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スクール長ダイアログ <私に影響を与えた哲学者―フェルナン・ド・ソシュール①>

9月30日 神戸大学V.School長 國部克彦

 ミシェル・フーコーが対象としたのは,狂気や監獄やセクシャリティなど,人間の身体の深いところに関わるものばかりでした。それは,フーコー自身の身体からほとばしる雄叫びの反映だと思いますが,あまりにも生々しくて,受け付けにくい人もいるかもしれません。人間の臭いのしない記号だけの世界で思考を展開したい人もいることでしょう。そういう人にお薦めなのが,20世紀初頭の言語学者で後の記号論の基礎を築いたフェルナン・ド・ソシュールです。
 フーコーから哲学の世界に入り込んだ私も,会計学を専攻していたことから分かるように,数字だけで説明できる「形の綺麗な世界」が好きな人間だったので,フーコーの身体的強烈さには腰が引けているところもあったかもしれません。しかし,フーコーの議論の源流を辿っていくと,ソシュールに出会うのに時間はかかりませんでした。
 ソシュールは20世紀初頭のスイスの言語学者で,生前には一冊の本も著さなかったのに,言語学を革新し,のちの構造主義の流れを作った人物として非常に著名です。ちなみに,ソシュールの著書は,彼の死後に講義の聴講生たちが講義ノートをまとめた『一般言語学講義』だけです。これはソシュール自身の手でまとめられたものではないのでかなり難解ですが,ソシュールを理解するだけならいくつも紹介する本が出ています。
 ソシュールの言語学の意義は,言語は客観的な対象を表現しているのではなく,言語が対象を規定していることを,言語学の立場から体系化したことです。その内容を解説するためには,ラングやパロール,シニフィアンとシニフィエという独特の用語を使用する必要がありますが,ここでは思い切り単純化して,言語が対象とする「何か」とそれを表す「音の記号」は別であること,「音の記号」に意味はなく,他の「何か」と区別する役割しかないこと,つまり言語は対象を表しているのではなく,他の「何か」との差異を表していることと理解しておきましょう。
 ドゥルーズの「差異と反復」のところで,差異について説明しましたが,この差異を言語学的に解明し,体系化したのがソシュールで,後のドゥルーズ自身を含む構造主義の系譜につながる哲学者の起点になりました。つまり,ソシュール言語学によれば,私たちは犬を犬として認識しているのではなく,犬と定義された対象を他から区別するために犬と呼んでいるに過ぎないのです。したがって,言語の体系が変われば<世界>は変わることになります。つまり,対象を言語が表現しているのではなく,言語が対象を創り出しているとソシュールは言うのです。

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