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社会とはなにか

「社会とは何か」を議論しようとしても対象は定まらないだろうと思う。なぜか。それは「共通の社会」などというものは存在しないからだ。
例えば昨今よく出てくるワードの「社会貢献」や「次世代型社会」という言葉であるが、そもそも「社会」の定義は人それぞれ違う。
つまり、主観としてみた「社会」は少なくとも「自分の体感できる社会」程度のモノであって、それ以上は存在していても、していなくても同じことだ。
いずれ自分が体験するものこそ「社会の広がり」であり、それに対して「どのような社会で生きて行きたいのか」というのが、自分にとっての「社会的課題」となっていくはずである。自らが手の届く、変化に影響を与えられる範囲をどこまで広げることができるのか。実は地味で地道な道程である。

似たような言葉で「世界」というものがある。ロシアとウクライナの紛争を見て、「プーチンが狂った、ゼレンスキーは英雄だ」程度の見方しかできないのであれば、もっと歴史の勉強が必要だろう。少なくとも「冷戦終結」「ブラックウォーター」「アルカイダ」「アゾフ大隊」「オルブライト」「バイデン」などという単語が何によって繋がっているのか、想像できるようになった方が良い。真実は常に闇の中でも、手口は昔から変わらないものだ。
そして、それを言っちゃおしめえよな言葉をひとつ。
あなたは社会を考える前に、自分とは何かを考えるべきだ。

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