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広告宣伝の一流二流三流、その2:鉄道広告から考えるPRのあり方

 広告のではなくUI, user interfaceの話になりますが、駅番号てほんと意味不。
 2004年に東京メトロと東京都地下鉄が導入したことから広く認知されるようになっていますが最初の事例は1984年に長崎電気軌道が導入したもの。
 関東は2002年に横浜市地下鉄が導入したのが初で、それからの二十年程にいよいよ全国に普及して来ました。

 そんなことをして、誰も駅番号を憶えてやしません。
 多分、外人も皆自分の使う駅名くらいは番号がなくても憶えているでしょう。
 然程に費用の掛かることでもないのでしょうが費用が掛からなければ何でも良い訳ではない。
 一つ一つ番号が表示されるというのはUI的に雑然として見苦しい。
 いわゆる日本製品というものと同じく、今時の日本は意味のないことに力を入れる(と同時に必要なことをしない。)ことを殊の外に好むよう。

 というか、広告もUIの一種です。

 商品への利便、accessの第一歩は広告です。
 初めから現品を見るにしても、そこには値札や包装などの広告の要素が付くもので、蟹がどかんと何の表示もなく置いてあっても誰もそれを見て直ちに買おうかとは思いません。

 冒頭にリンクのある直前の記事に述べた広告宣伝、延いてはPRの全般の一流二流三流:

 🟠三流のPRは一言に気合を込める。
 🟠二流のPRは一言二言を添える。
 🟠一流のPRはそれがどんな場所での一言なのかを考える。

 そのような観点から鉄道広告の幾つかの事例を見て行きます。

西日本鉄道(西鉄)

 西鉄は西鉄でも西鉄電車ではなく西鉄自動車学校なのが初端から反則技ですが、いきなり素敵だと思いました。

 色々な意味で感覚が抜群でやや参考にはしにくいかもしれません。
 因みに西鉄沿線は今最も女子の転入先として人気の地域です。
 福岡は旧くは西鉄ライオンズの本拠地でした(西武ライオンズのファンです。)。

 そのコンテンツだけではなくそのように一際に大きな広告枠を設けることも鉄道にはなかなかありません。
 実に素晴らしい。

阪神電気鉄道(阪神)

 このような様式の全体広告は全国に普及していますが、画像なし、文字のみというのは特にその様式なら極めて強い。
 ずしっと来るものを感じて浸るも良し。
 何か突込みを入れるも良し。
 その一言を幾つも幾つも考えるということで、一流的といえるかと思われます。

 ちょっと残念な感じの一品。
 発売開始の案内文が目立ち過ぎて何の発売開始なのかが分かりにくい。
 パ酒ポート灘五郷の文字を太くし、下の黄色の部分を右端までではなく黒の円形の部分を落としてそこも青色にすると良い。そこに小さな枡を置き、その上から酒を右向きに注ぐ図とか。
 というか、そもそも青色の部分の図柄もそんなには要らないのでは。

 基本的には、コンピューター(インターネットウェブを含む)以外の媒体には画面の分割は良くないです。
 コンピューターの画面は固定表示の部分と遷移表示の部分があるので画面の分割の必要が生じることがあります。表計算の先頭行の固定などもそうです。
 全面が固定表示の媒体は、画面の分割があると視点の往復移動が生じます。
 ということは、その時点で目移りされている訳で、支持(買わないが好評する、即ち人が宣伝の媒体になる場合を含む。)を得られる確率が下がります。
 今時はインターネットウェブが最有力の媒体となっていることから、紙や電波の媒体もその様式を模する例が多くなって来てもいますが総じて稚拙です。検索印もやや痛い感じがします。

阪急電鉄(阪急)

 一見は意味不明でしたがよく見たら広告主の意図が読み取れました。

 行先を限定せず、どこに行くにも阪急電車で行かへんかという提案です。

 一概に広告にも一般文書にも斜体字は良くありませんが(斜体字とは引用元を表示するための書体です。)これだけの文字の大きさで書体の形と斜角度が控え目ならまあ良いのではないかという感じ。
 色彩については阪急は相変わらず最優良です。目立ちながら目立ち過ぎないとても心にすっと入る色です。

