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ウィルス時代の想像力:核戦争が去ってまたパンデミック。

パンデミックの時代に

 人間は一度にあまり多くのことを考えたりしたりすることはできません。
 どうしても何か一つのことに関心を絞り、話題もそれにつれて集中せざるを得ない。
 しかし一つだけでは良くなく、二つでも三つでも、いくつかの事柄を同時に考えてする必要があります。

 今は新型コロナウィルスCOVID-19の流行がほぼ全世界に及ぶパンデミック(a pandemic)の情況にあります。
 人々はどうしてもそこに目を点にして関心と話題を集中させてしまいますし、それとは距離を取ろうとしている私さえいくらかはこのパンデミックについて自分の知識と想像力の及ぶ限りで関心を持って話題にしています。気がつけばこのnoteの記事もCOVID-19についてのお話が立続き、 「新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。」の表示が欠かさず付いてしまっています。

 私は新卒の頃はテレビや新聞などのマスコミへの就職を志望していたので、時事問題には強めです。
 あらゆる話題を一々欠かさず追うのではないので知らない話題も少なくはなく故に「強め」であり「強い」とはいわないのですが、ぶっつけ本番で或る話題についてのあらましを知って何らかの情報の形にすることは得意です。
 マスコミのように情報を加工して送ることにおいては、一つの話題を扱っている時にも次やその次の話題をどうするかを考えないとなりません。どこかで時間を切って話題を変える。COVID-19についてもいつまでも流し続けまたはつき合い続ける訳にもゆかない。
 その故か、1956年(昭和31年)に既に総理府の経済白書が「もはや戦後ではない。」と宣言しているにもかかわらず、今は「戦後」の時代だという時代の認識が2020年(令和2年)の今もだらだらーっと続いていることには違和感があり、新卒の頃は特にそういう意識が私には強くあった。

 植民地競争、全体戦争、そして核戦争:その世界大戦は四分の三世紀も前に終り、そして今、世界は新型コロナウィルスという強い脅威を前に「見えない敵との戦い。」との掛け声が飛散している。
 前にも病原性大腸菌O-157――まさに私の新卒の頃。――とか、強い感染症の脅威は幾度となくあったけれど、局地戦争のような規模。今度は世界大戦のような規模で拡がっている。
 ――と、疫病の流行を戦争に擬えがちな現代人ですが、直前の記事にも語ったように、菌もウィルスも無生物の自然現象で、それを敵視して戦いの対象にするのはどうも幼稚な発想ではないか?
 良し悪しはともかく、人間にとっての敵であり戦いの対象であり続けてきたのは人間を含む意思のある生物です。望ましいと思われる人間の意思に反する何らかの意思を以て立ち現れるものが人間にとっての敵であり戦いの対象なのです。

ウィルスの正体は何か?

 ただ、ウィルスと戦争が一つアナロジーとして結びつく、リンケージし得る点があり、それはウィルスが核酸という――基本的には人の健康に有益な――物質から構成され、それが何らかの反応を起こすことにより感染症を引起こすことが核兵器――または原子力発電――の縮小相似形として考えられることです。

 核酸は「核」なので危険なのかというとそうではなく、あらゆる物質は原子核を構成要素とします。
 核兵器や原子力発電が人間にとり非常に危険な破壊力があるのはその質量と規模が莫大だからで、他のほとんどの物質はそれらと比べるとほんの小さな破壊力しかありません。
 危険といえばふわふわと軟らかい毛糸でも人を絞殺すことができるので何でも危険なものになり得ます。諺にも「真綿で首を絞めるよう。」というのがあります。
 故に何の物質であれ人間がそれを安全に使おうとするなら何でも安全なのですが、核兵器や原子力発電のような質量の極めて大きな物質は人間が実際に使いこなすことのできるものではないという訳です。それを知ってか、トランプ大統領や金正恩将軍は超小型核ミサイルというものを構想しています。

 通常は安全かつ有益な核酸が何らかの異常な変化を起こす際に人間などの生物を感染症にするのです。
 ではその変化とは何でしょうか?

