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【71日目】結婚のお祝い

ご隠居からのメール:【結婚のお祝い】

 書簡013が最後で、それ以後の通信はとだえるが、それではあまりにも暗い結末なので、半年前のまずまずは幸せな時代の葉書を再掲し書簡014としてハッピーエンディングにしよう。

坊やが長生きして、八十年後に長男とこのような文書を交換し、記憶と物語を共有することをはたして貴美子さんは想定していただろうか。もし死後の魂があるとすれば、喜んでくれているのではないかとは思う。

そんなことには科学的エビデンスはないが、自分の過去をふりかえってみると、危ない経験を何度かしており、その都度助けられたのは母の祈りのチカラではないかという気はしている。

貴美子さんと喜久子さんの姉妹は明暗がわかれているようにみえるが、八十年後の現在、貴美子さんのひ孫は七人、元気に育っている。しかし、天から地上を見おろせば、結局は、二人とも、幸せな女の一生を送ったと思う。


返信:【Re_結婚のお祝い】

貴美子さんのひ孫七人は、みんな幸せに生きてる。長谷部の名を継ぐ息子は思春期になり難しい時期になったが、それでも、毎日努力して、部活や塾に行っている。朝は、7時から夜22時までフル回転で活動してるよ。

娘は、相変わらず、水泳が好きで来月から選手コースに格上げになる。いままでよりも高いレベルで水泳を習うことができるので、ひとつ、夢が叶い喜んでるよ。友達にも慕われており、いまのところ、順調だ。

お祖母ちゃんが、なんとかつないでくれた命だ。しっかりと紡いでいかないとな。


書簡集(※題名は筆者が命名)

● 書簡001_令和三年(2021年)二月:喜久子(享年102歳)永眠の知らせ
⇒塩田雅子(喜久子:娘)からご隠居(貴美子:息子)への手紙
● 書簡002_令和三年(2021年)二月:叔母様(貴美子)の手紙を送ります
⇒塩田雅子からご隠居への手紙
● 書簡003_昭和十四年(1939年)十一月十六日:新天地到着のご報告
⇒長谷部貴美子(ご隠居:母)から岡村はる(ご隠居:祖母)への手紙
● 書簡004_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大同での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡005_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大豆の研究について
⇒長谷部輿一(ご隠居:父)から岡村素(ご隠居:祖父)への手紙
● 書簡006_昭和十五年(1940年)一月六日:新年のごあいさつ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡007_昭和十五年(1940年)二月一日:幸せな新婚生活
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子(貴美子:妹)への手紙
● 書簡008_昭和十五年(1940年)五月二十七日:悲しみの訃報
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡009_昭和十五年(1940年)六月二十日:日本に帰りたい
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡010_昭和十五年(1940年)六月:里帰り出産
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡011_昭和十五年(1940年)七月:もうすぐ帰ります
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡012_昭和十五年(1940年)八月九日:帰郷中止のお知らせ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡013_昭和十五年(1940年)九月一日:張家口での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡014_昭和十四年(1940年)十二月:結婚のお祝い
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子(貴美子:妹)への手紙


● 書簡014_昭和十四年(1940年)十二月:結婚のお祝い
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子(貴美子:妹)への手紙

喜久子奥様 先日は御旅行先からお葉書を、又、神戸からお便りとお写真とを、共に有難う。うれしく、羨ましく拝見いたしました。とうとう奥様になりましたね。喜久ちゃんの奥様振りが早く見たいものです。とっても幸福さうですね。羨ましいです。

私の様におばあちゃんになったらもう駄目。何んと云っても新婚時代が一ばん楽しいもの。もう少し近ければ、新家庭を訪問するんだけれども、蒙疆ではね・・・・・・。挨拶廻りや家の整理などで忙しかったでせう。もう落ち着きましたか、間もなくお正月ですね。意義深きお正月を楽しく迎えられる様に祈ります。

坊やは益々元気ーー大きくなりましたよ。葉書でごめんなさいね。坊やが邪魔をしてなかなか手紙など書けないの。またその中、ひまを見て書きませう。喜久ちゃんもね。御主人様によろしく。

かしこ


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