで活躍したり、zipperの専属モデルにも抜擢されたり。目標である選抜を諦めず、乃木坂と正面から向き合っていた。
そして15枚目シングル『裸足でsummer』で、7作ぶりの選抜復帰を果たしした。2015年2月22日のLIVEで全員が正規メンバーとして昇格し、2期生はこれから。選抜に返り咲いた日奈子ちゃんも、「もう助走距離の歩幅は数え終えたから、あとは大きく飛び越えたい」と意気込んでいた。その言葉通り彼女は3作連続で選抜に選ばれ、堀未央奈に続く2期生のNO.2のポストを確立していく。
しかし2期生が波に乗ってきたタイミングで、乃木坂46に新しい風が吹き始めた。2016年9月4日に3期生が加入し、2017年8月発売の18枚目シングルで3期生の2人が表題曲のセンターに抜擢。その2017年夏の神宮で行われた全国ツアーでは、期別LIVEのコーナーが設けられた。機会に恵まれなかった2期生にとって、その期別LIVEは加入から4年半にして初の2期生という括りでの活動だった。
一方2期生の後に加入した3.4.5期生は、すぐに期生単位で活躍の機会を与えられた。現在ももはや1つのグループとして、別働隊のように活動していることが多い。その理由は明確で、3.4.5期生が加入したのは立派な城を築き上げた後の乃木坂46だから。アイドル戦国時代で白星を勝ち取り、経験を積む場を用意できる余裕がある状態のグループ。2期生が加入したまだ懸命に牙城を形成している乃木坂46とは全くの別物。2期生は1期生が賢明に坂を駆け上がっている真っ最中に加入した。1期生に同志と言われる程、一緒に乃木坂を築き上げてきた存在である。しかしそれ故に、スポットライトが当たる場所は狭い上に1期生で渋滞中。そのため順当にチャンスが巡ってきたとは言いにくく、1期生と2期生の間にある不均衡さが時が経つほど顕著になっていった。そこに3期生が加入したことで、2期生は先駆者と新参者の板挟み状態に。この摩擦が、彼女達が置かれる立場を複雑にさせた。
こうして大好きな乃木坂が徐々に彼女から離れていくことに。またこの頃から2期生に”不遇”という言葉がクローズアップするようになる。
2期生は、自分たちを「どうやってもストレートに進めない」と言う。しかし”不遇”と呼ばれる物語を受け止めながらも、与えられないのであれば自らの手で切り拓いてやると邁進する。そして明快な見通しが見えずとも、それぞれが自らの努力と実力で乃木坂の枠からはみ出し、様々なジャンルの境界線を飛び越えていった。伊藤かりんは将棋、伊藤純奈は舞台、新内眞衣はラジオ、鈴木絢音は読書、佐々木琴子はアニメ、山崎怜奈は学力など。足並みを揃えてチャンスを掴むことの難しかった2期生だからこそ、積み上げてきたキャリアは誇るものになっている。彼女たちは乃木坂46の色を持ちつつも、いい意味でグループとは交じり合わない個の色を有していた。
そんな中で日奈子ちゃんは、モデルで活躍しながら2期生という枠組みからの脱却を目指していた。先輩に紛れて乃木坂の先頭に立ち続けながら2期生を主張し続けている堀未央奈に続いて、2期生だからと先輩に甘えず、着実にグループの中核へと近づく準備をしていた。グループの垣根を越えて様々なジャンルで活躍するメンバーが増えていく一方で、日奈子ちゃんは乃木坂46のグループ活動に集中していたメンバーのパイオニアだったと思う。
彼女たちは、「ウチらって仲は良くないけど、絆だけは深いよね」と自らを語っている。自身が輝ける場所を求め続けた結果、乃木坂の枠を超えて多方面に居場所を確立させた子が集まった2期生は、他の期生とは代えがたい唯一無二の存在価値を見出した。自らの力で道を切り拓いて線を引くことの出来るメンバーだったからこそ、2期生は『ボーダー』のように強い線の集団で、乃木坂のメンバー層の厚さを底上げした存在。日奈子ちゃんが2期生が全員集合したオールナイトニッポンで言っていたように、2期生はそれぞれが独自の武器を携える、アベンジャーズのような集団だと思う。
