忙しさの中の

気がついたら1ヶ月ほど更新をしていなかったので、残業の休憩がてら何か書こうかなと思う。


上期が締まるタイミングなので、自分のこの半年を振り返ってみる。4月から仕事がかなり忙しくなってしまったり、子供の幼稚園の保護者会の役員になったり、ほとんど縁を切っている実家のゴタゴタに巻き込まれそうになったりと、noteを読む暇もとれない半年間だった。仕事以外してない、と言っていい。そしてまだまだ忙しさは続くので、更新頻度は極めて低いし、過去の記事を読んでくれた人の記事を読みに行きたい気持ちもあるのだけれど全然出来てない。身体は一つしかなくて、時間は止められなくて、どこかで諦めるしかないんだなぁと思ったり。

文章を書くことから、そして読むことから離れてしまっていると、日々起きるニュースなんかにも疎くなって考える力も弱くなってきている気がする。そして何よりも何かを訴えたいという気持ちが欠落してしまっている気がする。これは悪い方の意味ではなくて、むしろその逆で、忙しいなりに満たされてしまっているからだと思う。SNSに入り浸るのは現実で満たされていないからだ、という言に的確に反論するのは難しい。つまりその逆の現状は……ということだ。

とはいえ、自分の時間がかなり切り詰められている感があるのは少し息苦しく感じることもある。仕事も保護者会も家族も、逃げようと思えば逃げれるんだけど、それをしないのはまぁ、逃げる程ではないと考えているからだろう。忙しいけど、それでいい。それがいい、のかも知れない。

忙しさのその中で感じられる穏やかな一時を心地良いなと感じられることが、満たされている感覚を齎してくれているんだろう。退屈の中の退屈は耐えられたものじゃないけど、多忙の中の退屈は休養になり得る、みたいな。

あとは、夜食を買いにコンビニへ歩きながら見上げた月に魅了されたり、自然豊かな風景写真の中に小さく写ったリスのしっぽに触ってみたいと思ったり、一向に進まない報告書を尻目にこの駄文が躍っていることに笑ってしまったり。きっとそういうことなんだ。


忙しいと、そういうものに安らぎだったり癒やしだったりを感じやすい気がする。ストレスなんかで波立った心を落ち着かせてくれるものを求めるからだろうか。

と言いつつ、この文章が今まさにリズミカルに打ち込まれていくその理由はそっちではなくて、むしろソワソワと波打っているからなような気がしないでもない。まあ、とりあえず差し入れにもらったカフェインと糖分マシマシの飲料のせいということにして、報告書の文字にも翼を授けてやるとしよう。


そんなこんなで、今日も明日も、私は元気にここに居るのだ。

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