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■【より道-27】結婚式の演出

2008年大好きな女性と結婚した。彼女のお腹には新しい命が宿っていたので、運命の人との出会いと、子孫が未来につながったことをご先祖様に報告しようと思い、お互いの両親には内緒で岡山県と広島県にある父と母の故郷へ向かうことにした。

ふたりの父や母の故郷は、神奈川県、広島県広島市の横川、岡山県新見市の釜村と高瀬で、一番遠いところだと東京から6時間以上かかる場所にご先祖様のお墓がある。幼いころの記憶をたどり、行き当たりばったりの旅行になってしまったが、その様子をビデオカメラで撮影しつつ一本の映像にまとめ、自分たちの結婚披露宴で上映した。

映像のBGMは、サザンオールスターズの「希望の轍」ふたりで過ごす生活の様子やお腹の子の写真、新横浜から広島や岡山までの旅路を編集し父と母の故郷に行ったことを連想してもらう。続いて、曲がいれかわり、秋川雅史の「千の風になって」がながれると、互いにお墓参りをして、ご先祖さまに報告をしているシーンをいれた。そして、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんの若かりし頃の写真や戦時中に撮影したであろう写真、父や母が生まれ両親が出会うまでの様子を映像にした。

あのときは、ただただ、自分たちの両親に喜んでもらいたいと思って企画、行動したことだったが、いま思うと「過去に感謝。現在に信頼。そして、未来に希望」という、結婚式の本質を問う演出だったのではないかと思う。


20代なかごろから、ウェディングプランナーとして結婚式のお手伝いをしてきた。日本のしきたりに重きをおいた結婚式ではなく、現代のお客様が求めている、本当に喜ぶ結婚式をつくりあげようと、足掻きながらも、あたらしいサービスをいくつも導入していった。

いまではあたり前の演出も、あの当時は、あたり前ではなかった。

例えば、結婚式業界に飛び込んだ当時は、金屏風もあったし、背の高いウェディングケーキも当たり前。招待状は定型のモノが決まっていて、たいして選べず、仲人をたてている方もいた。ご両親は燕尾服や留袖を着て、新婦はお色直しを2〜3回する。主賓の挨拶、キャンドルサービス、友人の余興、新婦の手紙、花束贈呈。決まりきった進行で、10人いれば10人がほとんど同じような内容の結婚式をしていた。

1945年の敗戦後、国民一人ひとりが自由な人生を送ることができるようになった。親が決めた伴侶ではなく、自由に恋愛して、自分が『この人だ!』と思う好きな人と結婚できる。そのようなことが許される風潮が徐々に浸透していった。

それでも、社会的に認められるためには、結婚して家庭を築くことが必要だと考えられていたので、「家」と「家」の間を取りもつ仲人をたてて、お見合いをして、結納をし結婚する。という流れが常識だった。

ロイヤルウェディングの影響もあった。1959年(昭和三十四年)には、当時皇太子だった、現在の明仁上皇、美智子上皇后両陛下の御成婚式があり、美智子さまの十二単を身にまとった姿に国民は熱狂し、一般人の結婚式でも、神前式や和装が主流となった。

1981年(昭和六十一年)のロイヤルウェディングでも、あらたなブームが起きる。イギリスのダイアナ妃、チャールズ皇太子の結婚式だ。お二人の結婚式から「ウェディングドレス」と「キリスト教式」が日本に輸入され、いまでは当たり前になったが、結婚式でウェディングドレスを着るようになった。

戦前までの家と家がむすばれる婚礼、祝言は、男性側の家に親族が集まり宴が行われていたが、戦後は、専門の式場やホテルなどが様々なサービスをつくり、多くの人をあつめるためにお披露目会、名称を披露宴として、親族だけでなく勤め先の上司や友人なども参列するようになっていった。

つまり、自分が、ウェディングプランナーをしていた頃というのは、戦前の日本文化がわずかに残りながらも、団塊世代が結婚するときに、専門の式場やホテルが決めた結婚式が世の中に溢れていたのだ。