2期生は逆境の中でも腐らずに努力し続けたからこそ、愛を与えられる強い人達になる。難しい立場を受け入れた上で、後輩が向かい風にさらされた時は風を受ける存在になりたいと、逆境を力強さの裏付けとして重要な伏線に仕立て上げた。メンバー層が厚すぎる故に選抜の門が狭すぎる乃木坂46で、2期生は選抜メンバー以上の役割を果たしていたと思う。
アンダー
18枚目シングルで再び選抜から落ちた日奈子ちゃんだったが、このシングルで初のアンダーセンターを務めることになる。その曲は闇の曲と揶揄される⑪『アンダー』。北野日奈子を語る上で、この曲の存在は欠かせないであろう。
選抜で感じた壁か、アンダー落ちのショックか、この曲でWセンターを務めた中元日芽香の卒業発表か、はたまたこの曲の歌詞か。日奈子ちゃんは、2017年の夏頃からイベントの欠席が続くようになる。座長を務めたアンダーライブ九州シリーズも、公演を欠席することが多くなった。
順調すぎるほどに世間的な存在感を拡大させている乃木坂46の中で、葛藤や焦燥の溜まり場となっているのがアンダーという存在。しかしアンダーライブが紡ぐ文脈には、選抜メンバーを凌駕する勢いを見せるパフォーマンスによって、常に希望が託されてきた。彼女達の賞賛されるパフォーマンスも、一朝一夕に獲得されたものではない。アンダーだけでのライブを重ねてゆく中で、水準をさまざまな面で底上げしてきた賜物である。
舞台あさひなぐに出演していたことから、日奈子ちゃんは19枚目で選抜メンバーに選ばれた。そして多くのメンバーが出演した舞台『あさひなぐ』でやり切るも、次のシングルでは舞台の出演メンバーの中で唯一彼女だけが選抜メンバーに選ばれなかった。結果的に両センターを体調不良に追い込んだ「アンダー」は、当分の間はアンダーライブですら披露されることはなかった。
2020年12月に行われたアンダーライブ関東シリーズで、北野日奈子は初めて座長を務めた。そのライブ中に彼女は、「自分で光を放てるのがアンダー」だと言った。
広辞苑でアンダーという言葉を調べると、「下の」という意味の次に、「写真用語で露出不足または現像不足」と出てくる。まさにアンダーメンバーは、選抜という光り輝いている場所の影に立っている見えづらい存在。
私は”選抜メンバー”は乃木坂46を広げる存在であり、”アンダーメンバー”は深みを持たせる存在だと思っている。選抜メンバーは歌番組や雑誌など、乃木坂の華やかさを持ってグループを世間に広めている。一方のアンダーは、乃木坂という扉を開けてみた人の手を、力強いパフォーマンスで一気に引っ張って虜にしてしまう存在だと思う。長い目で見れば選抜というのはただの肩書きだと感じるし、実際に日奈子ちゃんは選抜常連メンバーと同等の存在だったと思う。卒業後も3期生久保史緒里や5期生奥田いろはなどに強く残る存在となっており、乃木坂46卒業後も彼女の魂は継承されていくだろう。
20枚目シングル期間は休業していたが、46時間TVでのサプライズ復帰、2期生MVにこっそり出演、生駒卒コンにサプライズ登場と復帰に向けて少しずつ動きだし、そして基本的に選抜とアンダーに分かれて、2会場同時で行われたシンクロニシティライブ。本格参戦ではないものの、日奈子ちゃんはアンダー側として参加していた。神宮ライブで選抜側が齋藤飛鳥ちゃんセンターの「裸足でsummer」で盛り上がる裏で、アンダーが披露したのは「アンダー」。闇曲とまで言われた曲の封印を解き放ったのはこの場所だった。「アンダー」を披露するという判断、「アンダー」のセンターを休業明けの日奈子ちゃんに務めさせるという判断、そして堂々たる姿で「アンダー」を披露する彼女。それら全てを乗り越え、完全復活を果たした彼女の姿があの場所にはあった。
