見出し画像

サマリー:人間の本質は自由であるにも関わらず、社会的抑圧が確認されている。それはどんなものか(Futurist note第4回)


イントロダクション

こんにちは、VARIETASのFuturistのRentaです! VARIETASは、構造的な問題によって発生するひとりひとりを取り巻く摩擦(=フリクション)がゼロな社会(=Friction0)を実現することを目指すスタートアップ企業です。Futuristとは、目指すべき未来像を示す未来学者です。

今回は、Futurist note第3回のサマリーです。
「人間の本質は自由であるにも関わらず、社会的抑圧が確認されている。それはどんなものか」という問いを以下の著書を参考に考えていきます。

  • justice and politics of difference (著者はアメリカの政治学者のアイリス・ヤング)

抑圧と支配-個人を縛るもの

アイリス・ヤングは、社会において個人を縛るもの(アイリス・ヤングは正義論の学者なので不正義と言っています)として、抑圧と支配を挙げています。1)

  • 抑圧:個々人の能力を発揮したり養成することと、自らの経験を表現することが妨げられている

  • 支配:個々人の活動や物事を行う際の条件の決定に参加できないこと

加えてアイリス・ヤングは以下の抑圧には5つの側面があるとしています。

  • 搾取

  • 周辺化

  • 無力化

  • 文化的帝国主義

  • 暴力

justice and politics of differenceにおける抑圧と支配の詳細な説明は本編のnoteでしておりますので、気になった方はぜひお読みください!

抑圧と支配の平等フィットとの関係

ここからは、justice and politics of differenceで提唱された概念を使って、平等フィットとの関連を論じます。
平等フィットとは機会均等に代わる新しい社会制度です。そして、justice and politics of differenceが現状の社会を批判したものなので、justice and politics of differenceで議論されている内容は機会均等の批判に使うことで平等フィットに繋げることが出来ます。

とはいえ、justice and politics of differenceの内容は経済格差や差別などの社会問題に寄っています。そこで、そのエッセンスを保ちつつ平等フィットのポイントである「万人の個性に応じた最高の機会の提供」に沿うように言い換えて、機会均等の問題点の指摘を行います。

以下の言い換えは語感と印象が異なるところもあると思います。どのように言い換えたのかは本編のnoteで書いておりますので、ぜひお読みください!

  • 抑圧:個人の個性を表現したり活かしたりする場が用意されていないこと

    • 搾取:個々人の個性や能力が、本人の意志や好みと異なる場にあてがわれていること

    • 周辺化:個性を生かして活躍する場へのアクセスが制限されていること

    • 無力化:活躍の場を手に入れても個性の活かし方が分からなかったり裁量の問題で活かしきれないこと

    • 文化帝国主義:一様の能力や個性のみが評価され、それ以外は評価されなかったり受け入れてもらえないこと

    • 暴力:上記を通じて、個々人が個性を活かす気持ちを失うこと

  • 支配:抑圧がなくなるような場を作るための意思決定権が個々人に与えられていないこと

ここで、機会を椅子だと捉えてみましょう。機会均等は椅子の数が限られており全員が座れるわけではない椅子取りゲームとなります。しかも、椅子を用意するのはプレーヤーではありません。

ここで椅子に座れない人が出てきますし(周辺化)、座った椅子と自分の体格が違いすぎてかえって疲れる人も出てきます(搾取)。体格が合っていたとしても、自分の癖が出てしまって椅子では落ち着いてられない人もいるかもしれません(無力化)。そして、椅子に座れなかった人を馬鹿にする人もいればうまく座れない人を評価しない人もいるでしょう(文化帝国主義)。こんな雰囲気の悪い椅子取りゲームには参加したくなくなるかもしれません(暴力)。かといって、ゲームマスターにお願いしてルールや椅子のオーダーメイドをお願いすることもできません(支配)。

機会均等の問題点を劇画化するとこのようになると思います。
ここまで見ると、平等フィットの視点から機会均等の本質的な問題が何なのか見えてきます。
それは、個々人が機会を作ることが出来るわけではない、ということです。確かに、機会均等な場である就活や受験という場では、機会を提供するのは学校や企業です。学校や企業も組織なので独特のプロセスや考えがあります。だから、そこに挑戦する1人1人の個性や事情まで汲むのはまず難しいのです。

まとめ

アイリス・ヤングのjustice and politics of differenceの抑圧と支配という概念を紹介し、機会均等の問題点を指摘してきました。

  • 抑圧:個々人の能力を発揮したり養成することと、自らの経験を表現するが妨げられている

  • 支配:個々人の活動や物事を行う際の条件の決定に参加できないこと

をそれぞれ指しています。そして、機会均等に潜む抑圧の5つの側面と支配を椅子取りゲームの比喩で説明しました。その問題は椅子を作っているのはそれぞれの個人ではない、ということです。

となると、平等フィットはそもそも自分で椅子を作れますよ!というところが出発点となります。justice and politics of differenceでは抑圧と支配がなくなった社会の状態について論じているパートもありますので、次月以降のnoteで平等フィット論でも再登場すると思います。

その前に、来月に解かなければならない問題があります。それは10月や11月のnoteで見たように、人間の本質は自由で社会を作ることが出来るのに、なぜ今回見たような抑圧や支配が生まれてしまうのか?ということです。
来月はこれまでのような社会レベルの視点から心理学などのミクロな視点も組み合わせてこの問題を考察します。
最後までお読みいただきありがとうございました!

出典
1)Iris, Marion, Young, Justice and Politics of Difference, Prinston University Press, 2011. p.38


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?