それを、ひとつずつ顧客が求めている、顧客に寄り添ったサービスに変えていった。高い位置からゲストを見下ろす高砂や金屏風はやめた。招待状はオリジナルで自由につくれるようにして、席札などもこだわれるようにした。ウェディングケーキを生ケーキにして、デザートブッフェを取り入れた、定番のキャンドルサービスをやめてゲスト一人ひとりに感謝を伝えることを大切にし写真撮影の時間などを多くとりいれた。

あるとき結婚式のプロとして余興を頼まれたので、結婚式当日の朝に「仁義なき戦い」のパロディ映像を撮影してそのまま参列した。その映像をお開きまでに編集する「撮ってだし」商品、いまでいうエンドロールが誕生したのだ。現代では、あたりまえのように、お開きのときに結婚式当日のダイジェスト映像が流れるが、このときの余興が原点だ。

そんな、あらたな結婚式文化を創っていく一員として携わってきた自分も2008年に結婚することになった。十数年経ったいまでも、大切な人たちが集まる、最高に幸せな時間は、人生最大の思い出となっている。このとき、さまざまな演出をしたが、その一部として3本の映像を作成した。

1本目は、「プロフィール映像」これは、現代でも定番だと思うが2人の生涯と出会ってからの映像。

2本目は、「墓参りの映像」すでに亡くなってしまった祖父母のお墓に挨拶へ行く様子を撮影して、生前、祖父母が若かりし頃に活躍した写真や、自分たち両親の誕生、両親の出会い、そして自分たち2人が生まれるまでを映像にまとめた。

3本目は、「生まれてくる息子へ」自分たち夫婦がどのように出会い、お腹に宿ったときの気持ちを綴った。息子の結婚式時にサプライズで流す予定だ。(ちなみに、娘にも生まれてくるとき制作している)

祖父母、父母、新郎新婦、息子と4代続くストーリーを表現したかった。誰に喜んでもらいたかったかというと、祖父母であり、両親であり、まだ見ぬ息子に喜んでもらいたかった。


鎌倉時代から江戸時代まで武士政権として、武士のしきたりを重んじた。3歳まで育つことができる子供が一握りの時代、家を存続させることがなによりも重要だった。

明治維新後、身分制度が徐々になくなり、人権が尊重されていったが、富国強兵を目指して、「多くの子をつくるように」と国がはたをふった。それでも、人々は、家と家が結ばれることを重要視していた。

戦後、自由主義、民主主義で結婚式も自由になっていった。いまでは、生涯未婚率も増加しており、男性は4人に一人、女性は7人に一人が一度も結婚をしない。コロナ前までは、年間60万組が結婚し20万組が結婚式を挙げなくなった。

コロナ禍で58%が結婚式を挙げなかったと、最近明治安田生命が統計を発表したので36万組くらいが結婚式をあげていないことになるが、なんてことはない。コロナ前から結婚式をあげなくなっているのだ。

本来であれば、命がつながる。自分たちのファミリーヒストリーを続けるために、家族が集まり祝い、未来を願うものが結婚式だと思う。もちろん、一生の思い出なので見栄えも重要だが、それは全くもって本質ではない。

夫婦が結婚し、家族を築くということは大変なことだ。核家族が当たり前の現代であればなおのこと夫婦がチカラを合わせなければいけないが、人と人の生き方が尊重される現代はそれも難しい。現に離婚率は、35%。3人に1人が離婚しているので、離婚することもあたりまえになっている。

夫婦が家族をつくり、家族が組織や社会をつくる。社会が世界をつくり、世界が時代をつくる。

決して結婚すること、結婚式を挙げること、子どもを産むこと、離婚を否定しているワケでも、考えを押し付けているつもりではない。色んな人の人生があるんだから、それぞれ事情もある。

それでも、心豊かな人生をおくる人が多ければ多いほど、世界は平和になるはずだ。もちろん、未来の人類、自分たちの子孫たちのためにも。


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