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【22日目】宮座

ご隠居からのメール:【宮座】

 高瀬の宮座の記事、閲覧できなかったがおおよその想像はつく。高瀬には木谷、大原、中村、梅田という4つの部落があり、それぞれに木谷神社、八幡神社、氷室神社、??神社で定期的にお祭りをしていた。

 そのなかに、大原や井上、松田などは出てきたが、長谷部の名はがないのは、神社(=宮)が違うからだと思う。大原、井上、松田(別の松田氏)は氷室神社の氏子だった。長谷部は八幡神社の氏子。

 子供の頃は、お祭りが楽しみで、その日は親戚の家に泊りがけで遊んだ。平和な村という印象だが、あちこちに塚や古戦場があった。戦争から平和への境目となったのは、豊臣秀吉の刀狩り、それ以後は平和な時代になった。

 それにひきかえアメリカは今でも野蛮人の国だから、警官がノックもせずに侵入して罪もない人間を射殺してしまう。

返信:【Re_宮座】

長谷部氏は、八幡神社の氏子なんだね。この資料をみるかぎり、秋末は氷室神社の氏子で宮座だから、秋末を追い出して高瀬の地に長谷部氏や松田氏の氏神である八幡神社を建てたと推測できるね。

長谷部氏は、1555年-1600年の毛利時代、長谷部元信が寄子給として高瀬の土地を与えられたのかね。松田氏については調べると面白いよ。尼子10旗として活躍した松田氏や宇喜多家と姻戚関係を結んだ松田氏などいる。

宇喜多家と姻戚関係を結んだ松田氏が後の大原になるのかな。改易後は帰農を余儀なくされたとあるし、時代も合致する。

昭和天皇が氷室神社に訪れたときの看板みつけた
(参考資料「高瀬、氷室神社。」)


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