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アメリカ大統領選挙とのリンケージで考える、「資格を取っても意味がない。」という日本の変な風潮。

 久し振りのnoteになります。

 始めた頃は記事の更新を頻繁にしていてコインがわんさか溜まっていましたが、執筆活動にも職にもこういう中弛みというか倦怠というかというものは得てしてあるもの。
 書きたいという意志は絶えないけれど、なかなか題材が思いつかなくなって来る。
 何も書かないでいても日頃にそこそこ満足しているのでええわと思うようになって来る。

 更に、今の私は来週に引越す予定があり、その準備が執筆活動の時間が取れないほどになっているということもない筈ですが、何となく今は引越の準備があるので何も書けないというような気分になる。

 そんな折に、何かを書くきっかけとなるような出来事が降って湧いたようにあり、それがアメリカ大統領選挙。
 アメリカ国民ではないので関係ないとも大いに関係があるともいえないような、大なり小なり幾らかは日本国民の私や皆さんに関係するような出来事。

 まず言っておくと、私は今度のアメリカ大統領選挙は民主党の候補のジョー バイデン氏と共和党の現職の候補のドナルド トランプ氏のどちらが勝っても良いだろうと思っています。今日2020年11月8日に難航していた開票が終わって結果が出たそうで、バイデン氏が来春からの新しいアメリカ大統領になることが事実上は決まっています。

 私は元来はアメリカの政治に関しては民主党を贔屓にしているので、民主党の候補が勝ったことはその意味では嬉しく思います。四年前の選挙についても、土壇場でトランプ氏に掌を返しましたが、元々支持していたのはヒラリー クリントン氏でした。
 しかしトランプ大統領は元民主党員でありながら共和党の大統領となり、そのあり方が色々と批難されていますが、では、彼がアメリカを治めたこれまでの四年の間に私は不幸だったか、皆さんは不幸だったかと考えると、少なくとも無事に生きて来られた。それなりの幸せを感じて来られた。その「トランプ政権でも大丈夫だぁ。」という事実が今度の選挙におけるトランプ氏への依然として高い支持に反映されていると思います。

 「悪い夢見させてもらったよ、…あばよ!」

 トランプ大統領に贈る言葉、そして安倍総理にも贈りたいですね。

 では、それに続くのが「いい夢見ろよ!」とはゆくでしょうか?

 なかなかそうもゆかないもので、∴私は今度の選挙ではトランプ大統領の重選が無難だし私と人類の将来のためにも良いかなと考えていました。
 トランプ政権が終わるからもう「だいじょうぶだぁ。」とはいえない。

 戦争をしたジョージ ブッシュ Sr.大統領が四年で身を引くことはまあ当然の義理でしょうが(…え??)、他に一期四年で終わる大統領といえば民主党のジェームズ カーター大統領や共和党のジェラルド フォード大統領がいました。
 カーター大統領とトランプ大統領は政治史を知る人なら言うまでもないほどに、いわゆる無能な大統領の両極端でしょう。
 私はカーター氏もトランプ氏も無能だとは思いませんし、フォード氏やブッシュ氏についても同じく。
 しかしカーター氏は「知性的だが使えない。」という評が広く見受けられ、トランプ氏は「反知性的で使いたくない。」という評が広く見受けられます。
 どちらも知性的だし「使える」はずですが、そこは政治の水準は国民の水準を反映するものだという世の常。どんなに「使える」人物も使う気がなければ使えない。
 この四年のアメリカ国民はトランプ大統領を使うことのできるほどの知性がなかった。だから何でもトランプ大統領のせいにする。バイデン氏の勝利で「さあ!トランプの時代が終わるぞ!!」と根拠のない快哉を叫ぶ。
 足許を見て下さい。
 地面と君との間には いつも汚いウィルスが蠢いています。

 そんなトランプの時代にintoしてゆく何年も前から、私達の祖国日本には何だか奇妙な言説及び風潮が力を持っています。

 それは「資格を取っても意味がない。」。

 我が国にも世界にも、様々の分野に多くの資格が設けられています。
 アメリカ大統領というのもそれらの資格の一つです。
 日本の内閣総理大臣というのもそれらの資格の一つ。