21枚目はアンダーとして活動、札幌アンダラにおいて北野日奈子の22枚目アンダーセンターが発表される。与えられた楽曲「日常」は、メッセージ性が強く、復帰後の彼女は気が滅入ってしまうのではないかと不安になった。しかしそんな心配も必要なかったと気づくのに、そう時間は掛からなかった。北野日奈子の強さとセンター適性は圧倒的で、「日常」が北野日奈子の、アンダーの代名詞となった。ダンスが苦手で私のせいで何度も2期性全員でやり直したと話す過去からは想像できないくらい、彼女のソロダンスは全身全霊と言葉を体現するかのような圧巻のパフォーマンスだった。アンダーライブは、逆境から生まれたコンテンツそのものである。日奈子ちゃんが苦手だったダンスを堂々と踊ることで、その意義を証明したのではないかと思う。
乃木坂46には日奈子ちゃん以外にも、体調不良などの活動休止期間を乗り越えて活躍しているメンバーが存在する。そのうちの1人である久保史緒里も、この曲でアンダーからのリスタートとなった。その経験が彼女たちの力となり、2人がアンダーメンバーとして揃ったとき、名曲「日常」が生まれた。アンダーはそんな復活の場所なのだ。
この前後で写真集の撮影、発売があったことも彼女に心の余裕をもたらしてくれた要因だったと思う。後のSHOWROOMで「たくさんの愛を与えてもらった」「生きてて良かったと思えた」「撮影スタッフは第2の家族」と語る彼女の姿を見て安心した。また写真集発売というのはアイドルにとって、本当に大きなことなんだと再認識した。そして23枚目で選抜に復帰し、3列目を飛び越えての初福神。休業を経て明らかに強くなって帰ってきた彼女には、誰もが期待をしていたと思う。FODのドラマ10人にも抜擢され、運営が推していきたいという意思も感じた。元々の明るさや可愛さも顕在していて、2期生No.2の座に返り咲いた彼女の未来は輝いていた。
変化
休業から復帰した日奈子ちゃんは、いい意味で丸くなったと感じる。
日奈子ちゃんは、学生時代にいじめられていた過去がある。乃木坂46に応募したきっかけも、この過去が大きく影響していた。自分が辛い思いをした人ほど、他人の痛みを分かってあげられる。日奈子ちゃんを見ていて、それを強く感じていた。
日奈子ちゃんはオススメの小説を聞かれた時に、『西の魔女が死んだ』を度々挙げていた。人間関係で悩んでいた学生時代に、お母さんがオススメしてくれて読んだという。その小説の中で不登校の女の子におばあちゃんは、「自分が自分らしくいれる形で自由に生きていくことは何も悪いことではない」と伝えた。自分が置かれている場所に固執するのではなく、もっと自由に生きる方法を探してみてもいいのかもしれない。同じく人間関係で悩んでいた高校生の私も、その当時に読んで心が軽くなった。私の中でも、大切な小説の1つになっている。
冒頭で日奈子ちゃんについて、天真爛漫という言葉を体現したような子で乃木坂の太陽だったと書いた。実際に大きな目をキラキラさせた、純度の高い笑顔の印象を持っている人が殆どだと思う。特に爽やかな衣装でキラキラの笑顔で『裸足でsummer』を踊る姿を見て、日奈子ちゃんの虜になった人が多いだろう。控えめな子が多い乃木坂でも、彩度が高い暖色を放つ珍しいメンバーだった。また最初の特技でフライパン曲げや雑誌破りを披露していたことから、元気でパワフルな印象もある。
しかし、それは“アイドル北野日奈子”であり、“人間北野日奈子”は根暗で繊細な傷付きやすい女の子だった。その両者があまりにも食い違うが故に、求められるアイドル像と本来の自分自身を共存させるのが難しかったと言う。
