【317日目】:いい湯だな
ご隠居からのメール:【いい湯だな】
ひさしぶりに風呂に入った。数日前にも入浴しようと思ったが、あの日は体調が悪く、入浴したらヒートショックでぶっ倒れるおそれがあるかもしれないと危惧し、そのまま寝てしまった。
昨夜はもう寝ようと、ベッドに入って、目をつむると、咳が出た。くしゃみも三発。寝室が寒すぎるのだ。押し入れから電気毛布を取り出してかけると、すこし身体があたたまってきたが、それでもなかなか寝つけなかった。
コロナ患者にとって、冬は咳やくしゃみが出ない程度の防寒対策が必要だと思う。気道や肺に炎症ができないように、寝室は咳やくしゃみが出にくくなるような環境にしておいたほうがよい。
それにひきかえ、今夜は入浴することができて、体調も気分もよい。熱からず、寒からず、ややぬるめの湯に十分間、浸かっていると、深部体温があがり、身体の芯まであたたまってきたような気がする。いい湯だな。お笑い芸人集団「ドリフターズ」の志村ケンはコロナに感染して死んだが、加藤茶はまだ生きていて、エンディングノートを書いている。
<中世太平記>
日本史のなかでも、特に人気がなく、一般に知られていない時代は、応仁の乱の頃と、日中戦争の頃だ。
その意味からも、【より道-49】六分一殿と呼ばれた山名一族の明暗、は、山名氏に目をつけたのは鋭い着眼だと思う。応仁の乱で西軍の大将は山名宗全なりといっても、現代の日本人はほとんどその名前を知らないし、関心も抱いていない。中日戦争の時代と同じで、応仁の乱の時代にはこれといった英雄がいないのだ。
負け戦の大将が後世の人から英雄とされるのは難しい。しかし、誰もが見捨てた廃坑から貴重な原石を発見するのが、腕のいい歴史探偵だ。半藤一利もそうだったが、百田尚紀もそんな歴史探偵の一人だ。百田は、独自に発見した歴史の一断面に注目して独自の適切な表現を与えている。そんな断面なら中世の室町や幻の国満州にはゴロゴロ転がっている。歴史探偵としての自分のセンスに自信を持ってよいと思う。
ご隠居からのメール:【Re_いい湯だな】
歴史の最大の難点は、当時の人々の「当たり前」を想像するところにある
と思う。昔のことは経験していないからなかなか想像がつかない。
例えば、自分が生まれた1976年(昭和五十一年)と2022年(令和四年)
では、人々の「当たり前」が全然違う。当時は、携帯もなければ、インタ
ーネットもない。日本円の価値は半分くらいのはずだけど、じぶんの息子は想像もつかないだろう。
もちろん、自分が生まれた1976年(昭和五十一年)と父さんが生まれた
1939年(昭和十四年)では、戦時中と戦後、高度成長期という時代背景
があるので「当たり前」が違う。自分は徐々に学んできているのでなんと
なく想像することができるが、あくまで、なんとなくだ。
祖父の與一さんが生まれた、1910年(明治四十三年)とお父さんが生まれた1939年(昭和十四年)では、日露戦争後の好景気の時期や国家総動員法と
大きく「当たり前」が違う。この辺りから想像力が乏しくなる。あまりに
も時代背景が違うからだ。
たった三〜四世代でこんなにも「当たり前」が違うのだから、長谷部元信
が生まれた時代や、尼子経久が生まれた時代。京極道誉が生まれた時代の
「当たり前」を想像するのはとても難しい。
どのようなことを基準に当時の「当たり前」考えたらよいのだろう。と考
えてみると色んな観点があると思うが、「ファミリーヒストリー」と、そ
の時その時の「死生観」を考えるのが一番、想像力が働く。
源氏、平氏の権力争いからはじまり血筋の者たちが武士として軍隊を形成
した。当時の人たちが「自分は何故生まれ、何のために生まれてきたのか」
というのは、確実に「血筋」や「氏」を未来につなげることがその意味だったはず。そのために、命を懸けた。懸命に生きた。
この日本人だけがもつ根本的な思想は、1185年から1945年の760年もの間、続いたわけだ。第二次世界大戦での日本の敗戦はそれを断ち切ったことになる。
じぶんは、血筋を未来に残すために、命を懸けているのだろうか。現代でいうと多分それが仕事というもので、はたしてそれが、生きる本質とよべるものなんだろうか。