 ウラニウムやプルトニウムによる原子爆弾――:1945年(昭和20年)に日本に対する攻撃に用いられたもの。――の後に、1954年(昭和29年)にビキニ環礁で水素爆弾の実験が行われました。
 核のない世界をという主題を語る時にはそちらも欠かさず話題にしないと公正中立ではないと思うのですが、それはさておき――いえ、すみません…、何も云ってません…、ああ……。――、どうもそれがミソになるのではないかと思います。

 水素爆弾とは既成の大質量の核物質による原子爆弾に水素を加えることにより更に莫大の破壊力を実装したものです。
 水素は逆に確認済の物質の中では最小の質量で、核物質が重い塊をなすのと比べ水素は極めて軽い気体。水素に次ぐ小質量の物質はヘリウムで、昭和末期に噴射缶のヘリウムガスを吸うことにより声が変わるというものがはやりました。因みに志村けんの「怒っちゃいゃーよ!」という台詞の声の出し方はそのヘリウムガスによる変声と似ています。

 それらの質量の差とその間に働く高い圧力が大きな爆発と破壊力を生むのです。

 ウィルスは核酸であり、それを核物質に擬えると、そこに水素などの極小質量の物質が高い圧力で反応すると感染症の破壊力を生み出すのではないでしょうか?

 尤も、ウィルスそのものも単体では極めて小さな質量しかないので核兵器のほどには極めて大きな破壊力は出ません。故に問題は質量の大きさよりも圧力の高さです。
 高圧の力が何らかの異常な変化により瞬発で生じるとそこにウィルスが発生する。その現象として考えられるのは気候における異常な高気圧の発生です。
 COVID-19の感染症が最初に出たとされる中国の武漢だけではなく、ほぼ全世界に同時多発で異常な高気圧が発生した。それが引起こしているのがCOVID-19だけではなくこの冬の前半における暖冬の傾向とその後半における寒春で、4月の下旬に来てもまだ寒さが続いています。
 なので問題は一部に主張されているような食肉でも二酸化炭素の排出でもないでしょう、他の事柄においては問題かもしれませんが。
 ただ、空気中の二酸化炭素の増加による海水温の上昇が海水の蒸発を増し、空気中の水素を増すことによりウィルスが生じている可能性は否定できません。
 その水素が高気圧により核酸との反応を起こし、ウィルスという破壊力が生じる。
 但し、ウィルスの質量は微小なのでそれを受ける人間は健康な状態なら破壊力という破壊力を被ることはありません。通常に砂埃を少々吸うこととそう大きな違いはないでしょう。
 ウィルスが人体に破壊力をもたらすのは人の体もその異常気象に同調するように過大の水素やヘリウムなどの極軽物質を摂取しまたはそれが不安定な循環をしている場合です。
 異常気象も自然現象ですが、食品が何でも自然由来なら良い訳ではないことと同じく、気象とそのもたらす空気も自然なら何でも良い訳ではありません。「自然と融和する」ことは一つの大切なことですが正しく融和することが必要で、ただ自然に身を任すように融和した気分になることは危険です。そういう変な価値観は多くの先進国民がひと通りの豊かさを実現していた'70年代の辺からはやり始めました。
 自然を敵視して戦っても意味がないだけではなく自然との誤った融和も意味がありません。いわば自然は自然らしく、文明は文明らしく、互いの島を侵さないように棲分けることが大切であり、それが本当の融和です。

暑くても水を(軽々には)飲まない。

 水素の過剰な摂取、卑近な例では水の飲み過ぎ。

 故に、熱中症の予防という大義を以てしても、水分の摂り過ぎは感染症を招き易くなります。
 COVID-19に面してだけではなく常にそうですが、この夏は特に、熱中症の予防のためといって水を沢山飲むことは危険なのでおやめ下さい。
 感染症を招き易くなるだけではなく、多量の水分の摂取は体内の保湿のために分泌される唾液などの消化液を流してしまい、逆に喉などの体が渇き易くなります。それと比べるとお酒で少々の脱水が生じる方がまだ健康的です、お酒を勧める訳ではありませんが。
 適量の水分の摂取の際も、ちびちびとこまめに摂ることは水流の頻度が多くなることにより消化液の流失を生じ易く、むしろ或る程度の多めの量を一気に飲むことが奨められます――一気飲みの勧めではありません。――。また、飲む際には決して「hあー!!」とか「hうー…」などという声を出さないこと。そうした時に空気の吸引が異常になり、水素の異常高圧反応が起こり易くなって感染症につながる虞があります。

