見出し画像

【318日目】:致死率100%の難病

ご隠居からのメール:【致死率100%の難病】

担当医によれば、私は新型コロナウイルス感染により間質性肺炎になっており、まだ完治したわけではない。それでも退院を許可したのは、病院で点滴による酸素補給やステロイド剤投与をしなくても、重症化しないだろうと判断したからだ、という。

ただし、自宅療養期においてもステロイド剤などは飲み薬で投与を続け、通院によって定期的に健康経過観察を続けながら、薬の投与量を徐々に減らしていく。急激に減らすと、悪影響が出るらしい。

では、間質性肺炎とはいかなる病気だろうか。肺が硬く縮む病気らしいが、CT(コンピューター断層写真)を見ても、肺が伸びているのか、縮んでいるのかさえわからない。ネット情報によれば、「間質性肺炎は致死率100%の病気」とあるので、ショックを覚えたが、「ただし、死ぬまで平均で5~7年程度、ときには10年近く生きる人もいる。

この病気は進行性で、一度、罹患すると、じわじわと呼吸機能が低下して、5年程度で死亡するのが普通」というので少し安心する。

私の満年齢は現在83歳、五年後は米寿の88歳で、老衰死の適齢期だ。老衰死も致死率100%だから、私の場合、五年後に死んだとしても、死因は肺炎か老衰かわからない。


ご隠居からのメール:【Re_致死率100%の難病】

致死率100%の難病を患ってしまったとは、ショックだな。まだまだ長生きしてもらい、作品を残してもらいたいけど、あまり、無理せずに毎日を楽しんでくださいな。


今度は、京極氏について調べてみた。山名氏、京極氏という理解するのが難しい二氏の盛衰を整理することでファミリーヒストリーの理解が深まったよ。

京極氏を簡単に説明すると、宇多源氏の流れで、源章経みなもとのあきつねが佐々木義経ささきのりつねと名乗り後世に続いた一族だ。

「源平合戦」では佐々木氏四兄弟が源頼朝のもとに参戦して活躍をした。鎌倉幕府成立時には、本領の近江国含め十七か国もの守護を任されている。十七か国というのは、六分の一殿と呼ばれた、山名氏よりも多い領土だ。

しかし、北条氏に政権が変わり、後鳥羽天皇が討幕を計画すると、それに佐々木氏の大半が支持して「承久の乱」が起こり敗退してしまった。このとき、ほとんどの佐々木氏は、粛清、斬首された。

しかし、佐々木氏一族のすごいところは、一人だけ北条側に仕える者を出していた。それが、佐々木信綱《ささきのぶつな》だ。少なくなったとはいえ、数か国の所領を得た信綱は、四人の子供達に所領を分けあたえるのだが、その後、四人の子供達はそれぞれ改名をして始祖となる。

長男は大原氏。次男は高島氏。三男が六角氏、四男が京極氏だ。

そう、ここで大原氏が出てくるのだ。今後調べるが、この大原氏が、松田氏と関わっていくのではないかと思っている。

四男の京極氏は、室町幕府成立時、後醍醐天皇の策略を封じ込めるために足利尊氏に属して活躍するわけだが、それが、バサラ大名で有名な佐々木道誉ささきどうよまたの名を京極道誉きょうごくどうよだ。

バサラ大名と呼ばれた京極道誉のDNAが自分に流れているのであれば、なんとなく理解ができる気がする。自分のなかで人とは違うことをしたいという欲求は、この人の血かもしれないな。

そして、京極道誉の孫である京極高詮きょうごくたかのりの時代に、山名一族の家督争いから発生した「明徳の乱」が発生するが、京極氏は、幕府方につき、混乱を鎮圧したことで、出雲・隠岐守護を任された。さらには、軍事長官にあたる四職にもなった。

出雲・隠岐守護が、山名氏から京極氏に変わったことで、長谷部氏は、京極氏と政略結婚をする。それが、「家系図」で長谷部元信のお祖父さん世代に「女:京極氏室」と書いてあるご先祖様だと思う。

そして、そのあいては、京極高詮の弟、京極高久《きょうごくたかひさ》またの名を、尼子高久。尼子氏の始祖となる人だ。

最後にもう、ひとりだけ。実は佐々木氏のなかで「源平合戦」で平氏に味方をした人物がいる。それは、源頼朝に駆け付けた四兄弟の腹違いの弟、佐々木義清ささきよしきよ

佐々木義清は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でいうと、國村隼《くにむらじゅん》さん演じる大庭景親おおばかげちかのもとに駆け付けた。

室町時代の「承久の乱」のときもそうだが、佐々木氏は、兄弟を敵味方に分けるリスクヘッジを平安時代からしてきたことがわかる。

しかも、佐々木義清は平氏に味方をしたのにも関わらず、兄たちの活躍のおかげで処罰を許され、鎌倉御家人にまで成り上がる。

その、義清の子孫が出雲の地で塩冶《えんや》を名乗り、生きのびてきたようだ。一説によると、前に述べた京極高久、別名・尼子高久は、塩冶の血族とも言われており、バサラ大名、京極道誉のちからで、出雲・隠岐の守護職になったと言われている。

山名氏と京極氏をしらべることで、ご先祖様の「氏」と「DNA」の戦略がだいぶみえてきた。というか、辻褄があってきたよ。


<<<次回の話【より道‐106】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報_「応仁の乱(自習):中編」

前回のメール【317日目】:いい湯だな>>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?