 資格とは一定の条件に基づき公正に選挙された者に与えられるもの。

 例えば私は取った順に、第4級アマチュア無線技士、文部省実用英語検定第3級や中型(8t)自動車運転免許を保持していますが、それらは公正なる選挙により与えられるものです。
 投票と試験は違うという見方もあるかもしれませんが、投票は選ぶ人が数文字を書くだけで済み、試験は選ばれる人が結構な量の文字を書いたり体を動かしたりするという違いだけで、両者の本質は同じ、いずれも選挙であります。投票にしても、選ばれる側はかなりの量の文字を書いたり体を動かしたりするものです。今度のアメリカ大統領選挙は両雄がいずれもお年寄りなので、体を動かす負担がいかばかりなものだったろうかと考えられます。バイデン大統領が2期8年を終える時の彼の年齢は85歳。女というガラスの天井も重要な問題ですが、その前にまず人として、老人というガラスの天井が破られることが必要なのだろうと思ったりします。
 人間は年齢を問わず、生きてデビューすることができる。
 日本にもかつてきんさん・ぎんさんがいました、来年の日本には金も銀もないでしょうが。

 「資格を取っても意味がない。」

 :日本がデフレの時代(2000年頃から。)に入るや、そんな言説がちらほらと出て来、そしていつの間にか風潮となっているそうです。
 主にインターネットの普及と共に力を増して来た、ビジネス論や生き方論に言及する媒体にしばしば見受けられるものです。
 一方では「資格を取れ。そうすれば食えるであろう。」というような言説も根強く存在していましたが、どちらかといえば前者が強い時代の傾向であったと思えます。

 「資格を取れ。そうすれば食えるであろう。」というのは昭和から連綿と在り続けている言説ですが、「資格を取っても意味がない。」というのは平成中期から出て来た比較的新しいものです。しかし新しいとはいえ既に二十年の経年があります。

 まずはっきりさせておくべきなのは資格とは食うための条件ではなく権威を賦与するものであることです。
 資格がなくても食うことはできます。
 しかし資格があればその権威に由り、食える余地が増します。
 反権威主義の思潮が強い今の時代に、権威を持つ、そのために資格を取るということは権威主義ではないかといって嫌われがちなのが或る人々をして「資格を取っても意味がない。」といわしめる理由でしょう。 

 資格を取ることは元々知性のなかった人がそれにより知性を売ることのできる機会でもあります。
 資格の取得には学歴などの出自は問われません。ざっくりいえば、お金を払って試験を受け、それに合格すればなるのです。どんなに反知性的境遇に育った人も、資格を取ることは知性の証になります。

 トランプ政権はしばしば反知性主義だといわれます。
 確かにトランプ大統領の発言の数々には知性的という感じのしないものがしばしば見受けられます。
 しかし彼が支持を得たアメリカのrust beltと呼ばれる相対的若しくは絶対的貧困にある地帯は、そもそも資格の要らない職が多くを占める地域です。要らなければ取る必要もありません。では、その彼らが資格を一般に見て不必要なものと思うかどうかといえばそうではないでしょう。自分達は資格が要らないから取らないだけで、もし資格の要る境遇や資格を取ると有利な条件になれば資格を取ることには価値があるだろうと思うでしょう。

 日本に見受けられる「資格を取っても意味がない。」という言説と風潮はそんなrust beltのものとは違います。
 資格があれば必要だったり有利だったりする地域や境遇の人々がそう言っています。∴、トランプ政権を評してしばしばいわれる反知性主義ということについてはそのアメリカよりもこの日本により深刻な問題だったりします。「炭鉱を掘るための資格」のように、どう考えても要らないものを要らないというのではなく、要るかもしれないものや必要なものを要らないという。
 尤も、考えようによれば炭鉱労働にも資格を設けることは意義があるかもしれませんし、トランプ政権の発想の風土からはそのような結論が導き出されるかもしれません。

 逆に、反トランプという情念からだけでバイデン氏を支持するような向きからは、今の日本のように、資格なんかなくても食えるような経済社会にしろよという感じではないでしょうか?
 勿論、資格がなくても食えるべきです。しかし資格がなくても食えることと資格があったら食えないようにすることは違います。
 「資格を取っても意味がない。」という声からは、資格があったら食えないようにしろというような意味合いしか感じ取れません。食えないことはないにせよ、少なくとも、「資格を持っているなら自分で起業をして自己責任で生きてゆけるはずでしょう、なのでうちの会社は辞めてくれよ。」というような含みがあります。そんなことは誰もいってはいないというかもしれませんが、そういいたいと顔に書いてあります。

 そんな反権威主義はそもそもどこから湧いて出て来るのでしょうか?

#資格 #アメリカ大統領選挙   

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