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【334日目】:バカの壁

ご隠居からのメール:【バカの壁】

新型コロナウイルス感染で入院した時、私が一冊だけ病床に持参した本は、聖書や論語ではない。養老孟司『バカの壁』だった。人間、生死の竿頭に立たされた最後のギリギリ段階で考えるにはうってつけの本だという直観がひらめいたのだが、その直感は外れではいなかったと思う。

養老先生によれば、「人生には意味がある」「無意味(=ナンセンス)ではない」ーーそう考えたのはアウシュビッツの強制収容所に収容されていた経験を持つ心理学者Ⅴ・E・フランクルである。

彼の言う人生の意味とは、「他人が人生の意味を考える手伝いをする」ことという考え方である。自分の人生の意味を考えるのではなく、他人が人生の意味を考える手伝いをするーーこれがフランクルの発想のコペルニクス的転回だ。

フランクルのコペルニクス的転回(180度方向転換)も参考になったが、それに関連して私が考えさせられたのは、「個性」は体に宿る、という養老先生の見方である。

「個性」は精神ではなく、身体に宿っている、と養老先生はいう。これは、コロナ感染で入院を体験した老人にとっては、いわば天動説に対する地動説のようなコペルニクス的転回の考え方だ。

私とは誰か。身か心かと、考えると、やはり心だと考えたくなる。身は赤ん坊、幼年、少年、青年、成年、やはり老年と変化してきたが、心は三つ子の魂百まで一貫して変わらないと思う。だが、心も、少年と老人ではやはり別人格かもしれない。吾は昔の吾ならずだ。

特に、今回、入院を体験してみると、コロナに感染した私は、けっきょく、コロナのようなウイルスやステロイドのような薬の影響を受けやすい身だという気がしてくる。

もし私に「個性」が宿っているとすれば、それはこの老いさらばえた身にあるだけだ。若い頃は、無限の可能性があるように思えた独創的な心や、あるいはユニークな考え方にあったのではない。


返信:【Re_バカの壁】

じぶんも、養老孟司さんの「バカの壁」を購入して読んでいるが、なかなか面白い。いろんな人の思想を知ることは、自分を形成するうえで重要なプロセスだったんだな。

「バカの壁」では、勉強をするという意味を「癌の告知をされ、治療法がなくて、あと半年の命だと知ったら、あそこに咲いている桜が違って見えるだろう」と「知る」ということについて説明してくれている。昨日と違う景色を見るために本質を「知る」ことは重要だということを教えてもらったたよ。

フランクルさんの「人生の意味」も、とても、興味深い。じぶんのnoteのタイトルは、「息子へ紡ぐ物語」。サブタイトルは、「自分はなぜ生まれ何のために生まれてきたのか」だ。まさに「人生の意味」を考えるものとなっている。

「自分がなぜ生まれてきたのか」ということは、ご先祖様を知り、日本史を知り、ファミリーヒストリーを紐解くことで理解が深まってきた。しかし「何のために生まれてきたのか」ということには、なんとなくイメージはあるが、まだ、言語化できていない。

「他人が人生の意味を考える手伝いをすることが、自分の人生の意味」かーー。なんとなく、共感するな。


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