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【34日目】26万系統

ご隠居からのメール:【26万系統】

 西谷家に伝わる家系図の作者はあきらかに後世の人物が手を加えたものと思われる。長牛之介が豊臣秀吉から賜ったという感状の真偽も疑わしい。そもそも長谷部元信も長牛之介も没年すらわからないのでは、フィクションで想像するしかない。

 具体的な史実はほとんど不明なので、随筆では厳島の戦いや上月城の戦いや刀狩りがあった十六世紀後半に活躍したご先祖であり、平家物語に登場する長谷部信連の子孫らしいとしか書けないと思う。

 その点、毛利元就と尼子経久との関係についてはいろんな作家が書いた資料が豊富で、真実らしく思われるが、それでもおおむねフィクションだと思う。

 確かなことは26万系統(?)のDNAがわれわれにも伝わっていることだ。コロナのおかげで変異を繰り返しながら伝わっていることがわかった。その意味を深く考えよう。

高瀬村の長谷部氏のご先祖は、DNAでみると、大きく分けて次の四系統だ。

●備中系
 :秋末名(政略結婚で一族化)
●出雲系
 :松田氏、米原氏(政略結婚で一族化)
●伯耆系
 :信連の子孫(下榎や黒坂の神主)
●備後系
 :元信(翁山城)の子孫(長牛之介が新見氏とともに移住し、西谷村と高瀬村の土地を一所懸命、確保した)


返信:【Re_26万系統】

備中、備後、出雲、伯耆からの系統が入ってそうだね。あと、井上氏だね。今後の人生で、色々行かないといけない場所が増えてしまった。

・金沢:長谷部神社、長谷部まつり
・島根:松江、白鹿城、月山冨田城
・広島:上下町、翁山、丹下
・鳥取:金持神社、善昌寺からの高瀬
・旅順:203高地

今回の件で、歴史を見る目が変わった。まさに、大河のように流れがあるね。

・西日本を担当した秀吉
・尼子再興軍のために信長に直訴した秀吉
・地獄の兵糧攻めで中国地方に恐怖を与えた秀吉
・山崎の戦いで秀吉の背中を撃たなかった毛利
・太閤検地で高梁川(高瀬)の地が国境となったこと
・関ケ原で毛利が萩へ転封したこと
・山口から幕末の志士が生まれたこと
・幕末の志士から日露戦争へ発展したこと

全部、必然、宿命だとは思うが、我々は、変異しながらも、何とか名前と血を残そうとして自分たちの命につながってるんだね。


今の世の中は、結婚をしない人、結婚式を挙げない人が多くいるけど、この環境は、自分たちが創ってきたモノもひとつの要因だと思ってる。特に、結婚式を挙げない年間30万組の人たちに対する社会的責任は、果たさなければいけない。ブライダルのマーケットは一気に変わる可能性がある。

潮時を見極めるか、尼子再興軍になるか。日々変わる情勢をしっかり見極めなければいけない。


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