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■【より道-7】家系図

父とのメールのやり取りをはじめてから、ご先祖様のことに興味をもつようになった。理由は、仕事で挫折したり、コロナ禍で生活スタイルが変わったからかもしれない。もしかしたら、40代になると誰もが人生を見直すタイミングなのかもしれないが、寝ても覚めても暇さえあれば、ご先祖さまのことを考えている。

学生の頃から、歴史を学ぶ気にはなれなかった。戦国武将の名前を覚えるのも面倒だったし、なじみのない昔の言葉は、学ぶ気持ちを削いでいった。

父や母の実家は岡山県にあり父や祖母が生きていた頃は、家族みんなで毎年里帰りをしていたが、両家の祖父や祖母が亡くなってからは、ほとんど岡山に帰っていない。

ただ、戦争の話や大河ドラマには、何故だか興味を持っていた。遺伝子に導かれているのかもしれないが、「坂の上の雲」をみたり、ひとりで「靖国神社」の参拝や広島の「大和ミュージアム」「平和記念公園」など見学をしたりもした。

山根さんの地元九州に行ったときには、玄洋社の話やコッソリ語り継がれている謎の公園、谷公園などにつれて行ってもらったりして、お会いすると歴史の話をよくしていた。

浦安の実家には仏壇などもない。母がクリスチャンのためか、お盆に墓参りをしたり、ご先祖さまの話しをする機会なども少なかった。

結婚してからは、妻の実家近所に住んでいるということもあったので、妻方の墓参りには毎年行っていた。しかし、長谷部家の墓参りは、ほぼしたことがない。中年になってから、寝ても覚めてもご先祖さまのことを考えるのは、自分なりに罪滅ぼしのキモチがどこかにあるのかもしれない。

長谷部一族の歴史にどっぷりはまり、父とのメールのやりとりでは飽き足りず、実家の浦安に帰りご先祖様の話をすることになった。浦安の実家に帰り、父がみせてくれた資料はいくつかあったが、まず目にとまったのは、家系図だった。そこには、一番初めに「桓武天皇」と記載がされていた。

「なんだこりゃ?」

もちろん、祖先をたどれば誰かしらの天皇につながるとは聞いたことがあったが、ここまで明確に記載されているとなると興味がわく。その後「葛原親王」「高望王」「高見王」「良望」「良将」などなど、歴史上の人物が記載されたコピーが8枚。

多くの人物名が書かれており、中には、「義李:後号信連長谷部兵衛尉」や「信豊:長谷部左右兵衛尉」「元信:長大蔵左兵衛尉」など様々な名が記載され、最後に「西谷幾三郎」と記載があった。

「これはなに?」

「長谷部家の家系図だ。最後の西谷幾三郎さんの娘が備中松山藩家老で百姓から武士となった山田方谷の母親だ。西谷家と長谷部家は親戚となる。昔、西谷さんに電話をしてこの家系図コピーをもらったんだ。」

「なんで、西谷さんに連絡したの?」

「そりゃぁ、研究したからだ。昔、長谷部家のおばさんがギャンブルに負けて、長谷部家の家系図を他人に渡してしまったという逸話を聞いたことがある。恐らくそれが西谷家の手に渡ったのではないかと思っている。」

突然舞い降りた驚きの話しだ。何のことだかわからない。しかし、この家系図には確かに長谷部の名前がある。そして、ふと昔のことを思い出した。

父の実家は、岡山県新見市神郷町高瀬という、岡山県と鳥取県、広島県の境界にある村で、幼少のころ祖父に「ここから見えるすべての土地は全部長谷部の土地だ」と言われたことがあった。当時は、全くよくわからない話だが、いまとなれば、「なぜだ?」と思ってきた。

「俺が昔書いた随筆のコピーだ。お前、歴史に興味があれば読んでみろ」

「家系図」とは別に父が書いた随筆「尼子の落人」と「新見太平記」のコピーをもらい、益々ご先祖様の歴史に興味をもつことになる。


■家系図の一部

(家系図①)

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(家系図②)

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(家系図③)

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