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【248日目】夕陽将軍

ご隠居からのメール:【夕陽将軍】

石原莞爾をモデルにした伝記小説は、杉森久英『夕陽将軍』
広田弘毅をモデルにした伝記小説は、城山三郎『落日燃ゆ』

と、似たような題名になっている。極東裁判では広田が絞首刑になり、石原は無罪とされたが、満州事件の主犯は石原だから、平和に対する罪を問うなら、当然、絞首刑に値する戦争犯罪者だ。

二人とも、夕陽、落日と似たようなイメージが題名に選ばれているが、彼らの先駆者である山中鹿之助を描いた小説に、中山義秀『夕日武者』がある。浦安図書館で借りて読んだ記憶があるが、検索したら行方不明になっていた。

石原莞爾の世界最終戦争論は、戦争で両陣営ともに敗者になった場合への考察と戦争をせずに世界平和を達成する道への考察が欠けているように思う。

「ノモンハンに至るまで」を読んだ。「アウトボクシング」のような比喩はわかりやすく、読者の頭に残りやすいと思う。

「自分なりの理解が深まっていくと、自分の意見がでてくる」というのは頼もしいね。自分が経験したことは自分の言葉で語ることができる。一方。自分が経験していないことについては意見を言うな、というのは経験者の一方的な言い分だ。戦争は自分の未来に影響が及ぶことだから、意見の発表に躊躇する必要はない。

尼子関連小説のうち、南原幹雄『名将山中鹿之助』の解説で縄田一男が次のように書いている。

山中鹿之助といえば、主家尼子氏の再興を願い、月に向かって「我に七難八苦を与え給え」と叫んだ希代の忠臣だ。その志は忠君愛国の思想に通じるとして、戦前には教科書にも載った武将だった。しかしながら、そのイメージがあまりに強すぎて、一応の民主国家の体裁が整えられた戦後は、彼を主人公にした歴史・時代小説はさほど書かれていない。
  
その中で、ビッグネームの作者による唯一の作品といっていいのが、池波正太郎の『英雄にっぽん』であるが、この作品、冒頭から作者の戦争体験が重ね合わされ、鹿之助(同書では鹿之介)を、主家再興と毛利家打倒のみに固執し、そのため遂に大局が見えなかった武将と断定、これは太平洋戦争時の日本軍と同じではないか

と記している。読み終わったら、感想文を送るよ。山中鹿之助関連で第三の道に挑んだ南原幹雄『名将山中鹿之助』も必読書だ。読書も忙しい。

オレは父や叔父から、「我に七難八苦を与え給え」という思想を刷り込まれる一方で、「日本は悪いことをした」「戦争は絶対悪」とも主として読書によって刷り込まれた。これでは矛盾した人格になってしまいそうだね。


返信:【Re_夕陽将軍】

たしかに、石原莞爾の世界戦争最終論では「戦争をしなかったら」の考察があればよかった。日露戦争では、ロシア軍の侵略を恐れた。しかし、「対華二十一箇条」の要求は、中国の治安維持も目的の一つだったろうけど、基本的には「日本の権益」を守るために要求した内容だった。

自分の両親が命をかけて取得したものを「三国干渉」の時のように手放すことが出来なかった。というか、「三国干渉」があったから、打倒ロシアで結束したのか。とはいえ、あのままほっとけば、ロシアが侵攻してくることがわかっていたよね。

しかし、どんどん読まなければならない本が増えていって追いつかない。八徳の「仁・義・礼・智・忠・信・考・悌」で考えると、「仁・礼、考、悌」についての小説が少ない気がする。(知らないだけかもしれないが)。

戦争や戦国期は、忠や義、信の話。渋沢栄一や山田方谷は智の話。このような話、山中鹿之助のように忠と義を通したストーリーは、人の心を魅了するのかな。

一方、「仁、礼、孝、悌」は、身近にありすぎて、難しい。「当たり前」と感じやすいものというのもネックだ。しかし、昔の人は、その心を忘れないように、正月、七五三、ひな祭り、子供の日、父の日、母の日、敬老の日、お盆、お彼岸、成人式、、色んな慶事で実行してきた。

さらには、これを、他人に説いたら、価値観の押しつけと批判されるから難しい。もっというと、「思いやり」と「自己満足」は紙一重。よく知らないが、イメージだけでいうと、マザーテレサやガンジー、ナイチンゲール、などは意識と行動が伴った人なのかね。

・仁:思いやり
・義:人道的な道理
・礼:感謝や敬う心
・智:物事の本質を知り善悪を判断する
・忠:誠実、忠義の心
・信:信じる心
・孝:親を慈しみ大切にする心
・悌:兄弟を尊敬し大切にする心

八徳


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