社会とめがねと私
最近、職場の上司がお値段も高めの上質なコーヒーを取引先からいただいて、フロアの冷蔵庫に入っているので割と頻繁に飲んでいるのだが、スーパ-で買う100円のコーヒーとの違いが全く分からないまま、「もう前までの安いコーヒーには戻れないですよー!」と言ってしまっているので、上司がもらったコーヒーがなくなったあとどうするか、ここ最近の一番悩みです。
さて、今日は「めがね」をキーワードに書いていきます。常日頃から今の自分のやるべきことは何か、を自問しているのですが、その問いに対する一つの答えが今週の取り組みの中で得られたような気がします。
人は皆、”めがね”をかけている
学生時代、教育学を専攻していたのだが所属した先の研究室の教授が社会学に精通していたため、「社会学的なものの見方」を常日頃意識している。
「社会学的なものの見方」とは、端的に、物事を考える・見る際に”めがね”を外すことである(※私なりの解釈も含まれているので、学術的に正しい説明ではない)。ここで言う”めがね”とは、いわゆるバイアスや偏見と言われるような、人がそれまでの経験の中で培われたものの見方である。
最近のオリンピックやワクチンの考え方でも、意見は様々で賛成派反対派がそれぞれ存在し、互いに議論を交わしている。この状況自体、至って健全な社会的構図だと思う。日本には1億人以上の人が暮らし、世界では70億人近くの人々が生活をしている。それら一人一人の人生は全く異なっていて、誰一人として同じ人生を歩んでいることはない。絶対に。
そしてその全く異なった人生の中で、それぞれの”めがね”が出来てきて、あらゆる物事を無意識のうちにそのレンズを通して見て、考えている。「社会学的なものの見方」では、この事実を自認して、意識して”めがね”を外し、物事の本質を考える必要がある。
意識していても・・・
私のいまのミッションは「既存事業の中にシナジーを起こす」であり、新人の私がこのミッションを与えられたのは、これまでの会社の考え方に囚われない行動に期待してのことだと思う。しかし、意識していても自身の”めがね”で見る世界の中に囚われ活動していた事実を先日突きつけられた。
会社の中には数多くの事業部があり、IT系から消耗品の販売まで多岐にわたり、シナジーを起こすとしてもある程度どの事業部が良いのかは目星をつけ活動していた。
ところがどっこい、全く予想もしていなかった事業部との活動が急速に動き出した。どれくらい予想をしていなかったというと、駐車場に止まった軽自動車からブラジル人が7人降りてきたのを見たときくらい予想外だった。(エピソード引用:東海オンエア「【見てられない】順番間違えた!リアクションを先に撮ってしまったので、それに合う動画を撮ってきて!!!!!」)
今回はたまたま、向こうの事業部から声がかかったため動き出すことが出来たが、社会学だ、めがねだ、なんだと言ってても結局は行動とは繋がっていなかった。
考え方の整理⇔行動
この出来事は今後の活動において非常に良い教訓となった。今の自分がやるべきなのは、「既存事業の中にシナジーを起こす」というミッション達成のために、「固定概念に囚われない行動」である。
前回の投稿と合わせると「固定概念に囚われない猪突猛進型の行動」になる。
自分の考えを言語化すると、こうやってどんどん考え方がUPDATEされていくのかな。note始めて良かった。考え方を毎週末に整理して、次週に行動してみる。良いサイクルを回していこう。