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1週間日記 靴屋の小人はいない

2024/04/13 (土) 「叶えるのは自分しかいない」
本当に福島に行った。理想は昼前に到着予定だったが起きたら出る時間だったため一瞬やめるか迷った。家の中もしっちゃかめっちゃかだし。ただ春は1年に1回しか来ないし桜が咲いている晴れてる休日にこの先何度巡り会えるかはわからない。何かに急かされるように(少なくとも時間には急かされた)着々と準備をこなし家を出た。ここ数日日中は暖かいが夜は冷えるというのを繰り返しているため暖かい上着を持って出たがついに袖を通すことはなかった。出発から数時間後には福島の地を踏んでいて、新幹線の速さを実感した。理想の予定では花見山を回ったあと滝桜も観ることになっていたが、開始が遅れた時点で断念した。いつかを叶えるのは自分しかいないし、ちゃんと自分で調べて叶えられるということが今のわたしには小さな自信になった。新幹線の自由席はかなり空いていて快適だった。みんなもっと早い時間に乗るのかもしれない。

2024/04/14 (日) 「適切な距離とか」
母親とドライブをした。家を出てからの方が母親とは仲が良い。それぞれ仲良くあれる距離感というものがあるのだと思う。わたしは怠惰だから近くで見ると母はイライラするのだろうし、母は人に頼むことに躊躇がないからわたしはイライラするのだ。散り際の桜を見に行くとたけのこ掘りの案内が出ていた。基本的にはおじさんが掘ってくれてそれをいただく形らしいが掘らせてもらった。遠い昔にやった時よりも辛いのは、背と鍬の長さが合っていなかったからなのか、歳をとったことによるものなのか、遠い昔のあの日のわたしも辛かったのにもう忘れてしまっているのか。きっとどれもそうなのだ。掘り起こしたばかりのたけのこは根元のぶつぶつが赤くて気持ちが悪かった。王蟲みたい。たけのこ掘り場のおばさんは、スーパーに売ってるようなぶつぶつが黒いやつはもうじじばばみたいなもんだよと言っていて、その言い方に思わず笑ってしまった。

2024/04/15 (月) 「後回しにしたまんま」
昨日のたけのこをたけのこご飯にした。土佐煮とかにした方がたけのこ本来の美味しさがわかるのかもしれないと思ったがどうしたってたけのこご飯がすきだ。根元に近い方はかなり硬かったので他の料理に使おうと思って削ぎ落として水につけている。何にするかはまだ決めてない。というか知らない。何に向いているんだろう。わたしは面倒なことは全て後回しにしている。おかげで片付けられない。人生に対してもそのスタンスでどうしようもないなぁ、と残りもの尽くしの冷蔵庫の前で途方に暮れた。

2024/04/16 (火) 「相互作用」
図書館に本を返しにいった。基本的に文庫は買ってしまうが単行本で読みたいものがあるときは世話になっている。たとえば新作とかは、予約しておいて借りにいく。それからもう一つ。あの頃読んだ児童書を読みたい時にも行く。今日はこないだ借りた児童書を返しにいった。わたしのすきなシリーズは、わたしが子供の頃に完結はしなくて(今もしているのかよくわからない)、大人になってからふと思い出して借りに行って既刊を読破した。あの頃すきだったキャラクターたちが寸分違わず物語の中にいて、開けばいつだって彼らに会えるのに、受け手であるわたしが変わってしまった。面白いのは間違いないが邪念が入るのだ。だけどそれ故にあの頃は気づかなかった視点を持って読むこともできる。あの頃本を読んでいてよかった。

2024/04/17 (水) 「変拍子」
こないだ2.5の舞台を観に行ってから熱が戻ってきている。と言っても全盛期ほどではない。課金はもうしないだろうし。原作のソシャゲを1年ぶりにアップデートして(長かった)、ソシャゲ周りの曲を軒並み聞き直している。と、とある曲で引っ掛かりを覚える。こないだ観に行った2.5舞台の2幕で主演を張っていたキャラクターのソロ曲だ。えげつないほどの変拍子。間奏にはポリリズムまで含まれている。そして1曲目のソロ曲のメロディーを入れ込む凝りっぷり。最高。ありがとうsasakureさん。

2024/04/18 (木) 「一人一人が自分の世界では原点」
説明しても中々どうして伝わらないことがもどかしい。結論は同じだしあっているがそのためにこうする必要があるのでは?という提案を力技で乗りこなそうとする。できやしないのに。自己を客観視するということの難しさを見る。と同時にきっとわたしも誰かからそう見えているのだろうと思う。たとえばわたしは自分がとんでもなく怠惰で隙あれば手を抜いて延々と頭で考えてしまって中々実行に移せない人間だということを知っているが、弟からすればわたしは行動力があるらしい。訂正したい。だけどもみんなそんなもんなんだろう。わたしから見た○○さんしかわたしは知らないが○○さんは実際そんな人ではないなんてことはザラにある。自分は自分のフィルターを通してしか誰かや何かを見られないし感じられない、それは変えようがないが、その事実をしっかりと把握して生きていかないと不必要な争いを生むのかもしれない。


2024/04/19 (金) 「靴屋の小人はいない」
桜が散り八重桜もおわりかけの今、ツツジとフジとモッコウバラが猛威を振るっている。モッコウバラは花が多すぎてほぼ黄色い。葉っぱが見えるくらいが綺麗なのに、たまごそぼろみたいだなと思いながら自転車で横をすり抜けていく。フジは時々藤棚じゃなくて木のまま咲いているのを見かけるが、藤棚の偉大さを知る。木のままでも綺麗だけど藤棚の美しさがすきだ。難点はクマバチが寄ってくるところだ。単純にでかいから怖い。敷地の広い家を見かけるたびにこれが自分の家だったらと妄想するが、大抵庭に植える植物を考えるだけで終わる。桜と金木犀と百日紅は植えたい。掃除が大変とかは知らない。そしてやっぱり叶えるも叶えないもわたし次第なのだ、ということに思い至って面倒になる。どうぶつの森みたいにボタンひとつで変えられたらいいのに。

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