飛鳥ちゃんも、加入当初は世間一般が抱くアイドル像を目指して、明るく可愛らしく振る舞っていた。しかし自分に合わないと違和感を持つようになり、早い段階で断念して自分の新たなキャラを模索する。そして齋藤飛鳥は、アイドルらしくなくても許容される存在として、アイドルの固定概念から抜け出した。
しかし自分の印象付けが重要になってくるグループアイドルで、確立されたイメージを手放すことは容易ではない。とはいえ、“人間北野日奈子“を捨てて、”アイドル北野日奈子”としての自分を確立させて邁進することも中々出来ない。2期生、アイドル、自分自身に囚われる彼女は、自分自身がどうあるべきかを定めることが出来ずに迷い続けた。
ここまでで、本来の北野日奈子がどれだけ脆くて繊細かを理解していただけたと思う。彼女は自身を「本当に心でしか動けない人間で、自分の感情とか周りの感情が優先してしまう」と語っていた。その言葉通り、ステージの上でキラキラ輝いている姿だけでなく、ひたむきに突き進もうとしながら弱みや葛藤に踠き続ける姿も見せてくれた。
変わることが良いのか悪いのかさえ悩んでしまう状態は、とても辛く苦しいだろう。日奈子ちゃんが言う通り、命令されたことに対して従順に行動した方が断然楽だ思う。しかし、自分で決断しなければ前には進んでいけない。この葛藤は人間誰しもが生きている中で抱いているであろう、”将来の漠然とした不安”と同じだと感じる。どんなに考えても未来は分からないし、思い描く理想の未来は自分自身で切り拓いていくしかない。この葛藤から逃げなかったことが、きっと彼女をここまで強くしたのだろう。そう信じて私自身も、漠然とした不安や消化しきれない悩みを抱えながら、それでも毎日一歩ずつ着実に足を進めていきたい。
継承
2期生は、まだ1期生が自分の立ち位置を確保するのに必死な頃に加入した。1期生が「コンセプトがないのがコンセプト」であることから始まり、清楚な乃木坂らしさを見つける前。完成されたものの中に入ってきて、同じレベルを求められるというプレッシャーは私たちは経験してきてないと、日奈子ちゃんが慕っていた1期生の衛藤美彩が言っていた。また2期生について、同じく1期生の生駒里奈は後輩というよりも戦友と高山一実は同志と語った。1期生が手を広げて迎えてくれる状態で加入した3.4.5期生とは、明らかに環境が違う。そんな必死な1期生を見て育った2期生は、先輩に教えてもらったことをしっかり継承していた。乃木坂46の10周年で発売されたベストアルバム『Time flies』で、メンバーそれぞれが歴代衣装から選んだ3着が映されるカスタムジャケット版が発売された。そこでメンバーの卒業の際に歌われる『サヨナラの意味』の衣装を選んでいることからも、先輩の想いを継承しようという意思が、特に強いメンバーだったということが伺える。
どんなに一生懸命に努力し続けていても、乃木坂46という舞台で主役になれない日々。そんな辛い時期を共にしてきた1期生や同期が、どんどん乃木坂から旅立っていく。そんな中で、彼女は徐々に自分の新しい役割を見出していった。″不遇″というレッテルを貼られ、ただ嘆いていた訳ではない。
彼女は今アンダーで苦しんでいる後輩メンバーに、希望の方角を示し続けていた。3期生向井葉月の「自分の心に嘘をつかなくてもいいということを教わった」という言葉や、3期生中村麗乃の「頑張る意味を教えてもらった」という言葉が、日奈子ちゃんへの最大の賛辞だったと思う。また3期生阪口珠美が「日奈子ちゃんの活動を見ていて、アンダーメンバーとして自信を持って頑張れるようになった」と語ると、日奈子ちゃんは「これか辛いポジションとかを経験することもあると思うけれど、それを乗り越えて」と返した。このメッセージは、全身全霊で乃木坂46で在り続けた日奈子ちゃんにしか言えない言葉だった。
