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#60 世界史の重要地、エフェソス遺跡がある町「セルチュク」に滞在🇹🇷

6/3〜5 エフェソス遺跡入場/名物キョフテ/サンパウロから来たラファエルとガラタサライ優勝パレードに参加!🏆

バスがイズミルに着いたのは、午前7時前だった。ここから「エフェソス遺跡」のある町、セルチュクへの行き方をバスチケットの受付に聞くと、どうやらこのバスターミナルの二階からミニバンが出ているらしい。ラッキーな情報だ。人に尋ねながら、セルチュク行きのミニバンを見つけた。あと30分ほどで出るらしい。時刻表を見ると7:30から一時間ごとに出ているようだ。

時刻表
値段

車の後ろにバックパックを置き、バスは発進した。早朝のためか道は空いていて、ノンストップでひた走る。各停留所に着く時間が早いせいか、途中2ヶ所でティータイムとなり、運転手と乗客の何人かはチャイを飲んで時間を潰していた。出発から一時間半かかって、セルチュクのバス停に到着した。
バス停のベンチで、事前に買っていた例のおなじみ30cmパン(と自分は呼んでる)を取り出し、これを朝飯にする。予約した宿「ニケアホテル」はここから歩いて100mだ。チェックインの時間には早すぎるが、オーナーは快くアーリーチェックインを認めてくれた。しかも4つのベッドがあるドミトリーを予約していたが、普通のツイン個室を用意してくれた。
シャワーを浴びて、一夜のバス旅の疲れを癒す。休んでいると、今夜同室となる韓国から来た初老男性が部屋に入ってきた。すごく明るいおじさんで、拙い英語でもコミュニケーションを取ろうとしてくれる。同じアジア人という顔立ちからだろうか、かなり親しみを覚えた。
歴史的・政治的対立から、ナショナリズムそして世論の煽動によって、時に反日・嫌韓の関係になる両国だが、個人レベルでは理解し合える関係だと言うことを、自分は二十歳の留学の時から肌で知っている。コロナ禍もようやく収まってきたし、韓国の友人たちとまた再会したいなぁ。

彼は2日前からセルチュクに来ていたが、調子が良くなかったらしく今日初めてエフェソス遺跡へ行くという。彼は2時間ほどで戻ってきて、「遺跡には歩いて行けるし、観るところは少なかったから早く終わったよ」という。

体力を回復した自分はおじさんと入れ違いで、エフェソス遺跡まで歩いていく。遺跡の北までのびている道路は並木路になっているのだが、木に生っている実が風で落ちてきて歩道はベトベトしていた。
まずは右手にアルテミス神殿が出てくる。🏛️この神殿は、アホな一人の男が「有名になりたいぜ!」というアホな理由から放火をして焼失したのちも、様々な被害にあったが、そのたびに造り直され、七度に渡って再建されたという神殿だ。世界の七不思議に数えられる遺跡だが、もはや見る影もなく、柱の遺構が分かる程度となって廃墟感を醸し出していた。
いやーしかし...
有名になりたいばかりに馬鹿な動画を上げて炎上する迷惑TikTokerみたいなやつはどの時代にもいるものなんだな。アルテミス神殿の場合は本当の炎上だったけど。笑🔥

アルテミス神殿、廃墟感がすごい

そこから葡萄畑を抜けて田舎道を10分ほど歩いてようやくエフェソス遺跡の入り口に辿り着いた。入場料400TL(約2700円)。トルコの観光地はどこも割高で費用がかかるのだ。

チケット購入

旧ローマ時代の道が延びている。今では海岸線は大きく後退しているが、かつては遺跡の近くまで海が迫っていたらしい。一際目を引くのが円形劇場である。一説には二万四千人の観客を収容できたのだとか。その他、有名なケルスス図書館やテルマエ、商店街や住居跡などの見どころが多くある。

大演劇場
上からの景色
ケルスス図書館。当時は巻物で保管📜


観光地での心得として、貧乏旅行者は自分でガイドを雇えないから、他の人たちが雇ったガイドの話を盗み聞くという姑息な技を持たなければならない。幸運なことに、同タイミングで日本人の団体観光客が2パーティーほどいたので、彼らの後ろに付いていき、日本語が堪能なトルコ人ガイドの説明を聞く。

