「衣」の視点から見た戦後史
人間が社会で生きていく上で欠かせない要素である「衣食住」
ではこの3点のうち、最も蔑ろにできるモノは何かと聞かれたら多くの人は「衣」と答えるのではないだろうか。
事実、高校時代以前まで自分がどんな服を着ていたのか全くと言っていいほど思い出せない。どのみち見るに堪えないセンスであったことは明らかなので思い出そうとする努力もしないのだが…
私服に気を使い始めた(使わないといけないと気づいた)のは大学に入ってからだ。
ジェームズ・ボンドによって車や時計といった男臭い趣味に目覚めた僕は、とりあえず襟付きのシャツにジャケットさえ羽織っていれば少なくともダサく見えることはないだろうと考えた。
というより最低限そのルールさえ守っていれば、余計なことは考えなくてもいいという一種の逃げだったのだ。
社会人になるとジャケット・シャツ・パンツ・靴下・腕時計(タイは意地でもしないのだ)といった構成自体は全く変わらないものの、それらのデザインや色、素材の組み合わせを楽しむことを覚え始めた。
「今日はジャケットのチェック柄の中にある赤色に合わせて靴下も赤にしよう」
「青基調にまとまったから時計は青文字盤のモノを選ぼうか」
『色を拾う』という言葉を最近知った。なんと素敵な日本語だろう。
(ちなみにここ数年で必需品としてマスクが加わった。不本意ではあるがこちらも色合いを揃えたりして楽しんでいる)
それまでは面倒でしかなかった朝の身支度が娯楽に変わっていったのだ。
戦後の日本人もどうやら僕と同じような変遷を辿ったらしい。
前々から読んでみたかった一冊。
日本に留学経験もあるアメリカ人の筆者が、日本人がいかにして憧れのアメリカンスタイルを吸収し、昇華させていったかが綴られている。
戦後のドン底、朝鮮特需からの経済成長といった流れの中で、「制服」でしかなかったファッションは「お洒落」を楽しむものに変わった。挙句に本物以上に忠実なアメリカらしさを醸成させるまでに至る。
車にしろ時計にしろ猿真似から始まり、いつしか本家を超えたオリジナルに変えてしまうのは日本人の愛すべき長所(悪癖?)だろう。
服装に特にこだわりを持たない人にもぜひオススメしたい一冊だ。
この本は単なる服飾文化の史料ではなく、アメトラという視点から見た痛快な戦後史なのだ。
とはいえもしかすると「装う楽しさ」に目覚めてしまうかもしれない…
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