LIVEは、思い出のユニット曲が続いた。日奈子ちゃん含めユニットメンバー全員が、特別な想いを抱いて大切にしていたサンクエトワールの⑫『君に送る花がない』。2期生推しとして乃木坂に加入した4期生の林瑠奈も参加した⑬『大人への近道』、2期生ライブの時に渡辺みり愛が「あまりユニット曲をもらえなかったので大事な曲」だと言っていた⑭『ゴルゴンゾーラ』。数多の星たちも、それぞれの光り方で地上照らす。自分のペースでいい、歩いていこう。まさに日奈子ちゃんが乃木坂で得たものであろうことを歌った⑮『隙間』。自分なんかどうせダメだと思わずに頑張ってみよう。誰かがきっと見ててくれる。2期生のこれまでの道のりや苦悩を表す自伝的楽曲の⑯『ゆっくりと咲く花』。
VTRが始まり、日奈子ちゃんは「未央奈が卒業してから…」と語り始めた。誰よりも乃木坂を大切に守ってきた人が、「私がセンターをすることで、これから後輩たちができるようになれば」と。そして、どうしても歌いたかった曲として⑰『バレッタ』が歌われた。次の⑱『Route246』は、予想外すぎて会場のファンも思わず声が漏れていた。超強引な押し補正ありで、一番最近の飛鳥ちゃんのセンター曲だったからかなと思いたい。とはいえ、この曲は珍しく全員がお腹の出ている衣装で、日奈子ちゃんの乃木坂1バキバキな腹筋が世間に知られて嬉しかった。
次に披露されたのは、白石麻衣がセンターの⑲『ガールズルール』だった。白石麻衣と北野日奈子のペアといえば、乃木坂工事中(乃木坂46のバラエティー番組)での、2期生バレンタインデー企画を思い出す。2期生が1期生を1人選んでバレンタインデーを渡すというもので、1期生が先に貰えると思ったメンバーに挙手するルールとなっていた。勿論飛鳥ちゃんは、親睦の深い日奈子ちゃんから貰えるだろうと、自信満々に手を挙げた。しかし日奈子ちゃんは、「本当に好きなのは白石さんです」と言って白石麻衣を選んだ。その後も立候補しては振ら続けてた飛鳥ちゃんは、終始泣き顔。この出来事は飛鳥ちゃんが一皮剥けたターニングポイントとして、今では語られている。
飛鳥ちゃんとのエピソードをもう1つ。日奈子ちゃんが7作振りに選抜復帰を果たした⑳『裸足でsummer』の選抜発表は、『乃木坂工事中』で選抜発表が行われた。そして日奈子ちゃんの名前が呼ばれた場面で、飛鳥ちゃんが泣いている姿が映された。戦友との再会は、こみ上げてくるものがあったという。そして『裸足でsummer』は、飛鳥ちゃんが初センターに選ばれたシングルでもあった。センターの飛鳥ちゃんを頂点として、3列目の両端を仲の良い日奈子ちゃんと中元日芽香で結ぶ。このフォーメンションは”夏の大三角形”と呼ばれ、初経験のことばかりで不安だった飛鳥ちゃんの心を和らげたという。
また『アンダー』の「当たってないスポットライト」の対比として、㉑『僕だけの光』の「輝いてみせる内面から今やっと光手に入れたよ」を見出した。光っている場所の影は見えづらい。その答えに辿り着いたであろう彼女を思ったら、言葉が出なかった。
愚直
がんばったで賞が貰えるのは小学生までで、勿論アイドルの世界にも存在しない。スポットライトの光に片足を踏み入れては、焦点が移動して遠ざかっていく。日奈子ちゃんは、”次世代”と呼ばれ続けながらも、”今”になることができずにもがいていた。
選抜とアンダーで揺れ動き、足場が不安定な状態。それでも日奈子ちゃんは、鎧を纏わずにありのままの自分で突き進んでいくため、直接心から削られていく。いつも傷だらけで心配だった。
向上心を常に持ち続けることは、とても大切なことだ。しかし向上心を持ち続けることにより、常に高みを目指して現状に満足できない自分が存在することになってしまう。日奈子ちゃんは、この最大級のジレンマに陥っていた。
飛鳥ちゃんは、自分自身が何らかの「枠」の中にはめ込まれることを嫌う。真っ直ぐ夢を追う北野日奈子がスペシャリストを目指す者だとすれば、齋藤飛鳥の意識は対極あるゼネラリストで在り続けたい者。
