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再会を果たして

前の記事。

要約すると、

とある場所で男性と意気投合した私だったが、彼はゲイだった。その彼の言葉に感銘を受けてカッコいいと感じた私に対して、彼は去り際にまた会って欲しいと告げてきた。今度は女の子の自分に、と。


だいぶフィクションよりに書いている。やはり実在する人物がいるのは書きやすいが、どの程度本当を書くかの調整が難しい。私が感じたことをそのまま描きやすいように虚構を折り込みつつ今回も書いていこう。






初めて会った日から約1ヶ月後に彼が言っていた集会がある。私は予定通り仕事の都合をつけて参加した。


「あ~〇〇偽名さん!来てくれたんだ!こっち座って!」
と、迎えてくれた彼は、果たして彼“女”になっていた。


なんと言えばいいのだろうか。

前回の猫語での会話は非常に楽しかった。どんな考えをもっていて、どんな悩みを抱えていて、どんな生き方をしていくか、そういう話をきけて、私は彼のことが気になってしょうがなかった。乗せられて私の話もそこそこしてしまったし。


「恋愛感情」というものは会っていない時でもその人のことが気になる状態だ、と書いてあるのをなんかの記事で読んだ(私はその限りとは思わないが)。こういう意味で言えば、私は彼に恋愛感情を持っていることになるのだろう。予定として明示されていた分、確実に会えるということはわかっていたし、女の子になって会うという非日常感にワクワクしないわけがないのも事実だった。


結論から言うと、ちょっと悔しかった。

私は、このシリーズ(マガジン『n=1の愛について』)の別記事で、老若男女に恋愛感情は抱けると書いている。そして、その感情の強さに本来は差は無いと思っていた。

ところがだ、彼“女”に会うことでこの考えが少し揺らいでしまった。自分ではっきりと分かる程、女の子になった彼に対して前回よりも強い感情を覚えたのだ。一言で言うなら、物凄く広い意味で使いやすい言葉であるところの「かわいい」を当てるのが無難な感情だ。 

(考えようによっては、前回あった時から時間と共に恋愛感情が増していったからそのように感じたということはあるだろう。会えるだろうとは期待していたが実際に会うまでは分からないのだから、直接会ってその姿を見たことに対して喜びを感じることはあるだろう。だから、この湧き上がった感情が「女性の格好をしている」から、という理由に帰結させるのはいささか短絡的だ。それに、今までの人生をヘテロセクシュアルとして女性に恋愛感情を抱くケースが多い環境で生活してきたわけだし、脳みそや思考回路やらが、女性(の見た目)に反応しやすくなっているのは、経験という意味で至極当然のことだ。それにガイノロマンティックという考え方もあるくらいで、女性に見えるものに強い感情を覚えることは不思議なことではない。むしろ、彼こそそういう人(女の子になっている彼自身に興奮する人)を好むという性的嗜好ではないか。つまりこれは囮だデコイだスケアクロウだ。引っ掛かるのが作法であり大人としてのマナーだ)

などということを、一瞬で考えて、そして考えるのをやめて、とりあえず席についた。


まあ、よく観察すると変わりはしない。メガネを外して、猫語でなくなったかわりに、女の子っぽい喋り方と仕草をふんだんに取り入れていた女子高生風な格好をした彼“女“は、私がトキメキを感じた彼で間違いなかった。

同時に、この理屈で言うならば、私は男の子の彼に恋愛感情を抱いていることになるから、(女の子を愛するように男としての彼を愛して欲しいと思っている)彼は、私のことを好きにはならないな、と悟った。そうと分かれば、こちらも特に気にすること無く接することが容易になる。これは、彼の恋愛対象に私が含まれているかもしれないことを厭うていた、ということではなく、仮にそうであった時に生じる煩わしさ(≠不快感)に戸惑う可能性を心配する必要がないという点で、私が無駄に思考を巡らしたり言葉を選ぶ必要がないという意味だ。自意識過剰と言われるかもしれないが、そういう風に感じるほど前回の猫語での会話は盛り上がったし、惹かれている気がしたのは私だけではなかったのかもしれないと感じていたからだ。(それに私は、この場に自ら進んで参加するほどには好奇心旺盛なので、もしも彼に、新しい世界の扉を開こうと持ちかけられたら、「断る」とは言い切れない自分なのを知っているからでもある)

そんな私の思いなど露知らず、人気者の彼“女”であるから、前回のように1対1でゆっくり喋ることは出来なかった。

私は彼“女”を目で追いながら、隣に座っていた高身長イケメンのパンセクシュアルの20代後半くらいの男性の壮絶な話(=自叙伝。≠武勇伝)をひたすら聴き続けていた。noteにはとても書けない内容の話を聞かせてくれた。世界は私が思っているよりももっともっと広くて深いようだ。

解散間近になると、残っているのは私とパンセクシュアルの男性と彼“女”だけとなった。

男性同士の性事情を知っている二人は、二人にしか分からない世界の話で大盛りあがりし(完全に男子中学生のノリのそれである)、専門用語飛び交う中、私はスマホでその単語を調べつつ二人を眺めていた。(その後、検索履歴やそれに紐づいた広告商材の案内がとんでもない内容になったのは言うまでもない)

そんな話の中で、彼“女”は普通の女性と同じ悩みを口にしていた。年齢のことである。若さというのが価値の全てではないものの、その現実は確かにあるということを彼“女”自身感じているそうだ。

そう考えると、複雑な心境を分かり合える仲間に出会えることのほうが、今後の彼にとっては大事なことになりつつあるのかも知れないと思った。だから私はこの日に誘われたのかも知れないと思(いたか)った。そうだったなら、私は嬉しい。私ももっと彼のことを知りたいと思っている。


12時の鐘が鳴る前に彼“女”は魔法を解いてくるといって化粧室に入り、しばらくしてからお待たせ、と言って出てきた。

その辺にいそうな今風のカジュアルなファッションにメガネをかけた姿を見て、やっぱり私は彼自身に惹かれているのだと思った。

また偶然会えたらたくさん話したいな。

(おわり)


ちなみにその後、一度も会えていない。



この私の彼に対する感情がどんな名前かは知らない。他の誰かが作った分類に当てはめる必要もない。

でもこれは、私の中に確かにあるn=1の愛だろう。




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