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ワイの会社員時代5 破滅の音

そんなこんなで補充、追加要員さんに来てもらう。
一人は製版のベテランさん、一人は高卒の新人ちゃん。
デザイン志望だったがこちらに回されたらしい。
ベテランさんは写真分解がかなりハイレベルだった。食品系統はばっちりおいしそうな色合いになる。あとはCTP機器にもある程度理解があり、物資の管理とメンテナンスをメインにお願いした。新人ちゃんはDTPはある程度という感覚。フォトショップもトーンカーブとかレベル補正のやり方はわかる感じ。イラレは十分できる。ただMACの扱い、メンテ、フォントの仕組み等はまだまだな感じだった。製版ならではのオーバープリント、保存形式、昔の高解像度用フォントとは?などを教えながら。私は新人ちゃんに多く学んだ。初めての部下というのもあったし、人に教える、という難しさと喜びはのちの人生において大きな財産だった。新人ちゃんがある程度タフだったのも助かった。教えてる間に寝てたりとかしてて「コイツ凄いな」と感心した。
ベテランさんは安定して有能だった。だが社長とそりが合わず1年もたずに退職。新人ちゃんも1年でデザインに異動となり、再びワンオペに。

数年間は人の出入りが激しく、教えては辞めていった。自分のレクチャーがダメだったのか、仕事内容がきついのか、環境が悪いのか様々に試行を重ねたが、どこの部署もそんな感じだった。40人規模の会社だが、当時10年以上の選手は14名、10年未満が私含め8名、あとはとっかえひっかえ。
これではアカンと専務、常務、相談役、工場長が直談判。
特に問題視していたのは環境だった。5階だてで、トイレは各階に和式男女1つづつ。食事は一斉に5階の会議室で。午前10時から30分は全員で校正、検版。社長が呼べば1分以内に全員集合。機械場のみ免除。この集合がやばい。1日に5回、6回はお呼びがある。遅れたら始末書。トイレの場合は席に〇〇トイレの立札があればOK。
まぁ30分全員の校正・検版は価値があると思うけどトイレと呼びだしはかなり嫌だった。 結局トイレのみ改善されたが、なぜか交換条件として18時から19時30分までは残業代をつけない。19時31分から1時間30以上の残業をつけてよい。となった。社員の90%が21時までは残業してるのでこれで決着に。これコンプラ的にアウトなんじゃ・・・?

ワンオペで補助がとっかえひっかえ時代にいたある人が「これワンオペは絶対無理です」「私ならひと月もたないです」と言って2週間で退職した人がいた。当時「そんなにきついかな?」と思ってたけど、うん、絶対無理。会社員時代10年だったけど何故9年もいてたのか今でもわからない。想像だけど給料が良すぎたのはあるかも。22歳、みんな大卒で働いてるときの同級生の給料が20万前後。ウチは残業コミコミだけど40以上はもう確定していた。99年から00年代に会社員3,4年でこの給料はありえないと今は思う。就職氷河期だったと思うよ?そこからボーナスなのでもうエグイ亊に。もの凄い優越感、万能感と見栄、物欲が完全に満たされる仕様だった。

・・・だが、心と体はもう終わりに近づいていた。メタルが疲れに効かなくなった。流星野郎相原氏はアトラスを辞めラジオも。林原閣下はエヴァ以降ラジオでしか聞かなくなっていた。

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