日奈子ちゃんは、自分の意思から逃げなかった。他の2期生は乃木坂の外に自分の居場所を確立していく中、日奈子ちゃんはいい意味で乃木坂46に固執していたように見える。自由とは、途中下車をできること。㉒『日常』の歌詞そのもの。フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルも「自分を賭けて行動する。人間は自由という刑に処されている。」という言葉を残している。
『日常』は、ファンからだけでなく、メンバーからも愛される曲になった。真夏の全国ツアー2021で行われたファン投票「夏ツアーで聴きたい曲TOP10」のアンダー曲部門で1位。2022年の「乃木坂46時間テレビ」で行われた「バナナマン&メンバーが選ぶ!ベストソング歌謡祭」の表題曲以外部門でも1位。そして「私にとっての代名詞は『日常』になりました」と語るほど、日奈子ちゃんにとって思い入れの強い曲になっている。
「北野日奈子は乃木坂46としての運転を終了いたします」という発車案内のナレーションが流れた瞬間、彼女は本当にここから去るんだと一気に実感が込み上げてきた。そして披露された『日常』を歌う日奈子ちゃんは、最後にこれまでの全てを出し切って、本当に「次の駅で降りよう」という覚悟が体現されたパフォーマンスだった。
私の中で、日奈子ちゃんは卒業とは遠い存在だと思っていた。乃木坂46は、アイドルに強い憧れを抱いてオーディションを受けたという人の方が少ない珍しいグループ。そのため自分がアイドルとして生きる意味を、活動を通してそれぞれ一人一人が見出していった。日奈子ちゃんもアイドルに強い憧れはなかったものの、明確な目標に向かって走り続けている最中だった。また彼女は、卒業していくメンバーの気持ちが分からないとも語っていた。そのようなことから、2期生で最後に残るのは日奈子ちゃんだろうと解釈していた。実際に彼女自身も、以前は2期生で最後まで残るのは私なんだろうなと考えていたと発言している。しかし日奈子ちゃんは卒業する際に、25という数字の重みを語っていた。実際に他のメンバーを見ても、25歳付近で卒業していったメンバーが多い。私は坂道グループしか追いかけていないが、一般的に卒業という概念が根強く存在する女性アイドルグループのメンバーにとってのタイムリミットは、大体その辺りなのだろう。
最後のスピーチで、日奈子ちゃんは、「2期生として手に入らなかったものはあるけど、1期生と一緒に手にしたものはある」と語った。運命は不遇だったのかもしれない。それでも、2期生にしか得られなかったものもある。この言葉は、同期だけでなく、多くの先輩をも救ったと思う。
アンコールの1曲目は、日奈子ちゃんの卒業に際して作られたソロ曲❶『忘れないといいな』だった。このMVではまだどう進んだらいいかも分からず、がむしゃらに突き進んでは傷付いていた初期から裸足でsummer辺りのショートカット時代の日奈子ちゃんを、全てを乗り越えて達観した現在の髪が伸びたロングの日奈子ちゃんが迎えに行くという構成になっていた。
そしてラスト直前で彼女が選んだのは、❷『君は僕と会わない方がよかったのかな』だった。一緒にアンダーに苦しみ、それぞれの形で乗り越えた「乃木坂に片思いをしていた」盟友ひめたんに贈るメッセージ。日奈子ちゃんは、邁進する気持ちが強かっただけに、その分葛藤することも多かった。それでもメンバーと共に励み、時に優しい言葉で支えられた。そして貰った愛を、他のメンバーに今度は自分が繋いでいく。日奈子ちゃんの卒コンは、そんな大切なメンバーの系譜を全て継承するセットリストになっていた。
