【72日目】昨日がなければ明日もない
ご隠居からのメール:【昨日がなければ明日もない】
宮部みゆきに『昨日がなければ明日もない』という小説があるが、ファミリ―ヒストリーを知っているのと知らないのとでは生きている意味や価値の重みが違うとオレも思う。
なぜなら物語はネバーエンディングストーリーだからだ。貴美子さんの物語は張家口で完結したように見えるが、「七人のひ孫たち」の物語は今も続いており、まだ完結していない。ひ孫たちの一人は「三年間の中学生活は地獄でした」と卒業文集に書いた。それは本人が言うほどの地獄ではないと思うが、コロナ禍の日本、あちこちに地獄の裂け目が見うけられる。
部活も自粛の傾向だそうだが、宮前平の小学校や中学校では孫たちが部活も頑張っているようだね。偉くならなくてもよいが、ふつうに生きてほしい。その「ふつう」の意味が人によって違うけれども。
張家口にははるさんが行き、遺児を日本に連れ帰り、京都にしばらく滞在してから高瀬に送り届けたと聞いている。その時、祖父(友次郎さんは他界していたので、勝治郎さんだと思う)は、門口の小川の畔から遠くにひろがる山なみを示し、「みんなこの子のものですよ」とはるさんに言ったという。
現実には與一さんの再婚によりそのようには展開しなかった。素さんはまれに見る人格者だが、娘の死を嘆き、怒ったという。それでも、興一さんの再婚に尽力したのはもう一人の娘が後妻になるのを防ぐためだったかもしれない。もともとおひとよしで、頼まれたら断れない性格だったからともいえる。
弟の結婚式の仲人を直接、伊丹夫妻にお願いしたのはオレだ。今から思うと、図々しい依頼だった。伊丹さんにはさぞ迷惑だったにちがいない。亡き貴美子さんへの義理立てで引き受けてくれたのかもしれない。
妹の結婚をまとめる際には、オレがわざわざ京都にある相手の実家に足を運び、頭を下げた。昔の家族制度のもとでは、不肖の長男でもそれなりの役割を果たしている。
昔の結婚式は、家と家との結びつきで面倒な手続きが必要だった。その点、自分の子供たちの結婚式は、仲人のいない人前結婚で、気が楽だった。未婚の娘もいるが、相手がいれば結婚するもよし、しなくてもよし。無為自然でいく。
一日一日を感謝してすごすーーそれは伝蔵さんのシンプルな教えの基本だ。
返信:【Re_昨日がなければ明日もない】
そうだね。ネバーエンディングストーリー。現在の時代では、未婚率が25%。出生率は、1.42%。いつの時代でもそうだが、悲しいことにストーリーが終焉を迎えお家取り崩しとなることもある。
リクルート社の有名なコピーに「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」というものが、あるが、現代を象徴しているコピーだなとおもう。幸せになれる時代にしてくれたのは、ご先祖様のおかげだ。この幸せは、後世に続けなければいけない。
「note」に、昔のことを思い出しながら、ちょこちょこ書いているが、自分も、幼少のころ輿一さんに「ここから見えるすべての土地は全部長谷部の土地だ」と言われたことを覚えている。
あのとき、なんでそのようなことを言われたかわからないが、自分は、おじいちゃんにめちゃくちゃ可愛がられていた記憶しかない。トラクターにのせてもらい、遊んでくれた。竹で釣り竿をつくってもらい、魚釣りをした。とうもろこしの食べ放題、サイダー飲み放題で夏の帰省は楽しかった記憶ばかり。
おじいちゃんたちの夜の宴とぼっとん便所が怖くて、夜トイレに行けなかったけど、いまなら、一緒に飲みたいよね。
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