 直前の記事に女子は男子と比べ妊娠またはその可能性に由る核酸の制御の力が強いと思われるのでCOVID-19の感染率も低いのだろうという説を示しましたが、それだけではなく、水などの飲物の飲み方や食べ物の食べ方においても男子は女子と比べ感染症が生じ易く、それがCOVID-19の男子の感染率の高さにつながっていると考えられます。
 飲む時に声を出すことだけではなく、食べる時に啜ることや掻込むことも感染症の原因になります。なので外出の自粛の際に麺類の買溜めや爆買いをすることは感染のリスクを高めることで、お奨めできません――栄養のことはこの際はさておき、食べ方の問題です。――。麺類を食べたいなら啜ることをやめましょう。
 水分の過剰の摂取は感染症だけではなく炎症の原因にもなり得ます。分かり易い例はおなかを毀すことです。

 そこで鋭い方はお気づきでしょう。

 ウィルスは人間やその他の生物の暴力性と関係があります。

コロナ感染率の高さは安全保障秩序の写し絵。

 歴史的傾向としては、おしなべて男子には暴力的な人が多くて女子には暴力的な人が少ない。
 但しそれは男女人間の本質ではなく、何らかの意図において形成された癖に過ぎないので男子が非暴力的に変わったり女子が暴力を身に着けることはできます。

 そういうとコロナに感染した人々は皆暴力的といっているかのように聞こえるかもしれませんがそうではありません。
 大雑把にコロナウィルスなどのウィルス感染症に罹りやすい順を考えると:

 ↑罹りにくい
 ①適度に暴力的で、暴力を正しく用いることのできる人
 ②暴力的ではない人
 ③暴力的な人
 ④暴力を否定し過ぎまたは力そのものが著しく弱い人
 ↓罹り易い

 これは国の軍事防衛の観念とも関係があると思われます。
 軍事力と個人の暴力は同じではありませんが国の軍事防衛の観念が個人の暴力性に影響を与えまたは個人の暴力性が国の軍事防衛の観念に影響を与えることはしばしばあり得ます。

 いつの時代にも国民とその国が最も健康で強いのは適度の軍事力と防衛政策を持ち、国の独立と国際秩序を守ることです。それが①。
 しかしそのためには基本としては戦争を避け或いは戦争を放棄し、社会が非暴力的でなくてはなりません。それが②。
 好戦的で、ウィルスなどの自然の脅威に晒されない時には滅法強くても自然の脅威に面するとなす術がなくなる、これは近年の日本にしばしば見受けられる性質ですが、それが③。
 いつの時代にも少数として存在するいわゆる弱い人々、それが④。

 どの国にも①~④の全ての型の人々が揃うものですが、その構成比は国により様々です。
 多い順に、日本は:②③①④。そして今時の主流は③。
 韓国は:①③②④。最多勢力が日本とは違いますが③がかなり多い点では日本と同じ。
 北朝鮮は:②④①③。有する権力ではなく数で見るとそうなる。
 中国は:③①④②。あまり大きな声では言えませんが最悪の構成比。①が多いと良さそうに思えますが③との権力抗争が国を不自由にします。
 アメリカは:①②③④:というといかにもアメリカは感染者が少なくなりそうに思えますが感染し易い人がもれなく感染しているような感じで、競争社会らしいありよう。①の考える「適度」が結果としては大き過ぎることが中国や日本を含む③を刺激したりつけ上がらせていることもあるのでしょう。その構成比の順は自由の女神つながりのフランスやかつての宿敵ロシアも同じですが③がアメリカと比べはるかに少ない。フランスもロシアも戦うことは国民の義務であり好き嫌いに左右されるべきものではないからです。

 で、西洋では最も多数かつ深刻な感染が生じたスペインとイタリアは:②①③④と、日本より理想に近い構成比で、ドイツも同じ。にもかかわらず日本やドイツと比べ感染者が多いのはアメリカとは逆に①の考える適度な軍事力が結果としては小さ過ぎまたは②の考えが強過ぎることにより事実上は意味をなしていないからかと思われます。軍事力そのものは日本はそれらより強いとされますし、戦争の放棄ということについても強過ぎるとされる日本よりもっと強い。強過ぎる平和主義が好戦的な人々の退屈感や不満の解消の欲望を誘いかねないことは今の日本と似ていないようで似ています。

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