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’80年代の完全終焉と’20年代の豊かさ、日本経済:その2 ’80年代の好況は存在しない(「領土紛争は存在しない、」風に。)。

 C-C-Bの笠浩二さんの死は’80年代が終わるのに2022年くんだりまで掛かってしまったことを思わせます。
 その笠さんはUturnedで移り住まう熊本で既に’80年代を脱却する新しい暮らしに入っていました。
 音楽家を転身し農家になり、音楽家の頃の不健康な暮らしを脱却して健康になりました。その早死をあり得なくはないが可能性は低いと予想していたのはそれ故でもあります。
 細川護煕さんのお膝元で秋山幸二さんや八代亜紀さんの故郷ということも健康的印象の大きな要因ですが実際にはそうでもなかったよう。

 マスコミのネタ不足もあり’80年代の音楽や服飾などの歴史的風俗は21世紀に入ってもしばしば回想録のように再生されて埋め草に役立っていましたがこれからはそれがぐんと少なくなりそうな気がします。
 もはや昭和自慢や平成自慢はお金にもいいねにもならない。

 🇯🇵というか、

 そもそも八十年代はさほどに豊かに栄えていた時代だったのでしょうか?

 八十年代に見た神戸や東京などの風景を四十年後の二十年代の今同じ地点で見てもそう大きな違いはありません。
 違うといえば、特急や急行の停車駅が無駄に増えていることくらいです。
 当時はスマートフォンはありませんでしたが髭剃機やトランジスターラジオが街を往く人々の携える必須アイテムでした。
 それは当時は豊かだったがそこから貧しくなったとか変化がないというのではなく、当時も今も町々が細々と開発されて新しい店がちらほら出来ては潰れることが繰り返しているだけということです。店を開く自営業者だけではなく賃金所得者(サラリーマン)の暮らしも当時と違いません。
 今は四十年前と同じ位に豊かだともいえるし四十年前は今と同じ位に貧しかったともいえます。
 その意味では八十年代は笠さんの死に出会う今もまだ終わらず当分は続くでしょう。

 そもそも、日本は石油危機の頃から低成長にあります。
 昭和50年頃に賃金の低下と物価の上昇が同時に生じるstagflationsに入り、令和5年頃と似る状況にありました。
 その後に高い経済成長が八十年代に再び生じたと噂されていますがその主因は貿易摩擦によるもの。国の指導者達が肩を組み結束した筈のアメリカ🇺🇸に大変な迷惑を掛けてのもので、その日本🇯🇵の利益は国民にも企業にも(企業にもです😵。)還元されることがなく、未還元の浮いていた資金が八十年代末のバブル経済の種になっただけに終わっています。
 よくアベノミクスは株高をもたらしただけで円安をもたらし、景気を八十年代のように上向かせてはいないといわれていますが実は八十年代もそれと同じです。八十年代は円高だったというのは事実の誤認で、当時は二百四十円/一ドルほどの水準を緩々と円の値上の傾向が続いていただけで円高といえるほどの著しい円の値上が生じたのはむしろバブルの崩壊の後の九十年代からデフレに入った零年代に亘ってです。当時の苛烈な貿易摩擦からすれば幾らか円の取引値が上がったとはいえ実質では円安で、アベノミクスの頃と同じようなものでした。
 賃金が上がっても七十年代から続くstagflationsの残滓による激しい物価高により国民の生活水準は頭打ち若しくは低下していました。その物価高には近年に無償にすることが提唱されている大学の学費も含まれます(高校は既に無償が実現。)。
 昭和50年頃に既に日本経済は低成長の時代に不可逆的になるといわれていたにもかかわらず、八十年代の額面賃金の増加を経済成長と誤認して景気が良くなったというバブル脳な方々が当時も今も絶えない。彼等が令和の今に、今は当時のように豊かではないので財政支出の拡大で国内需要と国民消費を拡大して給料の増える国にしようなどと、それも七十年代から何も変わらん十郎のバブル脳を蒸しています。
 七十年代の列島改造政策による財政支出の拡大は列島の改造、即ち国土の開発という経済成長の唯一の要素を曲がりなりにも目的としていただけ意義がありましたがそのような目的もなく財政支出の拡大を経済政策としてしても経済はうんともすんとも上向きません、経済政策としてではなく基本的人権を守るための必要な支出は糸目なく行うべきですが。

 聖子が駈け、笠が吠えておニャン子が戯れる八十年代は彼等が元気づけなければ盛り上がらない貧しい時代で、(存在しなかった)豊かさの勢いに乗っての盛り上がりでは決してないのです。

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