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それがぼくの生存戦略だから


こちらの記事で私は、極論誰にでも恋愛感情に似たものを抱いて、そして理屈の上ではそれを成立させることも出来ると述べている。
(なお、記事自体は性的な内容が含まれるので、無理に読む必要はない)

と言いつつ、今回の記事も苦手な人は読まないほうがいい内容である。

今回の内容は、月に一度の社会勉強の際に隣に座った人にトキメキを感じたという話で、やっぱりちょっと性的な話が絡んでしまうからだ。

そのまま書くと恥ずかしいので、ちょっと小説風に仕立てている。フィクションとノンフィクションのごちゃまぜである。私の感じたことだけはノンフィクションで間違いないが。





時系列的には前掲の記事より前の話。

月に一度の社会勉強。その日はたしか、猫語でフリートークしようという内容の集まりだった。語尾に「にゃ」をつけるだけでいいという、とってもイージーな企画だった。

その場にたどり着き、現実世界の自分から偽名を使う世界へと足を踏み入れた。空いている席はいくつかあったが、特に考えることなく私は一人の男性の隣に座って、その人に挨拶をした。私の目的は人(猫)との交流だからだ。

「はじめましてにゃ」
私がこう言うと彼は、縁の太いメガネの下に三ヶ月を二つ浮かべて微笑んだ。三毛猫のイメージだった。そういえば三毛猫のオスは希少だと聞いたことがあったな、などと考えていると三毛猫から返事があった。

「こんばんにゃ。はじめまして、たくさん喋るにゃ」と。


どうでもいい話だが、この語尾に何かしらつけて喋るというルールは雑談がしやすい。文末に区切りがつくので会話のキャッチボールの際、こちらにボールが投げられたタイミングが、初めて話す相手でも掴みやすいからかもしれない。会話が弾んだのはその理由だけではなかったのだが。


会話のキャッチボールが咬み合う人は実に楽しい。ファーストドリンクが空にならない内にたくさん話した。彼は、私より年下のアラサーらしかった。暗がりの中でも肌艶のよさはうかがえて、語尾につける「にゃ」も慣れたような感じだし、人懐っこさはまさしく猫のそれで、明らかに会話慣れしている。基本的に聞き役に徹することが多い私がたくさん喋らされているのもその証拠だ。行ったことはないが、お水の世界のお姉さんはこんな感じなのだろうか。

「あ、指輪つけてるにゃん!」
これもそっちの世界ではよく聞く言葉なのかもしれない。
「そうだにゃ。結婚してるにゃ」
「いいにゃ、いいにゃ、ぼくは今独り身で寂しいのにゃー」
テーブルの上に突っ伏すような仕草をしてみせ、上目遣いでこちらを見る。そっちの世界だったら、脚でも触られていたのだろうか。(※接触は禁止のルールの集まりです)

その後もどんな人が好みかという話をさせられたりしたが、タイミングを見て切り返した。ようやくこっちのターンだにゃ。

「で、君はどんな人が好みかにゃ?」
「ぼくはねー、ガッチリした人が好きなのにゃ」
がっちり?
「ぼくね、ゲイなんだにゃ」

あー、道理で。

とは、思わなかった。

これは都合よく捉えすぎかもしれないが、彼はこの私の反応を、暗がりでもよく見えるその猫の瞳で観察していたのだと思う。そして、私の態度を見てから、ある程度こちらを信用してくれたのかもしれない。尻尾を降ろしてすり寄ってくる気配を感じた。

私はそういうものに理解がある方だし、ゲイだから○○だ、という偏見は持っていない(つもりだ)。だからその時も「出身は東京です」と言われたくらいの会話のノリで猫同士他愛のない愛についての会話を続けた。私は既にこの三毛猫の生態に興味津々だったのだ。

雑談のテーマが決まれば私にも分がある。質問攻めにして色々と聞き出せた。そんなに攻められたら困っちゃうにゃー、とか冗談を飛ばしてくれるくらいには親密に話せた。甘咬みのユーモアは心地いい。


彼はシスジェンダーのホモセクシュアル。
「身体も心も男の子。しかも中学生並だからホント困るにゃ」とのこと。また、「ゲイって乱れてる印象あるようだけど、そんなの男女とか、ホモとかヘテロとか関係なく人それぞれのことでしょ。特にぼくは、○○が△△で□□だから本当に相手をみつけるのが大変なのにゃ」とも語っていた。確かに一理ある。なお、伏せ字は専門用語でこの時点では意味はよく分からなかった。

こんな具合に、彼の色んな話を聞かせてもらった。私はそんな彼にドンドン惹かれていったのだが、決め手になったのはこんな言葉だった。

「ぼくはね、男の人しか好きになれないんだよ。でもね、男であるぼくのことを好きになってくれる人(ゲイの恋人)はいらないんだよ。ぼくは、恋人を探す時には女の子の格好をするんだ。その方が出会える確率があがるっていう理由もあるけど、女の子としてぼくを愛してくれる人が好きなんだ。でもぼくは女の子じゃない。女の子の身体じゃない。それでもぼくを抱きしめてくれる人が欲しい。ぼくは男としてのこの身体のことは嫌いじゃないし、自分は男だと思っている。でも、女の子が時々うらやましくなるんだ……にゃ」

彼の言っていることは性的倒錯だろうか。あるいは純愛だろうか。よく分からなかった。私が抱いた感情もよくは分からなかったが、彼を抱きしめたくなった瞬間ではあった。(残念ながら?私は彼の好みではないらしいし、当然しないが)

続いて彼はこう言った。

「ぼくが美容にお金をつぎ込むのも、高いメイク用品を買ってお化粧するのも、可愛い女の子用の服を買うのも、そこいらの女の子より身体のケアを入念にするのも、ぼくがぼくを満たすための生存戦略なんだにゃ。女装趣味と軽く言われるのは勘弁してほしいにゃ」

かっこいい。女性になりたいわけじゃなく、女性を好きになりたいわけじゃなく、今の自分をしてどのように生きていくかを言わしめ、偽りなく実行していくその強い意思に私は惹かれた。
(たぶんだが、自分をゲイと言うのにも抵抗があるように感じる。彼は彼でしかない。きっと彼にもn=1の愛があるのだろう)

これらの言葉の裏には、悲しみも怒りも諦めもあるのだろう。それでも前に進むその意思に私はどうしようもなく惹かれるのだ。この思いは猫語にすることはせず、私の胸に秘めたまま集会は解散となった。

帰り際、
「今度ぼく、女の子で来るから会いに来て欲しいにゃ」
と、彼は言った。

やっぱりお水の世界じゃないか。

私はその日のスケジュールを空けることに躊躇しなかった。指名料はかからないらしい。

そしてその日、再会を果たすこととなる。


つづく



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