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つまらない人間が幸せな人間です。宮沢さん、宮沢賢治さんもそう言うとったで。

幸せな世界とはつまらない世界。なんの刺激もない世界。でくのぼうな世界。
ただ日光が振り注いでてそれ浴びて気持ちいいねとお互いニッコリ微笑みあってる世界。そんな世界が幸せ。

誰かが強い刺激を求めるたびに世界は歪んでいく。強い刺激の反動として世界は歪んでいく。その歪みは不幸せ(=不快)を生み、その不幸せの反動として擬似的な幸せ(=快楽)が生まれる。
だからどこかでの苦痛はどこかでの快楽である。
苦痛は快楽を生む、快楽は苦痛を生む。
快楽を求める者がいればこの世に苦痛が生まれる。
快楽を求める心が苦痛を作り、苦痛から逃れたい心が快楽を作る。
だから求めるのはやめるべきである。欲するのはやめるべきである。ギブミーチョコレート。ダメ!絶対にダメ!

心は中庸•中立(=ニュートラル)であるべきなのである。求めず欲さず何もない日々。もしくは適度に求め適度に欲すること。それが幸せというものの正体、中身である。

あなたが過度に何かを求めるなら、あなたが過度に何かを欲するならばこの世にその瞬間から苦痛と快楽が生まれます。そう苦痛と快楽はあなた自身が生み出しているのです。
快楽を得ればやがて快楽がなくなり苦痛が訪れ、苦痛が訪れれば快楽がやってくる。苦痛とは快楽であり快楽とは苦痛なのです。

苦痛=快楽。

そう考えたらSMプレイってめっちゃこの世の理にかなってるやん。真理やん。SMプレイの風俗店のホームページでこの文章使ってくれへんかな。男性客ってつまり男ってめっちゃ理屈ぽいねん。だからまずは頭で納得させな客は男は店までけーへんねん。なぁわかるやろ店長?SMプレイ専門の風俗店の店長さん。求めてねん欲してんねん。待ってるで。案件。

こんなクソみたい文章を書いてこんなクソみたい文章を読む。ずっとそんな日々が続けばいいとほんまに思いますわ。何でもないことが幸せなんですわ。快楽=幸せではないんですわ。暗い暗いと不平を言うよりはすすんで灯りを付けましょう。それはもう宗教やん。

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