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自己紹介を兼ねた回顧録その2(中高時代)

中学時代

国立は私立と違いそのまま上がれるわけではなく、附属中学へは内部試験を経て進学する。ただ一部の優秀な生徒は、あえて外部受験をして別の超進学校へ行った子も。中学校の制服は、女子はセーラー服。とても真面目な校風で、校則もしっかりあってスカート丈はチェックされる。選挙で生徒会役員を選び、各学校行事は生徒による準備委員会によって企画・運営された。クラスで指揮者、ピアノ伴奏、選曲、など全て決めて競い合う合唱コンクールにも熱が入っていた。

部活は、仮部でダンス部を経験し、思いの外楽しそうだったので入部。元々体が硬かったので、まずは家で毎晩柔軟体操に励み、柔らかくなるまで苦労した。また基礎練のバレエでは骨盤の開きがとても重要なため、この時、バレエは骨格ができあがる前になるべく早くから始めた方が良いと痛感。中1で始めたダンスは、その後高校、大学と続け、社会人になっても趣味でダンスやヨガなど体を動かすことを続けている。

高校時代

附属高校へも内部試験を受けて進学。高校は中学のすぐ隣りにあるのに、同じ附属とは思えないほど、中学と違いかなり自由だった。まず、ほとんど校則はなく、制服はないのでどんな洋服でも何の鞄で行ってもOK、髪の毛を何色に染めようが、パーマをしようが、ピアスやネックレスもOK。法を犯していなければ、各自の選択と判断に任されていた。Tシャツにズボンという普段着の人から、女子校の制服風のファッションをしたり、当時流行りのミニスカートにアムラーブーツを履いたり、古着アメカジだったり、朝から部活動の格好をしていたり、一日中理科の白衣を着ている人もいたり。ドレッドヘアもいれば、髪の毛を赤や緑など奇抜な色に染めている男女もいた。思い思いの自己表現が許されていた。中学生までと違って、高校生は「半分大人」に扱われていた。先生方もおおらかで、ユニークな授業が多かった。

そんな高校でわずかにあった校則といえば、「自主・自律・自由」。強く印象に残っている先生の言葉は、まず自分でよく考えて、「自主的」に勉学に励み、「自律的」に学生らしい生活を送り、その上で君たちには自己の判断で選択する「自由」が与えられる。決して、「自由」が先にある訳ではない。そして、「自由」には責任も伴う、ということ。附属高校は「自由だ」という言葉ばかりが先走りしがちだが、それは「自主・自律」ができる生徒であるという前提で、先生と生徒との信頼関係の上に成り立っていたのだと思う。

近年報道にあった、とある公立高校で、女子生徒の地毛が明るいからと何度も黒く染めさせた学校の指導は、「髪の毛はみんな黒くないといけない」という全くもって理にかなっていない不可思議なルールが元になっていて、正直その先生方も右ならえで理性的な判断を失っていたように感じる。

高校2, 3年生の希望者は、放課後に特別授業があり、第二外国語としてドイツ語かフランス語を選択することができた。私は、国際機関では英語だけでなくフランス語も公用語と聞き、2年間フランス語を選択したが、大学1年生レベルの知識を習得でき、有難い機会だった。

たまに勘違いされることがあるが、国立の大学附属高でも、その大学に内部進学するルートはない。内部推薦枠すらない。おまけに、高校では一般的な大学入試のための準備や受験対策はしてもらえないし、私立のような受験を見越した先取り授業などもない。信念のある先生方が、これは生徒に伝えたい!という内容でオリジナリティを発揮してマイペースに進行するだけだが、伸び伸びした環境で男女が切磋琢磨しあう、楽しい3年間であった。先生方はプライドがあり、生徒には(塾などではなく)あくまで学校の勉強や部活動が第一だ、というスタンスであったと思う。

このように、受験対策がない分、進学実績では私立進学校より劣る部分があると思う。ただ社会に出て気づくのが、各分野で活躍される卒業生の多いこと。それは長い歴史の中での卒業生の絶対数と、その中でも多方面で能力・個性・人脈を発揮できる人物が多いからなのでは、と思ったりする。

つづく。


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