同期のセンター曲から、初期のアンダーライブを作り上げたさゆまりの文脈も。戦友ひめたんとの消化不良の解消、サンクエトワールの存在証明、堀未央奈のバレッタ継承まで。何人もの魂をのせて、最後にアンダーの歴史を全て背負おうとしている。誰も取りこぼさないという、強い意志が伝わってきた。そんな彼女の姿から、乃木坂46でどれだけ逞しくなったのかを目の当たりにした。
そして、最後に ❸『乃木坂の詩』に選んだのは、乃木坂を守り切ったという証明だったんだろう。写真集のインタビューで、「過去を変えることは出来ないけど、過去の持つ意味なら変えることができる」と言っていた。乃木坂46で腐らずに努力し続けた彼女だからこそ、その言葉の重みを伝えることができると思う。
私の上司は、WACというアイドル事務所の社長渡辺淳之介のマネジメントが好きだと言っていた。そして、NetflixにあるWACのオーディションのドキュメンタリーを見たら、過酷すぎてもはや衝撃映像だった。この感想については、書いたら終わらなそうなので流石に辞めておく。2022年に公開された日向坂46のドキュメンタリー映画「希望と絶望」でも、キラキラして表舞台に立っている裏で、想像を絶する過酷さが映されていた。それらを見て感じたのは、アイドルは自分の身を削りながら、10代20代の人生で一番キラキラした時間を全て捧げて活動してるということ。このnoteを通して、興味がない方のアイドルに対する印象が少しでも変わっていたら嬉しい。
待望の2期生LIVEに当選して、それに合わせて東京に上京する日調整していたのに。齋藤飛鳥と星野みなみのWセンターと同じくらい、私は堀未央奈と北野日奈子の表題曲Wセンターを本気で信じていた。
未練たらたらだと思っていたけど、清々しい顔で最後のLIVEを楽しんでいる姿を見たらすっきりした。日奈子ちゃんの「意味のあるものを選んだ」という言葉の意味が、すごく伝わってきたライブだった。
対比
ここまでアンダーライブの感想と30以上の雑誌やインタビューと共に、北野日奈子について語ってきました。ここからはその日奈子ちゃんを応援してきた私自身について、書きたいと思います。話は変わりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
人生をも賭ける覚悟でアイドル人生を全うしたと、パフォーマンスを通して体に突き刺さってくる強い想い。日奈子ちゃんは、愚直に努力をし続けた人でした。それこそが彼女の魅力だと思っているし、それを振り返るためにこのnoteを書いてきたつもりです。実際に書き終えた今、その姿を8年間見てきた私は、同じ8年間という時間一体何をしてきたんだろうと絶望しました。
アイドル人生でもうやり残したことはないと、清々しい顔で卒業していくアイドル達。その姿を見て私はいつも、自分にもそう思える日が来るのだろうかと不安になります。日常の中で妥協を押し込んでいる瞬間を自覚していたし、その時から生まれた小さな違和感を後悔と呼ぶことも分かっていました。今考えてみると、”選ばない”というよりは”捨てる”という感覚で、自分の人生の選択をしてきたんだと思います。自分の手の届く範囲の幸せを甘んじて受け入れて、現在に至ったんですね。
努力の矛先が見つからず、やるせない日々を送っていました。他人が作ったレール上を、首を傾げてながら進んでいました。みんなが乗っている窮屈な満員電車から振り落とされないように、毎日必死にしがみ付いていました。
隣の家の芝生は青く見えるかもしれない。でも外から見える庭が綺麗なだけで、もしかしたら家の中は散らかっているかも。他人の表面と自分の内面を比較するのは、ただ自分の首を絞める行為。そんなこと、言われなくても分かってます。
私は人生において、「1つの事象に時間を忘れるほど没頭している瞬間」に1番の価値を見出しています。そのため、何か1つを極めてその分野に突出したスペシャリストに憧れていました。しかし中高生時代はその極めるものが見つけられず、やるせない気持ちを抱いていた毎日。そんな私は、アイドルという職業に没頭して精力的な毎日を送っている乃木坂46のメンバーを、羨望の眼差しで見ていました。