日本人団体客の後ろについて行く笑

面白かったのはトイレの部分である。隣同士の仕切りはなく、当時では用を足している間に会話をしていたそうだ。プライベートもクソもあったもんではない。しかし、当時としてはかなりハイテクで、トイレの底には水が流れており、海まで運ばれる仕組みになっていたり、トイレの前には綺麗な水があって、清潔にしていたのだというから驚きだ。

トイレの間隔近すぎ笑

気づけば入場から3時間が経過していた。キリスト教で重要な意味を持つ、三位一体論が決定された「エフェソス公会議」など、世界史的にもかなり重要な地を訪れることができたことは嬉しかった。

翌日は何もする気が起きなかったので、昼食にだけ出かけた。「キレミッテ・キョフテ」という牛肉のミートボールをトマトや玉ねぎと一緒に窯でローストした料理がこの町の名物というので食べたくなったのだ。10TLプラスするだけでチーズがかけられて出てくるのでそれを注文した。熱々の鉄板で出てきて美味しかった。物価はイスタンブールやカッパドキアと比べて格段に安い。

キレミッテ・キョフテ。ローストしていて美味い!

夕陽を見ようとして坂を登っていると、エフェソス遺跡で発掘調査をしているというトルコ人に呼び止められた。この仕事で七人の子どもを養っているそうで、彼が発掘したというコインを見せてきた。シルバーとブロンズ製の7枚ほどで、ローマ時代のものだという。発掘した石碑や装飾品は売ることは出来ないが、コインはOKなのだとか。表面にはローマ王の顔が描かれていた。このコインをネットで売れば高値で取引されるそうだ。実際、一年前に「マユコ」なる日本人女性が再度やってきて、1kgものコインを彼から買って行ったのだとか。
「自分で売ればもっと儲かるんじゃないの?」と尋ねてみたが、発掘に携わっているトルコ人は直接販売はできないという。それじゃ奥さん名義でとか、外国の友人に手伝ってもらうとかやり方は色々あると思うんだけどと聞くと、なんかチグハグに答える。そして、
「この硬貨に値段をつけるとしたら、日本人の君になら180$だ」という。「アメリカ人なら尊大だからもっと高いよ。」と。じゃあ尊大でもアメリカ人に売った方が儲かるだろ(笑)
そして「ハウマッチ?」と、自分に値段提示を求めてきた。いや、この類のコインはいくらでもあるから要らんのよ。
そう言うと、彼は急に態度を変えたのだった。アホか、そんな下手な営業に引っ掛かるかってんだ(笑)
でも、発掘者の当人に話を聞けたのは良かった。ありがとな。

二日目の同室人はブラジル・サンパウロから旅行でやってきたという弁護士のラファエルだ。労働案件を専門に弁護士活動をしているらしく、職業病なのか、この宿のスタッフに「何時間勤務ですか?何時に交代なんですか?」と聞いていた。
ブラジルでは日本と比べて弁護士は稼げないらしい。資格試験に合格するのは7%ほどだとか。それでも十分凄いと思うのだけれど。
街に繰り出す時、ラファエルは用心深い。暗い道を避けたり、この町の治安を仕切りに心配している。彼の様子を見て、おそらくブラジルでは常に警戒する必要があるんだなということを感じさせた。
この日はトルコのサッカーリーグ決勝の日で、しかもイスタンブールダービーだという。町の住人たちもガラタサライのユニフォームを着て応援していた。ホテルの一階に集まり、みんなでサッカー観戦した。ガラタサライが3-0で相手を下したので、ガラタサライのファンが多いらしいセルチュクの小さな町でも優勝パレードとなった。
ラファエルと一緒に参加した。パレードはお祭り騒ぎで、みんなユニフォームを着て旗を振り、発煙筒を焚いて歌っている。車やバイクをクラクションで優勝を讃える。子どもたちも楽しそうだ。みんなで町を一周したあと、我々はホテルへと戻ってきた。

お祭りパレード
ラファエル顔半分🤣
イカルディが人気らしいね




さて、今日がトルコの最終日となる。今後の予定、経路を考えなければならない。当初はトルコの後ギリシャに直接向かう予定で、船で行こうか陸路で行こうか思案していたのだが、バスのアプリを触っていると、目的地に「ソフィア」という地名を見つけた。ブルガリアの首都らしい。🇧🇬
「寄り道するのもありだな」
と思って調べてみると、入国税も不要で、かつ物価も安いということが分かった。かくして、ブルガリアでヨーグルトを食べまくるという予定は決まったのだった。

ムスタファ・ケマルアタテュルクがトルコの英雄
猫も英雄

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