【332日目】:もしかしてブレインフォグかも・・・?
ご隠居からのメール:【もしかしてブレインフォグかも・・・?】
ブレインフォグ(Brain fog)は直訳すると「脳の霧」という意味で、脳に霧がかかったようにモヤモヤとして、日常的な物事をしばらく思い出せなかったり、普段からやっていることが混乱してできないなどの症状が出るものだという。
正式な病名ではないが、私が起立性(神経性)調節障害になっているときの症状のようなものだと思う。一分間、何かにつかまってじっとしていれば、正常に戻るが、その後も頭がボーッとして思考力が低下し、集中力がなくなってしまったような気分は残る。要するにコロナの後遺症だ。
安静にして、適度な運動をし、腹七分目の食事をし、風呂に入って水を飲み、適当に日記を書いて、ぐっすり眠るーーというフレイル虚弱老人の生活習慣で毎日をしのぐというのがベストの対応法だと思う。それしかない。
返信:【Re_もしかしてブレインフォグかも・・・?】
コロナに発症してブレインフォグに悩んでいる人は多くいるようだね。治療法は確立されていないという。あまりにも症状がひどいようなら、専門医に相談するべきだよ。
ブレインフォグの症状が1日にどのくらいの頻度でおきるか記録をとっておいたほうがいいんじゃないかね。これは、お父さんにしかわからないことを、人に表現して伝えることにつながる。
記録に残すのは、「日にち」「時間」「どこで」「どのようなとき」「症状がでている時間」。家にいるときならまだ対処できるが、屋外で症状がでたら二次災害につながる可能性もあるんじゃないかね。
昨日ゴルフのコンペに参加したがじぶんは、あきらかに場違いだったな。芸能人はじめ、上場企業社長や、ビルのオーナーがあつまる、東京のど真ん中で、日本経済をまわしている人たちのゴルフコンペだった。それなりに、いい感じのスコアでまわれたので、来年も誘っていただけたらラッキーだね。
しかし、十数年前は自分もあの人たちに名前を憶えてもらおうと、一介のサラリーマンが必死に食らいついていた。金も権力も影響力も何もない人間が、ただただ、その場を盛り上げる能力を発揮しながら、付き人のような動きをしていた。
あのとき、「いつか自分もーー」という気持ちが、確かにあった。身近にヒルズ族がいたから、手を伸ばせば何かに届くと錯覚に陥ったのかもしれない。
いつのまにか、自分なりに天下を目指した時期だったのだ。それが、青春愚連隊、CDデビューまでいけた背景なのだろう。こうやって振り返ると、なかなか凄い話だな。再び、あのような人たちの輪に入ってゴルフ出来ることは、感謝でしかないね。
山陰の長谷部氏は、伯耆日野からはじまり、隣りの領地倉吉を「船上山の戦」で名和長年、もしくは金持景藤からもらい、1336年の建武新政権の崩壊で、備後上下の矢野庄を得たようだけど、伯耆日野の隣村が、久米郡矢送庄(現:倉吉市)だということで、信ぴょう性があると思う。
とはいえ、何の確証もないフィクション。「続日野町史」をみると、お父さんから受け継いだ「家系図」は、下榎のもので、長谷部信豊さんと長元信さんは繋がっているようだね。
ただ、能登の長氏も南北朝時代は、北朝に味方していて、尾張、薩摩、越後に散らばっていることが見受けられる。但馬、因幡の長高連は、どちらの系統だろうか。
ただこの頃は、能登と山陰の長谷部氏は連携をとっていたようだ。少なからずとも、足利尊氏に属して北朝に賛同していたことは、間違いない。
ここで、疑問なのは、金持氏の動向だ。金持氏は、建武新政権で厚遇をうけ、武者所結番の職を与えられて、その後も南朝に仕えたそうだが、伯耆の本拠地は、山名氏の勢力下となり衰退していったという。
長谷部信豊の子孫は、処遇に納得がいかなかったのではないだろうか。名和長年は、伯耆国の守護職。金持氏は、新田義貞と同等の武者所の重職。命を落とした長谷部氏は、隣の所領を少しもらっただけ。
「船上山の戦」に参戦するということは、世の中を敵にするということだ。名和氏と金持氏に呼応したのに不遇による不満が残ってもおかしくない。そんなときに、足利氏、山名氏の挙兵を聞いて「湊川の戦」で活躍した可能性はあるね。
楠木正成は、足利尊氏と親交深く、建武新政権に先はないと判断していたのに、忠義を通し、後醍醐天皇の恩を果たすために負け戦に参戦した。
水木しげるの「鬼軍曹」では、軍のために真面目に働いた若者が、マラリヤになり、忠義を叫んだ軍曹たちが玉砕していったと語っている。
後醍醐天皇と楠木正成の思想は、太平洋戦争にまで影響を及ぼしてしまった。楠木正成は、戦を避けるために戦っていたのに、その願いは後世につづかなかった。むしろ、弟の楠木正季の魂が後世の日本人に受け継がれてしまったようだ。
楠木正季は「湊川の戦」に敗れ、自害するときに「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候へ」と語ったという。まるで、第二次世界大戦末期に、「宮城事件」を起こした、畑中健二少佐の遺書と同じだ。
「松陰先生の後を追うべく自決して、武蔵の野辺に朽ち果てる。敵のために自己の魂も、国も、道も、一時中断させられるであろうが、然し、百年の後には必ず道と共に再び生きる。護国の鬼となり、国と共に必ず七生する。」
ファミリーヒストリーを通じて、DNAは受け継がれるわけだから、どんな時代を過ごしたご先祖さまでも、自分と「何か」は同じだと思っている。それが、来世への生まれ変わり、七生というのであれば、いまでも、その魂を受け継いでいる人が、いるということになる。
「歴史は繰り返される」といわれる所以だろう。
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