 図柄の構成は一流ですが文面が二流。

 尤も、今時は全国に逸っているらしい様式で、いわば「御飯・みそ汁・お漬物」型の文言の構成です。お漬物が余分な塩分で良くない。

 「すべての人が、安心して行き来できるように。」(読点の遣い方が誤りで、正しくは「すべての人が安心して行き来できるように。」)と「もっと、みんなにやさしい駅へ。」(助詞の遣い方が誤りで、正しくは「もっと、みんなにやさしい駅に。」)を上下に分ける必要はなく、一体にして「すべての人が安心して行き来できる、もっとみんなにやさしい駅に。」にすればB’zの歌の題名みたくもっと訴求が強まります。

 写真については、車椅子も車輪が渡板に掛かるように映すともっと現実味が出ます。

 また、これはどちらでも良いでしょうが、右半分の白地の部分は角を丸めずに右端まで延ばすと良いでしょう。

南海電気鉄道(南海)

 「ロマンス」というと文字を細くしたいような乙女心にも似るような感じがするのかもしれませんが「南海ロマンス」の文字はもう少し太くして位置を上げ、NANKAIのロゴマークをその分もう少し大きくすると訴求が強まります。
 まあしかし余分な文言がなくて印象的に分かり易く、一流に近いといえるかと思われます。

 非の打ち所のない分かり易さと好感度。
 ポイントプレゼントキャンペーンというそもそも積極的支持の期待の薄い要素を敢えて目立たなくして南海電車と全日空の利用「そのもの」を促すという計算高さも良い。

京阪電気鉄道(京阪)

 全ての要素が知名度に依存しているとはいえ、造りとしては非の打ち所のない一品。
 「願って、しあわせ、つなげましょ」はややもすれば二流的一言二言になりかねないものの、拍子が良いことが効果的。

近畿日本鉄道(近鉄)

 写真の珍しさで注目を取れば文字は小さくても読みたくなる:のだろうか?
 何気に服の色が近鉄電車の駅名標の色だったりし、文言の部分の入れ方なども無駄がなく、全体に古典的に良い感じがします。

名古屋鉄道(名鉄)

 老眼なので「レールの先」が「レールの光」に視えてしまうのですがそれもわざとなのでしょうか?
 全体に素晴らしい感じですが「ココロ」という平成的表記を遣わずにそこだけ大きな文字で「心」(そこだけ手書調でも良い。)と記すのが令和的にお洒落(昭和的に古い発想?)かと思われます。
 演者が石田ゆり子似なのもわざと?

江ノ島電鉄(江ノ電)

 全体の構図は申し分ないけれど、視れば分かるものを「ガタンゴトン。」・’GATAN GOTON’と記すのは無駄。
 また「キモチ」という表記や「息づかい」という語彙も平成的で痛いよね。「キモーい…。」という喋り声が聞こえて来そうです。
 駄目押しは「耳を澄ませば」:1995年(平成7年)の宮崎駿作品の題名をそのまま。
 これは高水準になってしまいますが、「潮と風のささやき。鳥と樹々のおしゃべり。」は「ささやきは潮と風、鳥と樹々はおしゃべり。」が文章的にきれいです、そこまではなかなか求められないかもしれませんが。

京浜急行電鉄(京急)

 何か、色々な意味で痛い感じ。
 空港への利便を訴求するのに、飛行機やそれを連想させる何かがドローンみたいな大きさでしかなく、あくまでも電車と人をというのは如何なものか?
 そこでガッツポーズをする人々は昔から羽田空港へは京急一択なので、そこで出演してもらう必要はないはず。
 多分、この広告の企画者が羽田空港に行くのに京急を使いたくない(東京モノレールを使いたい)からこうしたのではないか。
 度肝を抜きたいなら、京急色のジャンボジェット飛行機を飛ばすなどが良いかと思います。或いは逆に空を飛ぶ京急電車とか。

東急電鉄(東急)

 広告宣伝の意図は今一つよく分からないものの、広告作品としては極めて優良。
 意図が不明というのは、再生エネルギーが出来るためには新品のエネルギーが作られなければならず、再生エネルギーを100%にすることに如何程の環境負荷の低減が見込まれるのかが分からないということ。また、そうであれば排出は0になる訳ではない。やや誇大広告という感じ。
 折しも運賃の値上げにあり(それそのものは必要だが、)、エネルギー費用の低減による利益の増大が客に如何なる形で還元されるのかされないのかも不明。
 細かい点をいうと、その二人の姿勢が直立だとナチスの敬礼と間違われることに注意。


