【セミが憎い】R5.7.17

 夏が嫌いだ。もはや憎いと言ってもいい。自身の誕生日が8月の中旬、つまり真夏の最中にあたる僕だが、それでも親の仇のように夏が憎い。現状、僕には親の仇に該当する人物はいないが、かの半沢◯樹が大和田◯務に対して抱く感情をそれだというのなら、さらにその2倍は夏が憎い。
 その要因は大きく2つ、「気温」と「セミ」だ。あつくて、うるさい。まるで某スポーツキャスターを彷彿とさせるワードだが、僕は彼を親の仇のようには思っていない。たしかに彼はあつくてうるさいが、我々に元気を与えてくれる存在だ。反対に夏の気候は我々の自律神経を乱し、元気を奪っていく。これが夏と松岡修造のきわめて重要な差異である。少し話が逸れてしまったが、僕が夏を嫌う要因のひとつ「気温」については、おそらく日本国民のほとんどから共感を得られるだろう。問題はもうひとつの要因、「セミ」である。 
 友人などにこの話をすると、ほとんどが「セミの鳴き声ってそんなに気になる?」やら「セミは風物詩のひとつだよ」と、僕の意見を真っ向から否定する。目の前の事実を疑おうともせず、「生まれた時からそうだったのだからそれが当たり前」と、きっと彼らは「慣れ」という一種の洗脳下にあるのだ。幼少期に友人らと虫網を片手にセミを採取するなか、僕だけは本気でセミを絶滅させようと血眼になって乱獲していた。そんな僕からすれば、おかしい事を誰一人としておかしいと気づかないという、さながら『世にも奇妙な物語』の世界を彷徨っているような感覚が、幼少の頃から歯痒くて仕方がなかった。
 そもそもセミという生物は、地上では1週間ほどしか生きられないというのに、その貴重な時間をヒステリックに費やしている不合理な存在だ。飛び立つ際の放尿や、地面に仰向けに倒れていたセミが突然激しく動き出す蛮行(セミファイナル)などの被害に遭われた方は少なくないだろう。また、どうして蚊やゴキブリは忌み嫌うのに、セミだけはその限りでないのか甚だ疑問だ。果たして、外見に至ってもゴキブリ以上に気持ちが悪いと感じるのは僕だけだろうか。黒のワントーンコーデと、茶と黒のネルシャツ、どちらがデザインとして優れているのか、いま一度、俯瞰して考えてみてほしい。
 それらの点を踏まえ、先ず日本国民にはセミを「害虫」と認識を改める必要がある。古くより日本社会に根差す認識を覆すことは決して容易ではないが、このプロパガンダを続けることが気づいてしまった者の宿命だ。これからも『沈黙の春』ならぬ『沈黙の夏』を目指して、セミニストにも負けないくらいの声を張り上げていこうと思う。


 賢明な僕はセミと違って、社会という地上に出ては1週間ももたないことを自覚しているので、もう少し地中でぬくぬくと生きていきます✌️

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