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12話 高校3年就活中、2軒隣に漫画家が引っ越してきたので、とりあえず押しかけて僕が漫画家になるまで

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13話はこちら

https://note.com/valensia/n/n8122f468a28a?magazine_key=mb226382d11c8

お久しぶりです。
今日2度目のスターウォーズを4DXで観に行いき、帰ってきた所でこれを書いている感じです。次に期待しているのはテリーギリアムのドン・キホーテ。今回は遅くなった分文章多めなので、気が向いた人だけ読んでいただければw

さて…今回はスプリガンの連載が終わり、ARMSが始まるまでの間の話…
なのでほぼほぼ僕の話なのが申し訳ない所ですが、持ち込みの話になります。皆プロの話はまたこれから、ゲストさんも登場予定です。

1997年の頭、スプリガン終了から1年弱、僕は持ち込みを繰り返しては
ボツ、または賞に出すも受賞ならず、という生活。
そんな中、プレイステーション、次世代機に革命をもたらす作品、
ファイナルファンタジーⅦが発売します。20代の僕に刺さるそのストーリーと当時新しすぎる演出やムービーですっかり虜、一人のゲーマーを狂わすには十分なタイトルです。
毎晩のように皆プロスタッフ勢と電話で情報交換をしていたので携帯電話の
通話料がとんでもないことに(汗)

当時の通話料金凄かったんですよ、基本使用料も高くかなりの金食い虫。当時はデジタルホンのノキアを使ってました。

その後多分…悪魔城ドラキュラXか何かをやってるか終わったか辺りに
ARMSの連載が始まります。(漫画の演出は誇張があり、このFF電話自体はしたんですが、ここで新連載の話を聞いたのではないのです)
かなり急なスケジュールで連載がスタートし、描き為などまるでない状態。
前のスタッフさんが隔週的なシフトになったり、僕も相変わらず仕事が出来ないので、新規スタッフさんが加入するなど変化があった年です。

ガンガン能力の上がる友達の夏目義徳君に仕事が回るようになったりで、僕はポンコツ街道まっしぐら、仕事場のゲームレベルの底上げ位しか貢献していないというか、これすらなくなったらもうやることが無い(笑)仕方ないので夏目君を鉄拳でボコボコにするしかないわけです。いや彼もゲームが上手くないとかではないんですよ、僕がやりすぎてるだけで。

どうもこの時期、原稿に絵を入れるのがもう怖くて恐る恐るやってた記憶があります。人の原稿にもガンガン躊躇せずぺン入れし、自分を主張する。それくらいじゃないと中々描けるようにならないのです。失敗したらホワイトで消せばいいんです、はい。

そんなこんなでどうにか練習したり投稿はしている状態が続き。しかしもう何をどうやって練習すればいいのかよくわからなくなってきます。
何が足らないのか、そもそも才能が無いのか全く絵が描けるようにならない…高校では美術部部長、子供の頃から絵を描いていて、周囲からは
「将来は漫画家にでもなるの?」と、簡単になれるかのように言われていたのはまさしく井の中の蛙。

タダの落書き将軍でしかなかった。

それを痛感し、結果も出せない僕は、お世話になっていたサンデーの担当さんに持ち込みに行くのをやめてしまいます。「こういう作品が描きたい」とか「俺はこういうのが好き」という主張をするのすら怖くなってしまう。
もっと頭に何かを詰め込まなくてはいけない、漫画以外のこともしなくては、と色々迷走していくわけです。当時はもう「何が描きたいのかわからない」という状態、本末転倒です(汗)
ゲームの大会にもやたらと出たり(当時は街のゲーセンで毎週のように大会があったのと、ホームのゲーセンでは客寄せパンダだったので、出る機会が多かったのです)そういう、漫画以外の事で自我を確保し、どうにか、自分の描きたい物を描きたいように、一本仕上げるわけです。

そうこうしてるうちに、
当時やめろと言われていたファンタジー系、現代版吸血鬼物を描くことを決めるわけです。ストーリーは今ここで説明しても恥ずかしいだけなので、端的に言うとインタビューウィズバンパイアの女性姉妹物。銀河鉄道999のメーテルがずっと好きだったので、なんかそんな感じのヒロインとか、当時避けた方がいいと言われていた事のオンパレード。この作品は当時苦手だけどやりたい、と思っていた絵をかいたり、構図を取ったりで、多分自分の中で何かのきっかけにはなったのではないかと…

で。

描いたはいいんですが、もうしばらく顔を出していない担当さんに
会わせる顔が無く、色々考えた結果、別の某出版社に持ち込みに行くわけです。気持ち的にはもうこれでダメなら俺は終わりだ的な。

「いやぁ、ウチはレベル高いよぉ」

一読した後の編集さんの言葉。ザ・玉砕。
絵のレベルが低い、という部分で相当時間を割かれ、ストーリーについては
特に言及されなかった記憶があります。
そこはとにかく画力を求める場所で、色々プロの原稿を見せてくれたり、
下書きを見せては「自分との差を理解しましょう」みたいな。
まあ…まさにそうと言えばそうなんですが。

何となく一念発起し、力を入れて描いた漫画。
これはきっと自分の道を切り開くだろう。

そんな事は無いのですねー。そういう熱量や自分が頑張ったんだから誰かが
ほめてくれる、結果は出なくとも、お前は頑張った、そこには何かが残るはずだ。

無いのですよ中々そういうドラマは。

漫画家アシスタントになったからといって、レールが敷かれる事は無い。ですが明らかにスタートの段階で超絶ドーピング気味の僕がこんな事を言っていてはいけないのですが、
そもそも「高校3年就活中に漫画家が実家の2軒隣に引っ越してくる」というのは結構奇跡的な偶然なわけで、これで想いがとか言ってる場合でもないわけで。もっとまじめに漫画を描け。

とはいえ…
当時の僕はショックだったわけで、もうどうしていいかわからない。何とか他に持ち込もうと考えていたところ…

突如、週刊サンデーの担当さんから電話がかかってくるのです。
あまり機嫌はよろしくない様子ですが、心配してくれたっぽいのです。ただの暇つぶしだったかもしれませんが。

何か描いたなら見てやるからすぐもってこい、と。

いやぁ、結構怒られまして、でも漫画は担当さんが一切関与してない作品ですが受け取って、賞に出してくれたのです。
この先どうなるかわからないようなどこにでもいる新人に
電話をかけてくれて怒ってくれる。

この感謝は今でも忘れられない出来事です。デビュー当時もう担当さんは別の方になっていましたが、この担当さんが居たから僕はのちに小学館でデビュー出来たのです。皆川さんと同じくらい、頭が上がらない恩人ですね。

そしてその漫画は初めての受賞作になるわけで。

ちなみに、受賞の連絡は担当さんからではなく、献本を読んだ皆川さんからのフライングでした(笑)


で、この頃を皮切りに、描かせてもらえる背景も増えていくのです。




もし気に入って頂けましたらサポート頂けると大変嬉しいです(^^)業界が偏ってしまう内容が多いですが、色々参考になるような記事が書けるようにしていこうと思います。