 これも京急の羽田空港ののように新幹線への乗換に新横浜駅を使いたくない(東京駅や品川駅を使いたい)企画者が作ったのではないかとの疑いの残る一品。
 先ず京都の部分はほぼ全く文字が視えません。
 大阪の部分はSDGs列車で協働をしている阪急電鉄を立てることもあってか文字が視易くなっていますが(しかも女子。)、岡山の部分もあまりよく視えません。
 「東急線から新幹線に」
 「パっと乗り換えて」
 「ぜひお越し下さい!」
 その三つの行の位置を揃える必要はありません。
 わざとしているとしか考えられない視認性の悪さ。

相模鉄道(相鉄)

 盛り上がっている処に恐れ入りますが、何の広告なのか全く分かりません。
 夏目漱石の『三四郎』の汽車でしょうか?
 ビジュアルや言葉など、あらゆる観点から酷過ぎる広告作品です。知事さんに怒られると思うのです。

小田急電鉄(小田急)

 悪くない造りですが、画像の意味を考えると何か恐い感じがします。

 技としてはステルスマーケティングの逆張りで、ステルスマーケティングがそこにいる人の知らないものを第三者の共感という架空の事実により何気に新しく刷り込む技ですが(違法とされる可能性があります。)これはそこにいる人が常日頃に見ていて馴染みのあるものをさり気なく示すことにより、より大きな価値を誇示しようとするもの。
 要するに、いつもの無味乾燥な電車ではなくなります、これからは人が(例えばあなたが)大切にされる空間になりますということを云いたい訳です。人が大事なので電車を大きくは示さない。

 恐いというのは一つの黒ユーモアなのか、同じ人が四つ映ることにより、あなたという人は幾らでも取替の可能なものに過ぎないのですよということを刷り込もうとしているかのようにも読めるということです。

 また、パソコンの前で飲物をというのはこぼす虞を感じさせるので如何なものかと思います。
 総じて危険を顧みない人間というものをそこに表現しているのかなと見えます。

 一見して忽ち「これは酷い…。」と感じた広告作品。

 一言で言うと、客が眼中にない連中。

 先ず以て、客を(というか人を)指差すとかあり得なさ過ぎ。
 写真の照度が無駄に暗く、全体に陰険な雰囲気がします。

 論旨は理解できます。
 しかしそれは「役割はそれぞれ違ってもお届けしたい一つの思い:当たり前を全力で作る。」で良いのでは。
 その「一つの思い」を縦と横に分割したら、一つという感じがしなくなります。
 逆に、真中のお姉さんは要らず、‘TEAM ODAKYU’という欧文文字を縦にしても良いのでは。チームなのに縦割り笑とユーモアが取れます。
 女子ということにつきいえば、重要なのは女子の人数であり一人の女子の占有面積ではありませんね。
 色々な意味で、これはおっさんリベラルの価値というものを存分に公共の場で誇示した恥ずべき例といえます。

 しかも×印が入るとは、「閉じる」をクリックしてほしいという感じに受け止められてしまいます。なので私も心のマウスでクリックしました。

京王電鉄(京王)

 素晴らし過ぎて何も言えません。

 春なのに、春夏秋冬。

 東急の文化村列車も顔負けです。涙が溢れます。

 画面の上下を分割しているようでしていない、上下の二枚で一つの風景を構成している。
 因みに今は八王子・高尾山口行の分割はありません。

 『大和撫子七変化』を想わせる七枚の写真。そして七人の侍。

 細かいことをいうと、高尾山に行ける電車は京王が一択なので「高尾山へは、京王線で。」という文言は必ずしも要らないかと思われます。
 寧ろそこは連峰ということで「陣馬山にも京王電車で。」と便乗広告をするのが良いかなと。昔は陣馬号という八王子行の特急や陣馬そばという駅そば屋もありましたが、今は陣馬山の広告を全くしてはいないようです。

西武鉄道(西武)

 電車と人の大きさや位置の均衡が良いですね。

 演者の装いも、バタくささが特色な西武沿線らしさを感じさせてジャストミートです。

 但し、「ちょっとリフレッシュに」の文字が少し読みにくい。
 逸りの手書書体を意識しているのかもしれませんがじゃあ、広告の文字が自分の文字と似ていたら惹かれるかといえばそうではなく、自分の文字とは違う可読性の高い文字に惹かれるでしょう。
 また、「ちょっとラビューで秩父まで」は拍子が整っているので如何にも良さそうに見えますがではその拍子に乗って行こうかと思うかといえば疑問です。気分は時めいても実際の問題があります。
 故に「ラビューで秩父までちょっと」がよりつかみはOKかと思われます。「ええやないか、ちょっとやねんか。」と、そこは昭和おやじの味を出すべきです。何やかんや言うても女子達だけで山に登るというのは怖いものです。

