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不在の百合と関係性の抽象化

みなさん概念って好きですか?
いいですよね、概念。この世の名前がつけられている全てのものが持っているものです、概念。
もちろんあなた自身にも概念は付き纏うものだし、わたしにも当てはまります。
つまり我々は概念から逃れられないわけなのです。なので本来好きとか嫌いとかで語るものではないんですよね。
じゃあなんで好きか問うたのかというと、特に理由はなくてただ思いついたから思いついたままに書いたに過ぎないっていうそういうしょうもない感じなんですけど。
いや~概念概念。全く概念すぎて困っちゃうな。

それはそれとして、不在の百合っていう概念があるじゃないですか。
不在の百合のことを知らない人は以下の記事を読んでもらえれば理解できたりできなかったりすると思うのでとりあえず読んでみてください。
5年前の記事なので記載内容が多少現代とはズレるところもあると思いますが、そこはあまり問題ではないのでとりあえず不在の百合という概念があるということだけ把握しておいてください。

不在の百合について把握しましたね?
そして今この概念を初めて知った方には申し訳ないんですが、早速ここでちょっと勝手に拡大解釈させていただきたいと思っています。
わたしはある程度の重量を持った感情が含まれる人間関係において性別や属性は些末事と思っているので、ここでは百合という単語をより抽象化させ、関係性と置き換えて、『不在の関係性』とさせていただきたいと思っています。
タイトル詐欺ですまんだけどまあ別にいいよね。そういうところ気にする人はたぶんこの記事に辿り着かないと思います。気にする人が辿り着いてもこの記事ではわたしが王なので王として振る舞います。

全然関係ないけど抽象化ってゆっくり言ったら「ちゅーしようか」になる熱中症パターン単語だなって気が付きました。すみませんキモい気付きを得てしまって……。
閑話休題。

でもこの不在の関係性というやつ、見る人にめちゃくちゃ依存するし主観も主観だと思ってるんですよね。
なのでたぶん今からわたしが言おうと思ってることがなんにも伝わらない可能性があります。

例えばなんですけど、以下の画像ってどういう不在の関係性に見えますか?

Adobe Stockから落としてきた物語性ありそうな写真

正直この写真は物語性ありすぎてフォーカスする場所によって変わっちゃうな~て感じの場所なので不在の関係性の説明するにしては写真の選び方ミスったかなって思ったんですけど、まあ~~~全体的に見たら辛うじて百合気味かなって感じしますね。
特に以下が百合みあります。

百合み感じるところ

真ん中に写ってる飛び石があまりにきらら系百合なので百合の印象が強かったんですが、以下にフォーカスするとBLって感じもします。

BLみ感じるところ

以下だと男女カプっぽさありますね。

男女カプみ感じるところ

一応言っておきますがこれは完全にわたしの主観なのでわからなくて全然良いです。

でもあんまり例が良くなかったかもしれないなと思ったのでもう何個か例出しておきますね。
もちろん全てわたしの主観だというのを念押ししておきます。

Adobe Stockから落としてきためちゃくちゃ百合を感じる写真

さすがにこれは誰が見ても百合感じるでしょ。
百合です。わかりやすいですね。

次いきましょう。

Adobe Stockから落としてきためちゃくちゃBLを感じる写真

さすがにこれは誰が見てもBL感じるでしょ。
BLです。明々白々ですね。

次です。

Adobe Stockから落としてきためちゃくちゃ人外ロリババアとかつての少年カプを感じる写真

さすがにこれは誰が見ても人外ロリババアとかつての少年カプ感じるでしょ。
人外ロリババアとかつての少年カプです。一目瞭然ですね。

何度も言いますが全て主観です。
そして最後の写真以外は百合・BLというデカい枠で括ってしまったんですけど、もっと属性付与することはもちろん可能です。
ですがわかりやすさのためにも極力関係性を抽象化したいので属性は付与しないでおきます。

というわけで不在の関係性とわたしの主観についてわかったことと思います。
それどころか、この写真から思い思いの関係性の物語がみなさんの頭の中で展開していることと思います。
もう不在の関係性マスターですね。大変素晴らしい。バカクソデカデカ拍手を贈ります(鼓膜を破壊せんとするほどの大きな破裂音が何度か鳴る)
わからなかった方も今はわからないままで別にいいんですよ。いずれわかりますから心配しないで。

ほんで何を言いたかったのかと言うと、おれたちは関係性が大大大大だ~い好きだが、関係性を生み出す元となる存在の身体性は果たして必要なのか?ということなんですよね。
いやわかりますよもちろん良い顔の人と良い顔の人がものすごく接近しているとヒエ~ッ!てなります。もちろんそうだ。それは否定しません。
でも我々はもうそれがなくても関係性を見出すことができさえすれば萌えられるわけじゃないですか。
”それ”が”そう”在るだけで”そう”だと真に”””理解”””することができれば関係性を生み出す元となる存在のビジュアルに頼る必要なんてないんですよね。

意味わかりますか?飲み込めてますか?
わからないならわからないで別にいいし飲み込めないんならもっと咀嚼してもらっても付き合いきれんわって吐き出してもらっても別にいいんですけどわたしは勝手に話を続けますね。

だとするならば、わたしは先程の不在の関係性を感じる写真に百合だのBLだの男女だの人外ロリババアとかつての少年だのとごちゃごちゃ言ってきましたが、その性別も属性も取っ払ってもいいはずだと思いませんか?
そう!そこにあるのは『関係性』!ただそれだけでいいはずです!
わたしは記事の最初の方で言っています。ある程度の重量を持った感情が含まれる人間関係において性別や属性は些末事だと。
例を挙げるにおいて性別と属性を付与したのはわかりにくいかもしれない説明をわかりやすくするために他ならず、最初からわたしの主張は一貫しております。
つまり以下のpostのようなことが言いたいわけです。

なんなら脳みそもなくてよくな~い???
そこに関係性が成立するのであれば存在しない存在であるとか物理的質量を持たない存在であってもよくな~い???

『不在』が成立する以上、関係性を持つ『存在』は必要不可欠かなとは思うのでこれ以上に踏み込むことはしませんが、たぶん関係性に実存は必要ないって主張も世の中にあるとは思います。でもそこには触れません。わたしがそこまで至っていないので。

つまり何が言いたいのかというと。
カプの性別とか属性とか左右とかの解釈違いによる地雷を持つ人の気持ちがわかんなくなっちゃった。

あはっ あはっ こんなになっちゃった……… たはは なっちゃったからにはもう…ネ…

ちいかわ

などと言って他人に襲いかかることはしませんけども。
力を手に入れると弱者の気持ちがわからなくなるように。
絵を描くのが大好きで上手な人に絵が下手で練習が嫌いな人の気持ちがわからないように。
好奇心旺盛でフットワークが軽い人が何かと理由をつけて新しいことを忌避する人の気持ちがわからないように。
いやなんかこの例えだとめちゃくちゃ偉そうだな。力を手に入れたり絵が上手だったり好奇心旺盛フッ軽だったりは良いことですが、関係性を抽象化しすぎた結果人の痛みに疎くなったのは全然良いことではないです。

とにかくわたしはこの観点において譲れないものを持つ人に寄り添う心を失ってしまった。
それがなんだか寂しいなっていう、そういう話でした。

でも今そういう気分なだけな気もするので、明日にはカプ解釈違いで大暴れしている可能性も全然ありますね。人間は移ろう生き物だから。
じゃあ別に寂しがる必要ないか。ガハハ!

ではここで一句。

在らずとも 関係性は そこに在る

みんなも不在の関係性、ゲットじゃぞ~!

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