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読書会より―強烈なメッセージが好き嫌いを超越するとき―

3回にわたり、『一九八四年』について取り上げた。回数だけでなく、文章量も何と長くなってしまったことか…(反省)。今回は読書会当日に抱いた感想をまとめておこう。概要は以下にまとめてくださっているので、そちらを参照願いたい(毎度ありがとうございます)。

テーマは「好きじゃないが、読んで良かった本」であった。どういう本が出てくるかは想像つかなかった。私の場合は、直感的に『一九八四年』や『沈黙』といった、現実では見るに堪えない本が頭に浮かんだ。他にも司馬遼太郎『坂の上の雲』(司馬の脱線癖についていくのが大変)、ピーター・ティール著、関美和訳『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』(考えは全く合わないが、イノベーターの人たちの発想の一端を知ることができた)あたりが候補であったが、当初の直感に従った。

実際、私以外の4名から紹介された本の半分ほどは、その要素を含んでいた。『破船』『新版 悪魔の飽食』などは、内容そのものが目を背けたくなるような代物だ。『何者』も自身と登場人物、そして作者との関係性から、自らにグサリとメッセージを叩き込まれるようなものであった。

かと思えば、自身にとって無関係な分野という全くの予想外の発想から紹介された本もあった。「意見が合わない」や「目を背けたくなる」、こういう発想を想定していた私にとっては、まさに想像の斜め上、初球から超スローカーブを投げられたかのような感覚であった。仮にど真ん中に入ってもあれは打てない。だが、ああいう理由でもいいんだ、と気楽になった人もいるかもしれない。

また、実に話が盛り上がった。何より、目を背けたくなるような『新版 悪魔の飽食』を初めて開いた時のエピソード、『沈黙』を読んだ経験のある人の多さとその人たちの感想(中学生の時に読んだというエピソードにはアゼン)、これは印象的ですらあった。そして、ほんと皆さん、いろいろとタフな本を若い時から読んでいることで。当時の私にはできません。

全体を通じて、「好きではない」と感じるところには、どうも作者が発するメッセージ(残忍さ、暗さ等)が、自身にとって強烈過ぎるまでに響く、という部分があるように感じた。単なる情報の羅列や俯瞰しただけの言葉ではなく、自らに刺さる、印象に残る言葉としてもう一歩踏み込んだ表現がなされている。だからこそ、嫌とすら感じてしまう。そこを乗り越えて読んだからこそ、「好きではないが、読んで良かった」と思える。その思いを引き出すだけのメッセージを生み出した作家達の努力に敬意を示したい。そして、そのキツさを乗り越えた読書会メンバー全員にも、同様に敬意を示したい。

次回のテーマは「好きだけど人には紹介しづらい本」。候補すらまったくもって思い浮かばないテーマになった。「紹介しづらい」をどう解釈するか、自分だけで独占したいと思うか、ジャンル的に紹介しづらいと思うか、はたまた全く想像もしえないような視点から紹介しづらいと思うのか。すべては次回のお楽しみ。


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