 全く意味不明。

 そもそもポイントてそんなに嬉しいものではないのですがそれにそこまでの満面の笑みをするとは?
 しかも「いよいよ」の語義が誤りで、「いよいよ」とはほぼほぼ「段々」と同じような意味です。乗車ポイントが段々始まるとはどういうことか?
 また、事前登録という語は実際に何を指すのかを想うことが難しく、「もう登録できます!」とかがつかむ語ですね。
 しかも演者の髪形が昭和末期や平成初期の泡が立っていた頃の西武沿線やその周辺を想わせて時代錯誤です。安倍さん達の歴史観とかもあり、時代錯誤、anachronismというものはもう国民にほぼほぼ完全に拒絶されているのだというtrendyな空気の読みがないらしい。

東武鉄道(東武)

 お話にならない二流の塊。

 小田急の前出のあれなんかもそうですが、会社が労働者にいつも報いていたらこんな広告宣伝をしようというような発想は出て来るはずがないのです。
 しかしそうなのは労働者を抑圧したい、無スト連続何年を誇りたいからです。
 大体東武は50系という極めて優れものの世界の日立製の車輌を使っていながら、そんなに旧くもないのに、東急車や営団車とはあまりにも掛け離れている汚さではないですか。もう東武との乗入をやめてほしいと思う。
 どうしていたら座席の仕切板にあんなに傷が着いていたり扉の把手が錆だらけになったりするのか?しかも体脂肪の塊やうんこがそこいら中にあるのか?
 とにかく物を粗末にするし人を粗末にするのが東武。
 スカイツリーラインとかアーバンパークラインとか、ふざけるのもいい加減にしろ。

 他の電車や沿線も今時はおしなべて醜悪感が増して来ていますが東武は中でも飛び抜けて酷い。東急沿線の柄が悪くなって来ているのも東武と乗り入れ始めてからかなと。

京成電鉄(京成)

 物議を醸したそうな一品。

 私は一見してこの演者は女子かと思いましたが調べたら男子だそう。
 意図があるかどうかは不明ですがジェンダーレスな印象の者に「お客様はお姫様。」と言わせることで世界の複雑さを表現したのかと勘繰ります。

 お姫様そのものの善し悪しはともかく、一概にいえばいわゆるお姫様型の女子というのはうざいです。
 お姫様そのもののというのは階級に裏打ちされるということですがいわゆるお姫様型というのは下らない庶民の勝手に作り上げる「差のある」女子ということで、お姫様型の方々そのものも下らない庶民に過ぎません。

 京成電鉄はかつては被差別部落の地名総鑑という書物を所蔵し、被差別部落の出身者の排除に血道を上げていました。それで儲かるかといえば、万年赤字。
 日本一の速度の空港新線(Skyaccess)で変わったかどうかは知りませんがそれでもやはり京成電鉄は悪い意味での昭和の遺物というような感じが拭えません。

 但しこの広告の造りはかなり良いです。

東日本旅客鉄道(JR東日本)

 全体の構成はなかなかですが節々に痛さが残ります。

 贅沢を言えば、「つながる。」ということを表現したいならば列車は先頭車ではなく中間車だけが突き抜けている姿がより良いかと思います。
 先頭車の姿というのはどんな意匠でどう逆立ちをしても、どこか悠長な感じがしてしまいます。
 そういう場合にこそ、もっと現実味のある感じがほしい。

 常磐線全線運転再開という主たる伝言が確りと大きく表示されているだけ良いですが日付の「3.14」が無駄に大きい感じがします。
 また、時期からしてそれが2020年であることは自明の理なので「2020」ももっと小さくてよい。出来れば「2020.3.14」とではなく「2020年3月14日」と表記されたい。
 情報の表示は大き過ぎると訴求力が落ちる場合があります。それが3月14日などという情報としてではなく「3.14」という形の図形としてしか認知されない場合があるのです。
 おしなべてJR東日本が弱いのも、電車や駅などの媒体が図形としての認知には強いが情報として認識されてはなかなかいないという点ではないかと思われます。
 軌道を現実の交通機関としての電車が通っているのではなく電車のような形の図形が走っているというような感じです。

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