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「仕事」の胡散臭さ。

 「お仕事お疲れ様です。」:これは尤も、そして美しい言葉だと思いますね。思うでしょ?

 しかしこう来るとどうでしょう?
 「仕事忙しくてさ。」
 「仕事なんだから、」
 「仕事のことは忘れて、」
 「仕事が終わった。」、「しごおわ。」
 :私には何のことだか分かりません。

 高校の物理に仕事量というのが出て来ます。
 私がそれを習った先生は高校の理科の教師を辞めて神学大学に入って牧師になり、別の高校の宗教主任になっています。
 しかし力学の’amount of work’は日本語にすると働量であり仕事量ではありません。
 workとは働くということで、仕事とはserviceです。
 動作や作用、actionsの結果がworks, 働きや作品です。
 働くということにその人間的感慨を付けると労働、labourです。自動ということに人間の知恵を付けると自働になることと似ています。

 そういえば先日に立憲民主党の岡田克也さんが労働者を代表する政党は一つでよいので国民民主党は立憲民主党と糾合するべきと語ったことに国民民主党が不快を表しました。
 働くことには様々な人間的感慨があり、それを一つの政党が代表するというのはどう考えてもおかしな話です。お話にならな過ぎて呆れるのですがそれが意外と現代の日本人民の貧困なる労働観を代表する意見なのかもしれないと空恐ろしくなります。

 ‘amount of work’とは働量。
 物はservice、仕事をしてくれはしません。自動車が仕事をしてくれるなら交通事故の発生件数は万年0件になる筈です。

 仕事とは読み字の如く仕えることな訳ですが、仕える人が「仕事忙しくてさ。」、「仕事なんだから、」、「仕事のことは忘れて、」、「「仕事が終わった。」、「しごおわ。」とか言うでしょうか?
 日本人は人類史上類なく偉大になったようです。さて、日本人に仕えられたと思う人が世界に何人いるでしょうか?スカルノ大統領は間違いなくそうでしょうが。

 芸術論や何かによく「彼の仕事は、」という言い回しがありますがそれもキモいですね。
 「彼の作品は」が正解なのですが日本の方々はどうも何かにつけて仕えていることにしたがるようで、「人として醜いことは誰かのためにして恩に着せることです。」という福沢諭吉先生の戒に反します。

 「お仕事は何ですか?」というのも変です。
 ‘What is your job?’とは「職(御職業)は何ですか?」です。
 職は「しょく」だけではなく「しのぎ」とも読むので「おしのぎは何ですか?」でもよいのですが今はやくざ界にしか残らない旧い語になってしまっています。「しのぎが忙しい。」、それならおかしくないです。

 仕えていないのに仕事と言う日本人は何が人のために相手のためになるかということに関し非常に鈍感で独善的になっており、それが経済の低迷にもつながっているようです。人にためどころか普通に歩けさえしない人が多数になって来ています。
 それでも国が滅ぶことはないので、そういう野蛮な国が永久に存在し続けることになるのでしょう。

 ということで、仕事がどうあるべきかないかということより、そもそも仕事という言葉を遣わないようにすべきです。

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