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【343日目】:コロナによる肺炎と間質性肺炎は同じ→別物


ご隠居からのメール:【コロナによる肺炎と間質性肺炎は同じ→別物】

コロナによる肺炎と間質性肺炎とは同じ症状だとばかり思っていたが、CT画像をよくみると、別物のようだ。コロナの陰ではない陰が見える。恐らくコロナになる前から間質性肺炎だったのではないか。

その後入院し、デルタ株中等症IIという診断が下された。レムデシベル等を投与しても効果はあらわれなかったが、ステロイド投与で炎症は少なくなり、症状は劇的に改善された。

もう少しわかりやすく説明すると、コップの中のものが炎症を起こしている状態がコロナの肺炎で、間質性肺炎はコップ自体が炎症を起こしている状態だ。

肺はきれいになっている。傷が残っているが、悪くなっていないので、現状治療は必要がない。カゼなどのウィルスがきっかけで急激に悪くなることがあるので、気をつけなさいと医師に言われた。そう言われても、カゼはひくときはひく。特に季節の変わり目や冬場にはカゼをひきやすい。

はたしてきびしい冬を乗り超えて、来春の花見を楽しむことができるだろうか。死んで花見が咲くものか。


返信:【Re_コロナによる肺炎と間質性肺炎は同じ→別物】

コロナだけでなくインフルエンザなどもあるから、このまま生涯、風邪をひかずに人生を過ごせるかどうかというのも、ようわからんね。まあ、それこそ、未来は何が起こるかわからない。いまの命をどのように使うかということが、何よりも重要なんだろうね。

足利尊氏たかうじのように、人の「こころ」を第一に尊重するような人が上司なら、佐々木道誉どうよのような策略家でも忠義を尽くすだろう。人の「こころ」はみえなく、わからないが、足利尊氏たかうじは武士の「こころ」というものを理解していたのだろうな。

しかし、息子、足利直冬ただふゆの「こころ」は理解することができなかった。足利直冬ただふゆが兵を起こした「ホンネ」は、父親に認めてもらいたかったからだと思っている。とても、権力のために戦ったとは思えない。

しかし、足利尊氏たかうじの実子ということを利用したのが、足利直義ただよしや、北畠親房ちかふさや後醍醐帝の息子、懐良かねよし親王などの南朝。そして、下剋上を果たしたい舅の少弐頼尚しょうによりひさだと思う。

足利直冬ただふゆは、ただただ、愛情が欲しかったのだ。母はいないが、父親に特別待遇をしてもらいたかったのだ。それは、義弟・足利義詮よしあきらと比べて同等の。もしくは、それ以上の。

母がいなくなったことは、やむを得ないとしても、父親がその点を理解して対応する必要があった。現に、足利直冬ただふゆは、父を困らせるほど、挙兵し京に迫ったが、その後、70過ぎるまで石見国に住み続け、自らの家庭を築いた。

親子の関係といのは、歴史に大きく影響するものなんだね。


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