稲川会本家vs住吉会共和連合2

今はどうなっているのか分かりませんが、昭和56年頃です。国道50号と県道の十字路にどさんこラーメンがあったのですが、その向かいで、夜中、大槻力は住吉会の組員三人と出くわすのです。

相手は短刀を持っていたので、偶然出くわしたなんてことはないはずです。
付け狙われていたのか、だれかが情報を流したのか。住吉会の組員達は一斉に、父・力に斬りかかります。
力は丸腰で素手です。

50号沿いに、笠間警察署があるのですが、現場はそこから車で2,3分位の所にあります。

日本刀を振り回す喧嘩です。異様な光景に、まわりのだれかがすぐさま警察に通報したのでしょう。5分後には、警察が現場に駆けつけたのでした。警察が来るまでの間、日本刀を持った三人の男相手に、素手で戦って生き残ったのです。力は体中を刺され、切り刻まれました。まるでホラー映画・キャリーのように、頭のてっぺんからつま先まで血まみれでした。

朝、体中に包帯を巻いた力がうめき声を上げて寝ていました。
ものすごいうなり声を上げていました。1週間近く、うめき声を上げながら、死んだように眠っていました。


ヤクザの世界は、わざわざ組の名前を名乗って喧嘩などしません。それに、一般の人が思うようなヤクザの世界は存在しないのです。映画や漫画・芸能界が、でたらめなヤクザのイメージを日本人に植え付けてしまったのでしょう。高倉健のような、任侠なヤクザは、一人も存在しません。

稲川会の組事務所での話しです。

繁華街で、稲川会の若い衆が、酔っ払いのサラリーマン数人に袋叩きにされたのです。この若い衆は組事務所に逃げ込んで、兄貴分達に助けを求めたのです。
すると、兄貴分のヤクザが事務所から日本刀を持って来て通りに投げ捨てて言い放ちます。
「ほれ、道具貸してやっから、これで相手ぶった切って来い。相手、殺すまで帰ってくんなよ。堅気にやられたままなんざあ稲川の恥だからな。それになんで三下のてめえのために堅気と喧嘩して俺等がパクられなきゃなんねえんだよ。」

その後、その若い衆がどうなったかは知りません。

ヤクザの世界は、目上の人間の為に目下の人間が命を捨てろと徹底的に教わるのです。映画やドラマのように、立派な任侠親分が弱い者いじめをするヤツをバッタバッタとなぎ倒す、なんてことは有り得ない話です。

ヤクザの世界は、独特の複雑な「暗黙」のルールが沢山存在します。しかも、そのルールは、ヤクザ個人個人が肌で感じて憶えなければなりません。だれも口に出して教えてくれるなんて事はあり得ません。憶えない者は、破門、絶縁に追い込まれるか、数千万の金が吹っ飛ぶか、殺される立場に追い込まれていきます。
なにかしらの個人の「働き」がないと、ヤクザの世界は全く動きません。
あるいは、「金」です。


住吉会は父・力が、稲川会 森田一家 富田組の組員だと知りませんでした。
森田祥生稲川聖城の右腕と呼ばれた人物で、富田進森田祥生と五分の兄弟分の盃を交わしていました。当時、富田進は稲川会本家の要職に就いていていました。記憶が定かではないのですが、常務理事か専務理事を務めていました。全稲川会で5本指に入る実力者でした。
住吉会は富田組一つの組だけを相手にしたのではなく、「稲川会本家」を相手に喧嘩を吹っ掛けた事になるのです。


「・・・水・・持って来い・・・。」
「おい・・・。お粥、お粥作れ・・・。」
しばらくの間、その繰り返しで、時が過ぎました。


まともな意識を取り戻し、体が回復し、事を起します。

一連の出来事を稲川会本家に報告を入れたのです。
「よし。よくやった。稲川会本家を全面的に出して、住吉に啖呵切っていいぞ。」
本家からのお墨付きです。

よく憶えています。
体中、包帯だらけの力が私の目の前で、住吉会に電話をしたのです。
「稲川会 森田一家・富田組の力だ。この間の件で落とし前つけさせてもらうから、待ってろ。」

次の日、稲川会本家から、3,40台の黒塗りの車で、7,80人の稲川会の組員が、日本刀・拳銃・手りゅう弾・小型マシンガン・散弾銃で武装して、笠間市の中心街を、占拠したのです。

稲川聖城・森田祥生・富田進の名が出ているのです。笠間警察程度じゃ、全く手も足も出ず、指をくわえてるだけでした。

住吉会・共和連合にどう落し前をつけさせたのかは、私は聞いていません。



こうして、父・力は、茨城県の裏社会で逆らう者がいなくなる存在へとなっていくのです。

  


   そして、私も、笠間市で暮らしずらくなる立場へと追い込まれて行     く事になるのです・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?