そうしてなんとなく大学に入ったのですが、入学後は極めるものを必死に模索するようになります。そして自己分析などをした結果、プログラミングの勉強を始め、それから紆余曲折を経て”デザイン”がやりたいと解像度を高めていきました。元々デザインには興味があって、中高生時代に趣味として乃木坂の画像加工をしていたことがあります。しかし「凡人の私がクリエイティブ系の仕事に進める訳が無い」と、進路選択では早々に諦めて現在の経済学科に進学しました。でもそれがずっと心残りだったので、大学2年の1月からITベンチャー企業のインハウスデザイナーとして長期インターンを始めました。どこにでもいる普通の大学生がスピード感の早いベンチャー企業に飛び込み、何もスキルを持っていない未経験の状態からデザイナーとして働く。何もかもが初めての毎日は、とにかく必死で目まぐるしく過ぎていきました。
デザイナーもアイドルと同じで、抽象的なスキルをコツコツ積み上げなければなりません。広告のクリックされた回数などのデータは取得できますが、1人1人のデザイナーとしてのスキル値を一概に可視化することは難しいと思います。自分が成長しているのかも周りからの評価も曖昧な中で、それでも毎日とにかくデザインと向き合い続けるしかありません。
私は特にネガティブで、心配性で、優柔不断で、気が弱くて、繊細な面倒くさい性格です。だから悩みがあって集中出来なかったり、余計なことまで気にして遠回りをしたり、無意識のうちにストレスを溜めて体調を崩したりしました。デザイナーという憧れていた職業で、1つに没頭してスペシャリストを目指す理想の生活だった筈なのに。1年間の内で本気でデザインに没頭出来ていた時間は、半分もあったかどうかレベル。一緒に切磋琢磨している同期には、「今月こそは死ぬ気でやる」と月初めに言って月末に反省するの繰り返しでした。
それでも私は、″デザイナー″としての就活を目指すことに決めました。幾つもある選択肢の中で、一番不透明かつ一番挑戦的な選択なのかもしれません。それでももう諦めたくないし、ここでまた諦めたら、今度こそ自分の人生に絶望して生きることになる。一番自分がよく分かっているからこそ、何もやらず逃げることはしないと決めました。自分を認められるようになるまで努力して、絶対に乗り越えます。その過程も今後は楽しんでいきたいです。日奈子ちゃんのように、どんなに逆境が訪れても愚直な努力をし続けられる強い女性になれるよう頑張ります。(追記:無事第一志望だった企業にデザイナーとして入社でき、やりたかった仕事をして、同期や一緒の開発チームの人にも恵まれて毎日楽しいです。)
noteタイトル
今回のnoteタイトル「電車に揺られて辿り着いた希望の方角」は、私が今年1番聴いた『日常』の歌詞から浮かんだものです。卒業コンサートでの最後の『日常』は、心に直接訴えかけられている位、彼女の想いが込められていました。感情をむき出しにしながら、センターで踊る日奈子ちゃんが好きでした。MVもありますが、ぜひLIVE映像で聴いてみてください。
卒業直前に、日奈子ちゃんのオンライン握手会に参加しました。この曲に救われていたと、直接伝えることができてよかったです。日奈子ちゃんは、「心から応援してきて良かった」と思わせてくれた最高のアイドルでした。
中々光が当たらず、辛い経験が人一倍多かった。
不遇の2期と勝手に美化された。
それでも、最後までまっすぐに笑顔で続けてくれたこと。
一人の人間として尊敬しています。
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